西暦1519年は、フェルディナンド・マゼランがセビリアを出発し、躑躅ヶ崎館の建設の鍬立式が催された年である。出発は8月19日の事で、初代スペイン帝国ハプスブルク朝の王カルロス1世の命により、マゼランはスペイン帝国艦隊を率いた。鍬立式は9月8日の事で、甲斐国の国府移転に伴う物であり、翌9日には武田信虎が建設地の見分を行った。

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年月日 出来事
≈ 1,519 2 今井信是が、武田信虎に対し反乱を起こす。今井は、諏訪頼満と共に、甲斐国と信濃国の国境で武田と交戦した。
≈ 1,519 5 今井信是が、武田信虎に降伏する。
1,519 6 8 細川尚春が、阿波国にて三好之長に殺害される。
1,519 8 19 初代スペイン帝国ハプスブルク朝の王カルロス1世の命により、フェルディナンド・マゼランがスペイン帝国艦隊を率いて、セビリア(現在のスペインのアンダルシア州セビリア県)を出発する。
1,519 9 8 甲斐国の国府移転に伴う、躑躅ヶ崎館(現在の山梨県甲府市古府中町)の建設の鍬立式が催される。
1,519 9 9 武田信虎が、躑躅ヶ崎館の建設地の見分を行う。
≈ 1,519 10 阿波国に居た以下2名が、上洛の準備が整ったとして、四国勢と播磨国人勢を以って上洛する計画を立てる。
①細川澄元
②三好之長
池田信正は、池田城(現在の大阪府池田市城山町)奪回を意図し、先陣を申し出た。
≈ 1,519 11 池田信正が、下田中城(現在の兵庫県三田市下田中)に籠城する。細川澄元軍の橋頭堡となった。
≈ 1,519 11 細川高国方が、以下3名に対し、池田信正征伐の命令を下す。
①瓦林正頼
②池田民部丞
③塩川孫太郎
瓦林・池田・塩川は、西暦1,519年11月14日に夜襲を仕掛ける事を決定した。しかし、民部丞の軍勢の中に、池田信正と内通する者が発生し、信正率いる軍は、田中城の防備を十分に固めた上で細川高国方を待ち構える事となった。
1,519 11 14 深夜、雨が降り出す中、以下3名率いる細川高国方の軍が、田中城を夜襲する。
①瓦林正頼
②池田民部丞
③塩川孫太郎
細川方は、暗闇且つ地理を余り理解していなかった事から、30名余が討ち取られた。其の後細川澄元は、池田信正に豊島郡代の地位を与えた。
1,519 11 27 以下2名率いる軍が、兵庫津に上陸する。
①細川澄元
②三好之長
≈ 1,519 12 田中城を拠点としていた以下2名率いる軍が、越水城(現在の兵庫県西宮市桜谷町)を包囲する。
①細川澄元
②三好之長