以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦
≈は「頃」を意味しています。
皇室献上品 高級トイレットペーパー
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 628 | ヘラクレイオスがササン朝ペルシアの首都クテシフォンを占領し、降伏させる。 | |||
| 628 | イラン西部で黒死病が流行する。 | |||
| 628 | 1 | 10 |
ザイド・イブン・ハリータが前年11月のワーディー・アル・クラーでの負傷の怪我が癒えた為、ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフの指示で、大軍を率い、朝の祈りを終えた後、再度ワーディー・アル・クラーへ攻め込み、ファザラ族を撃破した。又、以下2名を捕虜にした。 ①ウンム・キルファ ②アブダラ・ビン・マスアダ ハリータの指示によりキルファは両足をロープで縛られ、其のロープを2頭の駱駝に結び付け、2つに切断された。其の後キルファは斬首され、首級はアブドゥッラーフに贈られた。 |
|
| 628 | 2 | ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが、暗殺されたアブ・ラフィーの後任としてカイバルのユダヤ人の長に就き、ラフィーと同じくガタファン族と良好な関係を維持していたアル・ユサイル・イブン・リザムが自身の襲撃を計画している事を聞き付ける。そこでカズラジ族の指導者アブドゥッラー・イブン・ラワハに3名の従者と共にカイバル(現在のサウジアラビアのマディーナ州)にてリザムに気付かれぬ様情報収集する事を指示した。ラワハ達は、リザムが暗殺を酷く警戒している事を知り、マディーナに帰還し、アブドゥッラーフに報告した。アブドゥッラーフは戦略を練り直し、30名の部下に、駱駝に跨りリザムにマディーナを訪れる様説得する事を指示した。リザムはアブドゥッラー・イブン・ウナイスの馬に乗せられ、ウナイスが其の後ろに乗った。他の馬もユダヤ人が前、ムスリムが後ろに乗る形となった。カイバルから6マイル離れたアル・カルカラートに到着した時、リザムは不審に思いアブドゥッラーフに会いに行く事を思い直し、馬から降り、剣を抜いた。ウナイスはリザムが剣を抜いた事を察知し、突進してリザムの股関節に致命的な一撃を与えた。リザムは床に倒れたがウナイスを殴った。ウナイスは、駱駝の杖を使ってリザムを攻撃した。此れはムスリムの一斉攻撃を行う合図であり、ムスリムは前に乗っていたユダヤ人を殺害していった。結果、逃走に成功した1名を除くリザムとリザムの従者計29名のユダヤ人が殺害された。 | ||
| 628 | 3 |
ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが、信徒を連れ小巡礼の為メッカのカアバ神殿へ向かった。現地で武装したクライシュ族が待ち伏せしているという報告を受けたアブドゥッラーフは、フダイビーヤ(現在のサウジアラビアのマッカ州)に留まり交渉に備えた。先ず、クライシュ族からムハンマドにマディーナへの撤退を求める使者が送られ、メッカに帰還した使者はムハンマドの信徒の忠誠心の高さを報告した。次にアブドゥッラーフはヒラーシュ・イブン・ウマイヤ・アルフザーイーを派遣したが、アルフザーイーがアブドゥッラーフの伝言を伝えると、クライシュ族は激怒し、アルフザーイーの乗っていた駱駝を斬殺、アルフザーイーはそのままフダイビーヤへ戻った。次にアブドゥッラーフはウマル・イブン・ハッターブを使者に選んだが、自身がクライシュ族と敵対している事を理由に辞退、結果ウスマーン・イブン・アッファーンが使者として派遣された。伝言を聞いたクライシュ族はカアバ神殿の周囲を回る儀礼である「タワーフ」を認めたが、アッファーンは妥協しなかった為監禁され、アブドゥッラーフにアッファーン殺害の知らせを届け、ムスリム達は激怒した。ムハンマドは彼らにいかなる事態が起きても自分の命令に従う様、バイア(忠誠の誓い)を行わせた。解放されたアッファーンが帰還した後、クライシュ族からスハイル・イブン・アムルが使者としてフダイビーヤに派遣され、協議を経て以下の和約が成立した。 ①10年間の休戦。 ②巡礼団は一旦マディーナに帰還し、翌年にムスリムの巡礼の為に3日間マッカを開放する。 ③保護者の同意なくマディーナに移住したマッカの住民を無条件でマッカに送還する。 ④ムハンマドの元からマッカのクライシュ族の元に移った人間はそのままマッカに留め置かれる。 ⑤マッカ周辺の部族、個人は自由にムハンマドと同盟を締結出来る。 マッカ側はムハンマドが「アッラーの使徒」として和議を結ぶ事を認めず、「アブドゥッラーの息子ムハンマド」として署名を行わせた。クライシュ族側に有利な内容であった為ハッターブは不満を示した。一方でアブー・バクルはアブドゥッラーフの決定に従った。結局此の年はアブドゥッラーフが目的としていた小巡礼を行う事が出来ず、マディーナに帰還するが、此れに関し多くのムスリムが困惑した。 |
||
| 628 | 4 | 15 | 推古天皇が崩御する。 | |
| 628 | 5 | ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが、先年マディーナから追放したユダヤ教徒系のナディール族の移住先カイバー(現在のサウジアラビアのマディーナ州)の二つの城塞に征伐の為遠征を行う。 | ||
| 628 | 6 |
ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが、2度の遠征によりカイバーのナディール族を降伏させる。アブドゥッラーフはカイバーのナツメヤシ等の耕地に対し、収穫量の半分を税として課す事を条件に、ナディール族がカイバーに住み続ける事を許可した。又、以下のユダヤ教徒系の諸部族が相次いでアブドゥッラーフに服従する事となった。 ①ワーディー・アル・クラー(現在のサウジアラビアのマディーナ州) ②タイマー(現在のサウジアラビアのタブーク州) ③ハナック(現在のサウジアラビアのタブーク州) |
||
| 628 | 10 | ザイド・イブン・ハリータがクシャイン(現在のイエメンのハドラマウト県)やヒスマへ軍事遠征を行い、ユダヤ人と戦う。 | ||