西暦1605年は、鹿児島藩が徳川家康に琉球侵攻を願い出、野國總管が甘藷を明から琉球王国に持ち帰り、火薬陰謀事件が発生した年である。野國總管は現在の沖縄県中頭郡嘉手納町野国の進貢船乗組員の一役職名で、甘藷は野国村を始め、周辺の村々に植えられた。火薬陰謀事件は11月5日の事で、イングランド王国のジェームズ1世が旧教徒と清教徒の双方を弾圧した為に起き、密告によって発覚してガイ・フォークスが捕えられた。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,605 鹿児島藩が徳川家康に以下を理由に琉球侵攻を願い出る。
①関ヶ原の戦いで豊臣方の西軍に加担した背景から、徳川幕府の信頼を得て自藩の立場を有利にする。
②豊臣秀吉との戦いや朝鮮出兵など度重なる戦乱で行き詰まった財政を琉球貿易によって立て直し、南西諸島を自分の領土にする。
③琉球を通じて明と貿易を行う。
④自藩の領地を拡張する為。
⑤分散していた島津氏の権力を藩主である島津忠恒の下に纏める。
⑥因幡の亀井茲矩が豊臣秀吉の許可を得て西暦1,590年に3,500名の兵で琉球征伐を企てたが、此れを島津が中止させた事への恩を忘れている。
⑦豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に薩摩が肩代わりした負担金を返済しなかった。
⑧薩摩が琉球に対し、創立当初の徳川幕府に贈り物を献上する様に勧めたが、其れに応じなかった。
⑨西暦1,602年に、伊達政宗の領内に琉球船が漂着した件に関し、乗員を保護し薩摩を通じて帰国させたが礼を欠いた、等の非礼に対する報復。
1,605 野國總管(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町野国の進貢船乗組員の一役職名)が甘藷を明から琉球王国に持ち帰って、野国村を始め、周辺の村々に植えた。
1,605 謝名利山が、親鹿児島藩であった初代丑日番の法司城間盛久を讒言し百姓の身分に貶め、翌年から第2代丑日番の法司に就く。
1,605 11 5 イングランド王国ステュアート朝の王ジェームズ1世が旧教徒(カトリック)、清教徒(イギリス国教会に反抗する一派)双方を弾圧した為、旧教徒による火薬陰謀事件が発生する。貴族ロバート・ケーツビーを首謀者とする一団は、イギリスにおけるカトリック支配を取り戻そうと企て、国会議事堂の地下に火薬を運び込んだ。しかし陰謀は密告によって発覚し、陰謀者の一人兵士のガイ・フォークスが捕えられ、後に一団は処刑された。