西暦1509年は、アニャデッロでの戦闘でヴェネツィア共和国が敗れ、細川澄元・三好之長率いる軍が如意ヶ嶽に布陣した年である。戦闘は5月14日、布陣は7月4日の事で、ヴェネツィア共和国は本土側の領土を失い、細川高国等率いる20,000名を超える軍が如意ヶ嶽を包囲する様に布陣すると、細川・三好は暴風雨に紛れて撤退した。12月7日には足利義稙が足利義澄の放った刺客に襲撃されたが、長刀で追い払った。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,509 5 14 ヴェネツィア共和国とフランス王国の戦闘がアニャデッロ(現在のイタリアのロンバルディア州クレモナ県)で行われ、ヴェネツィア共和国が敗れ、本土側の領土を失う。
1,509 7 4 以下2名率いる3,000名の軍が如意ヶ嶽(現在の京都府京都市左京区)に布陣する。
①細川澄元
②三好之長
細川・三好は、両者共、阿波国が本拠であり、畿内に勢力基盤を有しておらず、反撃に転じるには阿波国へ帰国する必要が有った。其の為、琵琶湖を越えて、京都の東側を見下ろせる如意ヶ嶽に進軍した。此れに対し、以下3名率いる20,000名を超える軍が、如意ヶ嶽を包囲する様に布陣した。
①細川高国
②大内義興
③畠山尚順
細川・三好は為す術無く、夜から激しくなった暴風雨に紛れて撤退し、阿波国へ帰国した。
1,509 12 7 13時、足利義稙が、側近達との酒宴を終えて仮御所にて就寝している所、和田円珍を始めとする足利義澄の放った刺客に襲撃される。義稙は、衣服や立烏帽子を斬り裂かれ、体に7〜8ヶ所の傷を負いながらも、側に立て掛けてあった長刀を使って刺客を追い払った。