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≈は「頃」を意味しています。
| 年月日 | 出来事 | |||
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| ≈ | 1,507 | 5 | 細川政元が、羽黒山(現在の山形県鶴岡市羽黒町手向羽黒山)に巡礼に行くと言い出し、京都を出発する。丹波国を経由して若狭国に入ったが、此れに驚いた武田元信が、羽黒山巡礼を中止させた。 | |
| ≈ | 1,507 | 5 |
以下2名を始めとする武田元信の援軍が、丹後国へ下る。 ①細川政元 ②赤沢朝経 |
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| 1,507 | 6 | 5 |
細川政元率いる軍が、武田元信の援軍として戦闘に加わる。しかし政元は、以下2名と共に、即座に帰京した。 ①細川澄元 ②三好之長 其れ以前から政元は、行軍の途上に陸奥国へ下向する等と言い出し、戦意が低かった。同日、武田と赤沢朝経は、府中(現在の京都府宮津市中野・大垣付近)への侵攻を開始した。此れを受けて、一色義有が今熊野城、延永春信が阿弥陀ヶ峰城に其々籠城し、武田・赤沢は此れ等を包囲し、戦いが始まった。 |
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| 1,507 | 6 | 21 | 合戦が行われ、武田氏が敗北する。 | |
| 1,507 | 7 | 5 | 細川政元が京都に入る。 | |
| 1,507 | 7 | 8 | 安良山城を攻めていた細川澄之率いる軍が、安良山城主石川直経と講和する。細川は、安良山城は陥落したと触れ回った上で、落城を偽装して兵を引き上げて京都に戻った。但此の時点で、府中(現在の京都府宮津市中野・大垣付近)では、依然として今熊野城の一色義有本隊・阿弥陀ヶ峰城の延永春信勢を武田元信・赤沢朝経勢が包囲している状態であった。 | |
| 1,507 | 8 | 1 |
細川政元が、自身の屋敷の湯殿にて、魔法を修する為と称して行水を行なっている最中に、以下2名によって殺害される。 ①竹田孫七 ②福井四郎 此の暗殺を企て、竹田・福井を唆したのは以下2名であった。 ①香西元長 ②薬師寺長忠 |
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| 1,507 | 8 | 2 |
以下3名が、細川澄元・三好之長の屋敷を攻撃する。 ①細川澄之 ②香西元長 ③薬師寺長忠 三好は、細川を守って青地城(現在の滋賀県草津市青地町)に逃れ、其の後、山中為俊を頼って甲賀郡に落ち延び、山中の下で、在地勢力を味方に引き入れ、近江国人衆を取り込んだ。 |
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| 1,507 | 8 | 3 |
細川政元が京都で家臣に殺害されたとの情報が、丹後国に居た以下の細川政元勢に齎される。 ①赤沢朝経 ②赤沢長経 ③古市胤盛 ④粟屋親栄 朝経は、一色義有と和睦した。又此の頃、細川政元が殺害された事を知った石川直経等が挙兵し、普甲谷(現在の京都府宮津市小田)で合戦を行った。 |
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| 1,507 | 8 | 4 |
赤沢朝経が宮津城(現在の京都府宮津市鶴賀)に退く。退路を塞がれた赤沢は、文殊堂(現在の京都府宮津市文珠)にて自刃した。又武田元信率いる軍は、以下2名を含む数百名の戦死者を出し、若狭国・丹波国へ退却した。 ①粟屋親栄 ②古市胤盛 |
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| 1,507 | 8 | 16 | 細川澄之が、丹波国から上洛する。足利義澄は、細川に御内書を下し、細川京兆家の当主として承認した。 | |
| 1,507 | 9 | 2 | 六角氏綱が、京都から近江国に帰国する。六角は、当初は細川澄之と結んでいたものの裏切り、京都の人々は、更に政治情勢が不安定になるのではないかと危惧した。 | |
| 1,507 | 9 | 7 |
