西暦1208年は、源実朝が天然痘を患い、後鳥羽上皇が鞠会で2,000回余りの記録を作った年である。2月20日に源実朝が天然痘を発病し、3月11日には後鳥羽上皇が水無瀬離宮の鞠会で記録を作って飛鳥井雅経から鞠道の長者の称号を贈られ、3月17日に源実朝は天然痘から治癒した。12月17日、宇都宮頼綱が摂津国勝尾寺の草庵で念仏の教えを説いていた法然を訪ね、以降法然の弟子証空に師事している。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,208 カイマズ・ルミ率いる軍が、イワズ・ハルジーに与えられたカンゴリ(現在のインドのカルナータカ州)のジャーギールを通過し、ムハンマド・シーラン・ハルジーの軍と交戦する。シーランはディナジプール(現在のバングラデシュのロンプール管区)に逃亡したが、直後に死亡した。ルミはイワズを次代ベンガル総督に任命し、アワドに帰還した。
1,208 この年から翌年にかけて、ギヤースッディーン・マフムードがクトゥブッディーン・アイバクに対し、儀式用の傘であるチャトルを授け、ヒンドゥスターンの統治者として認める叙任証書を発行する。
1,208 クトゥブッディーン・アイバクが、ガズニーに侵攻し、占領する。ギヤースッディーン・マフムードが、タージ・アルディン・ユルディズがガズニーを統治している事を快く思っていなかった事が背景としてあった。しかし40日後、アイバクはユルディズのガズニー奪還を許し、撤退した。その後アイバクはラホール(現在のパキスタンのパンジャーブ州)を拠点とし、マフムードの宗主権を認めた。
1,208 2 20 源実朝が天然痘を発病する。此の日鶴岡八幡宮寺への出御は無かった。
1,208 3 11 後鳥羽上皇が、水無瀬離宮(現在の大阪府三島郡島本町東大寺)にて行われた鞠会で、2,000回余りという記録を作る。其の後飛鳥井雅経は、後鳥羽上皇に「鞠道の長者」の称号を贈った。
1,208 3 17 源実朝が天然痘から治癒し、沐浴を行う。
1,208 7 13 西八条禅尼に仕える藤原清綱が、先祖の藤原基俊が書写した「古今和歌集」の一部を源実朝に献上する。此の時藤原は、後鳥羽上皇が新日吉神宮(現在の京都府京都市東山区妙法院前側町)で催した流鏑馬について語った。
1,208 12 17 宇都宮頼綱が、摂津国勝尾寺(現在の大阪府箕面市粟生間谷)の草庵で念仏の教えを説いていた法然を訪ね、以降法然の弟子証空に師事し、熱心な浄土教の弟子となった。