西暦1215年は、第4ラテラン公会議でユダヤ人に対する差別法が作られ、北条時政が死去し、明菴栄西が入滅した年である。第4ラテラン公会議では利子が非難されたがユダヤ教徒には認められ、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュはラホールを奪取したタージ・アルディン・ユルディズの征伐の為、ラホールに進軍した。2月6日に北条時政が腫物により伊豆国北条郡にて死去し、8月1日には明菴栄西が建仁寺にて入滅している。

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年月日 出来事
1,215 第4ラテラン公会議(通算12回目の公会議)で、利子が非難されたが、ユダヤ教徒には認められた。また、ユダヤ人に対する差別法が作られ、ユダヤ人は黄色のバッジをつける事を要求される。
1,215 アラーウッディーン・ムハンマドが、フィールズクーフ(現在のイランのテヘラン州)を征服し、ジャラールッディーン・アリーを捕縛する。アリーは直ぐにガズニーに進軍し、タージ・アルディン・ユルディズを破った。ユルディズはフィールズクーフを手放し、パンジャーブに敗走した。其の後ユルディズは、ナースィル・ウッディーン・カバチャからラホールを奪取し、パンジャーブ地方の一部を手中に収めた。シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュは此の侵略に抗議したが、聞き入れられなかった為、ユルディズ征伐の為、ラホールに進軍した。イルトゥトゥミシュは、ユルディズが最終的にデリーに進軍するのではないかと懸念していた。ユルディズはイルトゥトゥミシュに、自分こそがシハーブッディーン・ムハンマドの後継者であり、旧ゴール朝領土に対する権限を有するという主旨の書簡を送った。アリーはホラズム・シャー朝に連行され、名誉な亡命生活を送った。
1,215 2 6 8時、北条時政が腫物により、伊豆国北条郡(現在の静岡県伊豆の国市韮山地区)にて死去する。
1,215 8 1 明菴栄西が建仁寺にて入滅する。
1,215 8 2 後鳥羽上皇の指示により、坊門信清が源実朝に、西暦1,215年6月30日に仙洞御所にて行われた和歌会の参加者の花押付の纏め1巻を送る。
1,215 10 8 伊賀朝光が死去する。
1,215 10 9 伊賀朝光が、二階堂行政の屋敷の後山に埋葬される。北条義時も参列した。