西暦1,517年は、後の世界を変える宗教改革が始まり、日本海側でも争乱が続いた年である。10月31日、ドイツの神学者マルティン・ルターが「95箇条の論題」を発表し、贖宥状を販売したローマ教皇レオ10世を批判した。此れに賛同する人々がルター派(プロテスタント)を結成し、ローマ教皇を奉じるカトリックとの対決姿勢を強めた。国内では、丹後国の延永春信が若狭国へ侵攻して和田まで攻め込み、武田元信は朝倉孝景に救援を求めた。朝倉孝景が朝倉宗滴を急派して延永勢を破ると、延永は丹後国の倉梯城へ敗走して抗戦したが、9月に朝倉宗滴らに倉梯城を落とされ、延永春信は再び若狭国へ攻め込んだ所を本郷氏らに討たれた。10月には、三好之長が淡路水軍を掌握する為に淡路へ侵攻し、細川高国方へ寝返っていた細川尚春は堺へ逃れた。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦

≈は「頃」を意味しています。

皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー
年月日 出来事
1,517 4 武田元信が、若狭国に不穏な噂が有るとの情報を得る。
1,517 6 延永春信勢が、若狭国に侵攻する。和田(現在の福井県大飯郡高浜町)にまで攻め込んだ。武田元信は、朝倉孝景に救援を求めた。又、室町幕府にも働き掛け、足利義稙は武田の支援を命じる御内書を出した。
1,517 7 朝倉孝景が、朝倉宗滴率いる軍を武田元信に急派する。其の後朝倉は、延永春信勢を破り、延永勢は丹後国へ敗走し、倉梯城(現在の京都府舞鶴市行永)に籠城し、抗戦した。
1,517 7 以下が高浜城(現在の福井県大飯郡高浜町事代城山)の防備を固める。
①朝倉景職
②逸見氏
③本郷氏
1,517 7 白井清胤等の軍勢が、余戸(現在の京都府舞鶴市余部上・余部下・和田・長浜)に布陣する。
1,517 9 朝倉宗滴が、逸見氏と共に倉梯城を落城させる。
1,517 9 16 延永春信勢が若狭国に侵攻する。しかし、本郷氏等に討たれた。
1,517 10 三好之長が、淡路水軍を掌握する為淡路に侵攻する。細川高国方に寝返っていた細川尚春は、堺に逃亡した。
1,517 10 7 白井清胤率いる軍が、堤城(現在の京都府京丹後市丹後町宮)を攻撃する。
1,517 10 25 白井清胤率いる軍が、吉沢城(現在の京都府京丹後市弥栄町吉沢)を攻撃する。
1,517 10 31 ドイツの神学者マルティン・ルターが「95箇条の論題」を発表して、贖宥状を販売したレオ10世を批判する。これに賛同する人たちがルター派(プロテスタント)を結成し、これまでどおりローマ教皇を奉じるカトリックに対し対決姿勢を強める。
皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー