西暦1507年は、管領細川政元が暗殺され、細川京兆家の家督を巡る争いが噴き出した年である。5月頃、政元は羽黒山への巡礼を言い出して京都を発ち、丹波国を経て若狭国に入った所を武田元信に中止させられ、6月5日に丹後国で武田の援軍として戦闘に加わりながらも、細川澄元・三好之長と共に即座に帰京している。行軍の途上でも陸奥国へ下向すると言い出す等、戦意は低かった。西暦1503年11月5日の上洛以降に見え始めた言動の異常は、此処まで深まっていた。7月8日には安良山城を攻めていた細川澄之が城主石川直経と講和しながら落城を偽装して兵を引き上げている。8月1日、細川政元は自邸の湯殿で魔法を修すると称して行水をしている最中に竹田孫七・福井四郎に殺害された。此の暗殺は、細川澄之を擁する香西元長と薬師寺長忠が唆したものであった。西暦1495年に第29代管領として幼い足利義澄を擁して以来十二年、西暦1506年に澄之へ丹波国を、澄元へ摂津国を分け与えた家督の曖昧さが、主の命を奪った事になる。澄之方は8月2日に細川澄元・三好之長の屋敷を襲い、三好は澄元を守って青地城へ逃れ、更に山中為俊を頼って甲賀郡に落ち延び、近江国人衆を取り込んだ。8月16日、足利義澄は細川澄之を京兆家当主として承認したが、9月7日、甲賀の国人衆を率いて京都へ戻った三好之長が細川高国・細川政賢・細川尚春等と共に澄之の屋敷を襲い、澄之は自害し、西暦1502年に義忠を斬った香西元長と薬師寺長忠も討たれた。翌8日、細川澄元が足利義澄に拝謁して京兆家の家督を認められている。丹後国では8月3日に政元横死の報が届き、西暦1506年に大和国を焼き払った赤沢朝経は一色義有と和睦したものの、石川直経等の挙兵で退路を断たれ、8月4日、宮津城へ退いた末に文殊堂で自刃した。武田元信も粟屋親栄・古市胤盛を含む数百名を失って若狭国・丹波国へ退いている。12月28日には足利義稙と、西暦1500年に32膳で将軍を饗応した大内義興が、大船70隻を中心とした艦隊を率いて三田尻を発ち、上洛の途に就いた。

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年月日 出来事
1,507 5 細川政元が、羽黒山(現在の山形県鶴岡市羽黒町手向羽黒山)に巡礼に行くと言い出し、京都を出発する。丹波国を経由して若狭国に入ったが、此れに驚いた武田元信が、羽黒山巡礼を中止させた。
1,507 5 以下2名を始めとする武田元信の援軍が、丹後国へ下る。
①細川政元
②赤沢朝経
1,507 6 5 細川政元率いる軍が、武田元信の援軍として戦闘に加わる。しかし政元は、以下2名と共に、即座に帰京した。
①細川澄元
②三好之長
其れ以前から政元は、行軍の途上に陸奥国へ下向する等と言い出し、戦意が低かった。
1,507 6 21 合戦が行われ、武田氏が敗北する。
1,507 7 5 細川政元が京都に入る。
1,507 7 8 安良山城を攻めていた細川澄之率いる軍が、安良山城主石川直経と講和する。細川は、安良山城は陥落したと触れ回った上で、落城を偽装して兵を引き上げて京都に戻った。但此の時点で、府中(現在の京都府宮津市中野・大垣付近)では、依然として今熊野城の一色義有本隊・阿弥陀ヶ峰城の延永春信勢を武田元信・赤沢朝経勢が包囲している状態であった。
1,507 8 1 細川政元が、自身の屋敷の湯殿にて、魔法を修する為と称して行水を行なっている最中に、以下2名によって殺害される。
①竹田孫七
②福井四郎
此の暗殺を企て、竹田・福井を唆したのは以下2名であった。
①香西元長
②薬師寺長忠
1,507 8 2 以下3名が、細川澄元・三好之長の屋敷を攻撃する。
①細川澄之
②香西元長
③薬師寺長忠
三好は、細川を守って青地城(現在の滋賀県草津市青地町)に逃れ、其の後、山中為俊を頼って甲賀郡に落ち延び、山中の下で、在地勢力を味方に引き入れ、近江国人衆を取り込んだ。
1,507 8 3 細川政元が京都で家臣に殺害されたとの情報が、丹後国に居た以下の細川政元勢に齎される。
①赤沢朝経
②赤沢長経
③古市胤盛
④粟屋親栄
朝経は、一色義有と和睦した。又此の頃、細川政元が殺害された事を知った石川直経等が挙兵し、普甲谷(現在の京都府宮津市小田)で合戦を行った。
1,507 8 4 赤沢朝経が宮津城(現在の京都府宮津市鶴賀)に退く。退路を塞がれた赤沢は、文殊堂(現在の京都府宮津市文珠)にて自刃した。又武田元信率いる軍は、以下2名を含む数百名の戦死者を出し、若狭国・丹波国へ退却した。
①粟屋親栄
②古市胤盛
1,507 8 16 細川澄之が、丹波国から上洛する。足利義澄は、細川に御内書を下し、細川京兆家の当主として承認した。
1,507 9 2 六角氏綱が、京都から近江国に帰国する。六角は、当初は細川澄之と結んでいたものの裏切り、京都の人々は、更に政治情勢が不安定になるのではないかと危惧した。
1,507 9 7 近江国甲賀の国人等と共に京都に戻った三好之長が、以下3名等と共に、細川澄之の屋敷を襲撃する。
①細川高国
②細川政賢
③細川尚春
澄之は自害し、以下2名は討死した。
①香西元長
②薬師寺長忠
1,507 9 8 細川澄元が、足利義澄に拝謁し、京兆家の家督を承認される。
1,507 12 28 以下2名が、上洛を意図し、大船70隻を中心とした艦隊を率い、三田尻(現在の山口県防府市)を出発する。
①足利義稙
②大内義興
大内は、右田弘詮等に本国の留守を任せた上で出発に至った。足利・大内は、西国の有力守護に味方になる様要請しつつ、防府に入った。
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