西暦1608年は、徳川家康がシャム(現在のタイ)に国書を送り、有馬晴信の朱印船の日本人船員がマカオで騒擾事件を起こした年である。2月には第3代徳之島島主東之主が急死し、以降沖永良部島島主思鎌戸が第4代徳之島島主に就き、9月には島津忠恒が大慈寺の僧龍雲を遣わせ、尚寧王等に必ず朝聘するよう求めた。騒擾事件は11月30日の事で、アンドレ・ペソアが鎮圧し、日本人側に多数の死者が出た。

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年月日 出来事
1,608 徳川家康がシャム(現在のタイ)に国書を送る。
1,608 2 第3代徳之島島主東之主が急死する。以降沖永良部島島主思鎌戸が第4代徳之島島主に就き、2つの島を兼任する事となった。
1,608 9 島津忠恒が、徳川家康と徳川秀忠が舟師を起こそうとしていると聞き、大慈寺(現在の鹿児島県志布志市志布志町志布志)の僧龍雲を遣わせ、以下4名に対し必ず朝聘するよう求める。
①尚寧王
②謝名利山
③初代巳日番の法司浦添朝師
④第4代酉日番の法司名護良豊
しかし謝名は聴従せず、龍雲を罵り辱めた。
1,608 11 30 初代島原藩主有馬晴信が占城(現在のベトナム中部)に派遣した朱印船が、マカオでの越冬寄港中に日本人船員が取引を巡って騒擾事件を起こし、それをマカオのカピタン・モール(総司令官)であったアンドレ・ペソアが鎮圧し、日本人側に多数の死者が出た。