西暦627年は、塹壕によってマディーナが守られ、クライシュ族の権威が揺らいだ年である。3月、アブー・スフヤーン率いる10,000名のメッカ軍が進撃したが、サルマーン・アル・ファーリスィーに掘らせた塹壕に阻まれ、ムハンマド軍が勝利した。年の後半にはザイド・イブン・ハリータが遠征を重ねたが、11月のワーディー・アル・クラー襲撃で負傷した。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
627 3 2年前の敗戦を教訓にムハンマド・イブン・アブドゥッラーフは、教友であり、土木技術者のサルマーン・アル・ファーリスィーに塹壕を掘らせていた。アブー・スフヤーン率いるメッカ軍はアラビア北西部の遊牧民から勇猛な騎兵を集め、更にムハンマドによって追放されたユダヤ教徒を加えた10,000名の軍勢でマディーナに向かって進撃する。しかし、初めて見る塹壕に苦戦し、マディーナ内にいるユダヤ教徒と連携を試み、協定を結ぶが、ユダヤ教徒がメッカ側に人質を要求した事から話が拗れ、ユダヤ教徒が参戦する事は無かった。結果、ムハンマド軍が勝利する。クライシュ族の権威は低下し、遊牧民や小オアシスの住民の中には同盟相手をクライシュ族からムハンマドに変える勢力が多く現れた。又、スフヤーンは指揮権を他のクライシュ族に譲る事となった。
627 9 ザイド・イブン・ハリータがアル・ジュムム(現在のサウジアラビアのマッカ州)へ軍事遠征を行う。
627 10 ザイド・イブン・ハリータがアル・イスへ軍事遠征を行う。また、アット・タラフ(現在のサウジアラビアの東部州)やナクル(現在のオマーンの南バーティナ行政区)にも出向き、ナクルでは襲撃を行った。
627 11 ザイド・イブン・ハリータ率いる軍が、ワーディー・アル・クラー(現在のサウジアラビアのマッカ州)を襲撃するが、ファザラ族によりムスリムの一部が殺害され、ハリータも負傷し戦線離脱した。ハリータは復讐を誓い、もう一度ファザラ族を急襲するまでは頭を洗わないと決めた。