近江国甲賀の国人等と共に京都に戻った三好之長が、以下3名等と共に、細川澄之の屋敷を襲撃する。 ①細川高国 ②細川政賢 ③細川尚春 澄之は自害し、以下2名は討死した。 ①香西元長 ②薬師寺長忠 |
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| 1,507 | 9 | 8 | 細川澄元が、足利義澄に拝謁し、京兆家の家督を承認される。 | |
| ≈ | 1,507 | 10 | 赤沢長経が、細川澄元の命により、大和国への侵攻を開始する。 | |
| 1,507 | 10 | 3 | 赤沢長経が大和国への再侵攻に向けて動き出しているとの報が、大和国衆一揆に齎される。 | |
| 1,507 | 10 | 15 |
赤沢長経が、宇治を出陣し、以下に着陣する。 ①木津 ②狛(現在の京都府木津川市山城町上狛) ③祝園(現在の京都府相楽郡精華町) 対する筒井党は郡山周辺に布陣した。 |
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| 1,507 | 10 | 20 |
以下3名が大和国に入り、其々布陣する。 ①箸尾為国(宿院堂(現在の奈良県奈良市)に布陣) ②十市遠治(西御門堂(現在の奈良県奈良市)に布陣) ③楢原栄遠(内侍原堂(現在の奈良県奈良市)に布陣) |
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| 1,507 | 10 | 21 |
越智家教が、赤沢長経率いる軍に対抗する為、大和国衆一揆と合流する。又、畠山家の足軽も、以下を経由して大和国に入った。 ①鳥見(現在の奈良県奈良市富雄地区) ②生駒 |
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| 1,507 | 11 | 10 | 大和国衆一揆が、山田(現在の京都府相楽郡精華町)に攻撃を仕掛ける。赤沢長経率いる軍も、木津から打って出て反撃し、各所で合戦となる。 | |
| 1,507 | 11 | 16 |
畠山義英の重臣である遊佐氏が、生駒を越えて大和国に入る。大和国衆一揆と共に、赤沢長経率いる軍を挟み撃ちにする事が狙いであった。此れを受けて細川澄元は、山崎付近まで出陣し、以下2名を牽制した。 ①畠山義英 ②畠山尚順 義英・尚順は動きを止めた。其の隙を突いて、赤沢は、般若寺(現在の奈良県奈良市)付近へ進軍した。 |
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| 1,507 | 11 | 22 |
以下の人間が赤沢長経に加勢し、一斉に攻撃を開始する。 ①古市澄胤 ②三好長尚 ③丹波五人衆 此れにより、大和国衆一揆は総崩れとなり、以下の人間は没落し、落ち延びた。 ①成身院順盛(高屋(現在の大阪府羽曳野市古市)に落ち延びた) ②筒井順賢(高屋に落ち延びた) ③十市遠治(太子(現在の大阪府南河内郡)に落ち延びた) ④箸尾為国(堺に落ち延びた) ⑤布施行国(吉野に落ち延びた) ⑥楢原栄遠(栃原(現在の奈良県吉野郡下市町)) ⑦越智家令(下渕(現在の奈良県吉野郡大淀町)) ⑧片岡氏 赤沢は、大和国に入った。 |
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| 1,507 | 11 | 24 | 赤沢長経が、番条(現在の奈良県大和郡山市)にて陣を固める。 | |
| 1,507 | 12 | 7 | 赤沢長経が、京都に引き上げる。 | |
| 1,507 | 12 | 16 | 大和国衆一揆が再度蜂起し、赤沢長経率いる軍を大和国まで退かせる。 | |
| 1,507 | 12 | 18 | 赤沢長経が、大和国衆一揆と交戦し、周辺を焼き討ちにする。 | |
| 1,507 | 12 | 20 | 大和国衆一揆が、赤沢長経方と交戦するも敗れ、大和国一帯が焼き払われる。 | |
| 1,507 | 12 | 28 |
以下2名が、上洛を意図し、大船70隻を中心とした艦隊を率い、三田尻(現在の山口県防府市)を出発する。 ①足利義稙 ②大内義興 大内は、右田弘詮等に本国の留守を任せた上で出発に至った。足利・大内は、西国の有力守護に味方になる様要請しつつ、防府に入った。 |
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