西暦1520年は、武田信虎が躑躅ヶ崎館に移住して有力国人領主にも城下町への移住を命じ、反発した栗原信友・大井信達・今井信是の征伐に向かった年である。移住は1月10日の事で、此の命令は直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。6月22日には栗原氏館が焼き討ちにされ、6月24日には今諏訪にて武田軍が大井信達・今井信是と交戦して大勝し、降伏した信達の嫡男大井信業が家督を継いだ。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,520 1 10 以下2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。
①武田信虎
②大井の方
此の時には、躑躅ヶ崎館は政庁としての機能を備えるまでに至っていた。武田は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、以下3名も、移住を余儀無くされた。
①栗原信友
②大井信達
③今井信是
≈ 1,520 4 躑躅ヶ崎館の落慶法会が執り行われる。
≈ 1,520 6 兼ねてから武田信虎から距離を置いていた以下3名が、公然と武田に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。
①栗原信友
②大井信達
③今井信是
此れを受けて武田は、配下の以下2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。
①板垣信方
②曽根昌長
1,520 6 22 三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、都塚(現在の山梨県笛吹市一宮町)に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館(現在の山梨県山梨市上栗原)を焼き討ちにする。栗原は秩父に逃亡し、後に武田に許しを請うた。武田は了承し、栗原は甲斐国に帰参した。
1,520 6 24 三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪(現在の山梨県南アルプス市上今諏訪)にて、以下2名と交戦し、大勝する。
①大井信達
②今井信是
しかし武田軍は、曽根大学助が戦死した。信達・今井は降伏した。信達は、武田から隠居・出家を命じられ、信達の嫡男大井信業が家督を継いだ。