西暦1512年は、大内義興が従三位に叙せられ、足利義稙が赤松義村を赦免する旨の御内書を発した年である。叙せられたのは4月14日の事で、船岡山合戦の勝利によって洛中に平和を齎した功績を後柏原天皇から認められての物であり、三条西実隆は憤懣を露わにした。御内書は5月頃に細川政元の異母姉洞松院の働き掛けにより大内義興と細川高国に発せられ、12月23日には別所則治と浦上村宗が上洛した。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,512 3 3 内藤貞正の主催で、細川高国の屋敷にて、猿楽興行が催される。
1,512 4 14 大内義興が、船岡山合戦の勝利によって洛中に平和を齎した功績を後柏原天皇から認められ、従三位に叙せられる。三条西実隆は「田舎者の武士ごときの頼みを、よりにもよって私が何度も親身に取り次いでやった。我ながら情けない、悔やんでも悔やみ切れぬ」と、憤懣を露わにした。
≈ 1,512 5 足利義稙が、細川政元の異母姉洞松院の働き掛けにより、以下2名に、赤松義村を赦免する旨の御内書を発する。
①大内義興
②細川高国
≈ 1,512 5 大河内貞綱が、曳馬城を占拠する。其の後大河内は堀江城(現在の静岡県浜松市中央区舘山寺町)攻めを行うが、失敗に終わった。
1,512 5 17 今川氏親率いる軍が、浜名湖周辺にて、斯波義達と交戦する。其の後一旦休戦となった。
≈ 1,512 7 以下2名が、尼崎にて会談する。
①洞松院
②細川高国
1,512 12 23 以下2名が上洛する。
①別所則治
②浦上村宗
別所・浦上は、官途叙任の相談をし、足利義稙に礼物を献じて謝意を表した。此れにより赤松義村は、兵部少輔の官位と「義」の一字を授かり、改名した。