西暦1201〜1300年は、源頼家が蹴鞠に耽溺し御家人の所領再分配を命じるも反対され、北条氏が台頭した時代である。重源が東大寺大仏殿の再建に尽力し、和田合戦で北条義時が和田義盛を滅ぼした。源実朝が暗殺され、承久の乱を経て北条氏の執権政治が確立した。モンゴル帝国がユーラシア大陸に拡大した。

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≈は「頃」を意味しています。

東大寺大仏殿の再建に尽力した重源と陳和卿に関する電子書籍 垣間見える実直さとプライド。
年月日 出来事
1,208 カイマズ・ルミ率いる軍が、イワズ・ハルジーに与えられたカンゴリ(現在のインドのカルナータカ州)のジャーギールを通過し、ムハンマド・シーラン・ハルジーの軍と交戦する。シーランはディナジプール(現在のバングラデシュのロンプール管区)に逃亡したが、直後に死亡した。ルミはイワズを次代ベンガル総督に任命し、アワドに帰還した。
1,208 この年から翌年にかけて、ギヤースッディーン・マフムードがクトゥブッディーン・アイバクに対し、儀式用の傘であるチャトルを授け、ヒンドゥスターンの統治者として認める叙任証書を発行する。
1,208 クトゥブッディーン・アイバクが、ガズニーに侵攻し、占領する。ギヤースッディーン・マフムードが、タージ・アルディン・ユルディズがガズニーを統治している事を快く思っていなかった事が背景としてあった。しかし40日後、アイバクはユルディズのガズニー奪還を許し、撤退した。その後アイバクはラホール(現在のパキスタンのパンジャーブ州)を拠点とし、マフムードの宗主権を認めた。
1,208 2 20 源実朝が天然痘を発病する。此の日鶴岡八幡宮寺への出御は無かった。
1,208 3 11 後鳥羽上皇が、水無瀬離宮(現在の大阪府三島郡島本町東大寺)にて行われた鞠会で、2,000回余りという記録を作る。其の後飛鳥井雅経は、後鳥羽上皇に「鞠道の長者」の称号を贈った。
1,208 3 17 源実朝が天然痘から治癒し、沐浴を行う。
1,208 7 13 西八条禅尼に仕える藤原清綱が、先祖の藤原基俊が書写した「古今和歌集」の一部を源実朝に献上する。此の時藤原は、後鳥羽上皇が新日吉神宮(現在の京都府京都市東山区妙法院前側町)で催した流鏑馬について語った。
1,208 12 17 宇都宮頼綱が、摂津国勝尾寺(現在の大阪府箕面市粟生間谷)の草庵で念仏の教えを説いていた法然を訪ね、以降法然の弟子証空に師事し、熱心な浄土教の弟子となった。
源実朝に関する電子書籍 短期間で位階の昇叙と官職の昇進を重ねたが中身は...