西暦1462年は、細川成之率いる軍が河野通春征伐の為渡海して東予から進軍し、河野通春が湯築城を捨てた年である。進軍は6月頃の事で、南予の宇都宮安綱も北上し、圧倒的な兵力差を前に河野は高縄山・港山城・忽那諸島・来島の山間部や島嶼部に退却した。11月頃には河野教通率いる軍が桜三里付近にて細川成之の軍勢に合流し、包囲網を敷かれた河野通春は海賊衆に細川率いる軍の補給路を断たせ、難を逃れた。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
≈ 1,462 6 細川成之率いる軍が、河野通春征伐の為、渡海して東予から進軍する。同時に、南予の宇都宮安綱も北上した。圧倒的な兵力差を前に、河野は一旦湯築城(現在の愛媛県松山市道後公園)を捨て、以下の山間部や島嶼部に退却した。
①高縄山(現在の愛媛県松山市猿川)
②港山城(現在の愛媛県松山市港山)
③忽那諸島
④来島(現在の愛媛県今治市来島小島)
1,462 6 29 東寺公文浄総が、村上治部進の所務の様子を東寺の僧侶の永尊に知らせる。
≈ 1,462 11 河野教通率いる軍が、桜三里(現在の愛媛県東温市河之内周辺)付近にて、細川成之の軍勢に合流する。包囲網を敷かれ窮地に立たされた河野通春は、海賊衆に細川率いる軍の補給路を断たせ、難を逃れた。