西暦1518年は、大内義興が周防国に帰着し、壬生于恒が東松軒との田地に関する論争を記した年である。帰着は11月7日の事で、管領代を辞任していた義興は9月6日に周防国へ向けて堺を出発しており、其の背景には尼子経久・武田元繁・武田光和等の不穏な動きが有った。記したのは10月27日の事で、壬生は田地の知行をし、継続的に文庫の修繕に努める事を命じる奉書を賜った。

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年月日 出来事
1,518 9 6 管領代を辞任していた大内義興が、周防国へ向けて堺を出発する。背景として、以下3名等が不穏な動きを見せていた事が背景としてあった。
①尼子経久
②武田元繁
③武田光和
1,518 10 27 壬生于恒が以下の主旨の内容を記す。
山城国の壬生(現在の京都府京都市中京区)にて、東松軒と田地約991.74㎡に関する論争が起こる。此の田地は、文庫の境内の下地に該当する為、公物に準ずるべきである。結論として、其の下地から得た収益物を当方に返付させた上で、私は田地の知行をし、継続的に文庫の修繕に努める事を命じる奉書を賜った。
1,518 11 7 大内義興が、周防国に帰着する。