西暦1201〜1300年は、源頼家が蹴鞠に耽溺し御家人の所領再分配を命じるも反対され、北条氏が台頭した時代である。重源が東大寺大仏殿の再建に尽力し、和田合戦で北条義時が和田義盛を滅ぼした。源実朝が暗殺され、承久の乱を経て北条氏の執権政治が確立した。モンゴル帝国がユーラシア大陸に拡大した。

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≈は「頃」を意味しています。

東大寺大仏殿の再建に尽力した重源と陳和卿に関する電子書籍 垣間見える実直さとプライド。
年月日 出来事
1,215 第4ラテラン公会議(通算12回目の公会議)で、利子が非難されたが、ユダヤ教徒には認められた。また、ユダヤ人に対する差別法が作られ、ユダヤ人は黄色のバッジをつける事を要求される。
1,215 アラーウッディーン・ムハンマドが、フィールズクーフ(現在のイランのテヘラン州)を征服し、ジャラールッディーン・アリーを捕縛する。アリーは直ぐにガズニーに進軍し、タージ・アルディン・ユルディズを破った。ユルディズはフィールズクーフを手放し、パンジャーブに敗走した。其の後ユルディズは、ナースィル・ウッディーン・カバチャからラホールを奪取し、パンジャーブ地方の一部を手中に収めた。シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュは此の侵略に抗議したが、聞き入れられなかった為、ユルディズ征伐の為、ラホールに進軍した。イルトゥトゥミシュは、ユルディズが最終的にデリーに進軍するのではないかと懸念していた。ユルディズはイルトゥトゥミシュに、自分こそがシハーブッディーン・ムハンマドの後継者であり、旧ゴール朝領土に対する権限を有するという主旨の書簡を送った。アリーはホラズム・シャー朝に連行され、名誉な亡命生活を送った。
1,215 2 6 8時、北条時政が腫物により、伊豆国北条郡(現在の静岡県伊豆の国市韮山地区)にて死去する。
1,215 8 1 明菴栄西が建仁寺にて入滅する。
1,215 8 2 後鳥羽上皇の指示により、坊門信清が源実朝に、西暦1,215年6月30日に仙洞御所にて行われた和歌会の参加者の花押付の纏め1巻を送る。
1,215 10 8 伊賀朝光が死去する。
1,215 10 9 伊賀朝光が、二階堂行政の屋敷の後山に埋葬される。北条義時も参列した。
源実朝に関する電子書籍 短期間で位階の昇叙と官職の昇進を重ねたが中身は...