西暦1,396年は、中山王国の主の交代が記録に現れた年である。2月19日、程復が明に対し中山王国として25度目、善佳古耶が北山王国として8度目の進貢を行った。3月頃には察度の使者越来按司が進貢の為明へ向けて出港し、此の際承察度の使者・官生と汪英紫の使者呉宜堪弥結致も同乗している。しかし、察度は前年に死去しており、承察度は亡命し、李氏朝鮮に居た。5月27日、越来按司が明に対し中山王国として26度目、使者・官生と呉宜堪弥結致が南山王国として12度目の進貢を行い、使者・官生の貢物は馬21頭と方物、呉宜堪弥結致の貢物は馬52頭・硫黄4,200kg・蘇木780kgであった。6月頃に程復と善佳古耶が、9月頃に越来按司と使者・官生、呉宜堪弥結致が帰還している。10月頃には武寧の使者蔡奇阿勃耶が進貢の為明へ向けて出港し、此の際三五郎亹と攀安知の使者善佳古耶も同乗した。12月頃、汪英紫の使者宇座按司と渥周結致が、同じ頃察度の使者友賛結致が明へ向けて出港し、友賛結致の船には攀安知の使者恰宣斯耶も同乗している。察度は西暦1350年に群臣に推されて中山王国を建て、西暦1373年1月23日に明の冊封を受けた王であり、承察度は西暦1337年に南山王国を建てた王である。西暦1394年10月4日に察度が李氏朝鮮へ引き渡しを求めた承察度は依然として島に無く、此の年から武寧の名で使者が送られ始めた事は、島の主が入れ替わりつつあった事を示している。10月頃に発った蔡奇阿勃耶の船は翌西暦1397年1月14日に二十七度目の進貢を果たし、三五郎亹も国子監へ戻る。硫黄は島で採れる産物、蘇木は南方から齎される染料の木であり、西暦1371年の海禁令の下で琉球が方々の産物を明へ運ぶ役を担い始めていた事が貢物の中身から見える。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / 韓国の旧暦 / 日本の旧暦 / ヒジュラ暦 / フランス革命暦 / ソビエト連邦暦

≈は「頃」を意味しています。

皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー
年月日 出来事
1,396 2 19 以下2名が進貢を行う。
①程復(中山王国として25度目)
②善佳古耶(北山王国として8度目)
1,396 3 察度の使者越来按司が、進貢の為、明へ向けて出港する。この際以下2名も同乗した。
①承察度の使者・官生
②汪英紫の使者呉宜堪弥結致
しかし、察度は前年に死去しており、承察度は亡命し、李氏朝鮮に居た。
1,396 5 27 以下2名が明に進貢を行う。
①越来按司(中山王国として26度目)
②使者・官生と呉宜堪弥結致(南山王国として12度目)
使者・官生の貢物は以下であった。
①馬21頭
②方物
また、呉宜堪弥結致の貢物は以下であった。
①馬52頭
②硫黄4,200kg
③蘇木780kg
1,396 6 以下2名が帰還する。
①程復
②善佳古耶
1,396 9 以下の人間が帰還する。
①越来按司
②使者・官生と呉宜堪弥結致
1,396 10 武寧の使者蔡奇阿勃耶が、進貢の為、明へ向けて出港する。この際、三五郎亹と攀安知の使者善佳古耶も同乗した。
1,396 12 以下2名の汪英紫の使者が、進貢の為、明へ向けて出港する。
①宇座按司
②渥周結致
1,396 12 察度の使者友賛結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。この際、攀安知の使者恰宣斯耶も同乗した。
皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー