西暦1520年は、武田信虎が新造の躑躅ヶ崎館へ移り、甲斐国の国人領主の被官化を推し進めた事から、其の反発が武力衝突にまで至った年である。1月10日、武田信虎と大井の方が川田館から躑躅ヶ崎館に移住した。西暦1519年9月8日の鍬立式から僅か四ヶ月で、躑躅ヶ崎館は政庁としての機能を備えるまでに至っており、武田は家臣のみならず有力国人領主にも城下町への移住を命じた。直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であり、此れにより栗原信友・大井信達・今井信是も移住を余儀無くされた。4月頃には躑躅ヶ崎館の落慶法会が執り行われた。然し6月頃、兼ねてから武田信虎から距離を置いていた3名が公然と反発する姿勢を示して自領へ帰還する。大井信達は西暦1515年に今川氏親と通じて椿城で武田を大敗させ、西暦1517年の和睦で娘を差し出して降った身であり、今井信是も西暦1519年2月に一度反乱を起こして降伏したばかりであった。此れを受けて武田は、配下の板垣信方と曽根昌長に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。6月22日、三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が都塚に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館を焼き討ちにした。栗原は秩父に逃亡したが、後に武田に許しを請い、武田が了承した事で甲斐国に帰参している。続く6月24日には、別の一手が今諏訪にて大井信達・今井信是と交戦して大勝したが、武田軍も曽根大学助を失った。信達と今井は降伏し、信達は武田から隠居・出家を命じられ、信達の嫡男大井信業が家督を継いだ。此の一連の征伐により、甲斐国内の有力国人領主に対する武田信虎の統制が一段と強まる事となる。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,520 1 10 以下2名が、川田館から躑躅ヶ崎館に移住する。
①武田信虎
②大井の方
此の時には、躑躅ヶ崎館は政庁としての機能を備えるまでに至っていた。武田は、家臣のみならず、有力国人領主にも躑躅ヶ崎館の城下町への移住を命じた。此れは、直臣ではない国人領主を自領から切り離して被官化する為であった。此れにより、以下3名も、移住を余儀無くされた。
①栗原信友
②大井信達
③今井信是
1,520 4 躑躅ヶ崎館の落慶法会が執り行われる。
1,520 6 兼ねてから武田信虎から距離を置いていた以下3名が、公然と武田に反発する姿勢を示し、自領へ帰還する。
①栗原信友
②大井信達
③今井信是
此れを受けて武田は、配下の以下2名に鎮圧を命じ、兵を三手に分けて征伐に向かった。
①板垣信方
②曽根昌長
1,520 6 22 三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、都塚(現在の山梨県笛吹市一宮町)に進軍し、栗原信友の居館である栗原氏館(現在の山梨県山梨市上栗原)を焼き討ちにする。栗原は秩父に逃亡し、後に武田に許しを請うた。武田は了承し、栗原は甲斐国に帰参した。
1,520 6 24 三手に分かれた武田信虎軍の内の一手が、今諏訪(現在の山梨県南アルプス市上今諏訪)にて、以下2名と交戦し、大勝する。
①大井信達
②今井信是
しかし武田軍は、曽根大学助が戦死した。信達・今井は降伏した。信達は、武田から隠居・出家を命じられ、信達の嫡男大井信業が家督を継いだ。
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