西暦1201〜1300年は、源頼家が蹴鞠に耽溺し御家人の所領再分配を命じるも反対され、北条氏が台頭した時代である。重源が東大寺大仏殿の再建に尽力し、和田合戦で北条義時が和田義盛を滅ぼした。源実朝が暗殺され、承久の乱を経て北条氏の執権政治が確立した。モンゴル帝国がユーラシア大陸に拡大した。

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東大寺大仏殿の再建に尽力した重源と陳和卿に関する電子書籍 垣間見える実直さとプライド。
年月日 出来事
1,207 以下2名の法要が小沢城にて執り行われる。
①畠山重忠
②畠山重秀
参列した重忠の妻は、同じく参列した上野国篠塚(現在の群馬県邑楽郡邑楽町)の小沢玄蕃に勧められ、小沢の屋敷へと移り住んだ。その頃新田荘岩松郷(現在の群馬県太田市)には足利義兼の長男足利義純が居住していた。義純は、母の身分が低かった為、所領を与えられず、源義重が、自身の所領の岩松郷を義純に与えていた。
1,207 1 22 東重胤が、北条義時の屋敷を訪れ、西暦1,206年12月19日に鎌倉に帰還した後、源実朝から蟄居を命じられた件について相談する。北条は「和歌を詠んで献上しなさい。そうすれば直ぐにご機嫌が良くなるでしょう」と助言し、東を伴って源の屋敷を訪ね、東の和歌を詠んで東を庇った。源はその歌を3回吟じ、門外で待つ東を呼び、歌の事を訪ね、東を赦免した。
1,207 2 3 源実朝が、従四位上に昇叙する。
1,207 3 女房の一部が出家した事や、男性を自分の不在中に仙洞御所内に泊めた事を知った後鳥羽上皇が激怒し、専修念仏の停止を決定する。加えて、尊長の裁断により、以下の法然の弟子4名が死罪となった。
①西意善綽房
②性願房
③住蓮房(近江国馬淵(現在の滋賀県近江八幡市)にて処刑)
④安楽房(六条河原にて処刑)
1,207 3 28 後鳥羽上皇が、以下の人間を流罪に処する。
①法然(土佐国幡多(現在の高知県)へ配流、罪人としての名は藤井元彦男)
②法然の弟子7名
❶親鸞(越後国国府(現在の新潟県上越市)へ配流、罪人としての名は藤井善信)
❷浄聞房(備後国へ配流)
❸澄西禅光房(伯耆国へ配流)
❹好覚房(伊豆国へ配流)
❺行空法本房(佐渡国へ配流)
❻幸西成覚房(遠流の予定であったが、無動寺(現在の滋賀県大津市坂本本町)の慈円が身柄を預かった為免れた)
❼善恵房(遠流の予定であったが、無動寺の慈円が身柄を預かった為免れた)
親鸞は、此の様な罰を受け、もう僧でも俗人でも無い立場となった事から、自ら「禿」の字を姓として用い、朝廷に奏上した。配流後は、署名の際「愚禿親鸞」と書く様になった。
1,207 9 8 小雨の中、鶴岡八幡宮寺の放生会にて、警護を命じられていた吾妻助光等数名が任務を怠る。急遽代わりの者が手配されたが、源実朝の出発が16時になってしまい、舞楽の奉納が夜にずれ込んだ。源は二階堂行光を呼び、今後此の様な失態を犯す事の無い様咎めた。源は舞楽を最後迄観覧する事無く、途中で帰宅した。
1,207 9 10 以下の人間が参集し、2日前に源実朝の警護を怠った者を詰問する。
①北条義時
②北条時房
③大江広元
④三善康信
⑤二階堂行光
詰問された者達は「身内の不幸により服喪していた」、「病気で体調を崩していた」等と理由述べた。そんな中吾妻助光は「武勇を買われて採用されたにも拘らず、其の任務を怠るとは何事か」と二階堂に問い詰められた。吾妻は「晴れの舞台の為に用意した鎧を鼠に齧られてしまい、傷物の鎧で列に加わっては却って源殿の恥になると考えて自重しました」という主旨の弁明をした。二階堂は「鎧を新調したのか?列に加わるのはあくまで警護が目的であり、新調の鎧で着飾るのでは無く、先祖代々使い古された傷んだ鎧を着てこそ武士の誉れである」と叱り付けた。斯うして吾妻は出仕を止められた。
1,207 12 23 曇り空で時々雪が降る中、大倉御所で酒宴が行われる。以下の人間が参加した。
①源実朝
②北条義時
③大江広元
そんな中、青鷺が1羽、進物の並べてある部屋に入って来て、寝殿の上に留まった。源は、不愉快なので誰か射落とす様命じるが、其の時大倉御所内には腕の立つ者が居なかった。其処で北条が「吾妻助光が、源殿のお怒りを嘆き訴えたいからと、今大倉御所の近所に居ります。吾妻を呼びましょうか?」という主旨の進言をした。源は承諾し、使いを遣わせると吾妻は慌ててやって来た。吾妻は慌てた為か、衣服を逆さに着ていた。鏃を外した引目の矢を指に挟み、濡れ縁の橋の階段の陰から様子を見ながら、鷹の羽を使った矢を射た。すると、左の眼から出血した青鷺が庭先に落下した。吾妻は矢羽根を青鷺の眼に掠らせて生け捕りにしてみせた。此の妙技に感心した源は、吾妻の出仕を再開させ、更には剣を与えた。
1,207 12 29 源実朝が、正四位下に昇叙する。
源実朝に関する電子書籍 短期間で位階の昇叙と官職の昇進を重ねたが中身は...