西暦1,405年は、明が琉球の使節を迎える為の駅を設けた年である。明王朝が、琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立する。2月頃、武寧の使者と汪応祖の使者が帰還し、同じ頃武寧の使者三五郎亹が進貢の為明へ向けて出港した。3月頃には武寧の使者養埠結致、攀安知の使者赤佳結致、汪応祖の使者タキが相次いで明へ向けて出港している。4月8日に三五郎亹が中山王国として38度目、4月29日に赤佳結致が北山王国として14度目、5月10日に養埠結致が中山王国として39度目、5月16日にタキが南山王国として18度目の進貢を行い、又、李傑が国子監に留学した。7月頃から8月頃に掛けて三五郎亹・養埠結致・赤佳結致・タキが帰還している。9月頃、武寧の使者新川大親が暹羅へ向けて出港した。那覇にやって来た暹羅船に従って向かったものである。11月頃には武寧の使者新垣大親、攀安知の使者亜都結致、汪応祖の使者タキが進貢の為明へ向けて出港した。来遠駅は琉球の船を迎える為に置かれた施設であり、西暦1373年1月23日に泰期が最初の進貢を行って以来三十二年を経て、往還の頻度が明の側に専用の受け入れ口を作らせるまでに至った事を示している。暹羅への渡航は、西暦1351年にラーマーティボーディー1世が創立したアユタヤ王朝との間に開かれた道であり、明と朝鮮に続く三つ目の相手として、島が東シナ海から南シナ海へ繋がりを伸ばし始めた事を意味する。三山の使者は翌西暦1406年1月16日に揃って貢を納め、中山は四十度目、北山は十五度目、南山は十九度目を数える。李傑の留学は西暦1393年1月26日の四太郎・三五郎亹以来続く形である。

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年月日 出来事
1,405 明王朝が、琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立する。
1,405 2 以下2名が帰還する。
①武寧の使者
②汪応祖の使者
1,405 2 武寧の使者三五郎亹が、進貢の為、明へ向けて出港する。
1,405 3 武寧の使者養埠結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。
1,405 3 攀安知の使者赤佳結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。
1,405 3 汪応祖の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。
1,405 4 8 三五郎亹が明に対し、中山王国として38度目の進貢を行う。
1,405 4 29 赤佳結致が明に対し、北山王国として14度目の進貢を行う。
1,405 5 10 養埠結致が明に対し、中山王国として39度目の進貢を行う。
1,405 5 16 タキが明に対し、南山王国として18度目の進貢を行う。又、李傑が国子監に留学した。
1,405 7 三五郎亹が中山王国に帰還する。
1,405 8 養埠結致が中山王国に帰還する。
1,405 8 赤佳結致が北山王国に帰還する。
1,405 8 タキが南山王国に帰還する。
1,405 8 養埠結致が南山王国に帰還する。
1,405 9 武寧の使者新川大親が暹羅へ向けて出港する。那覇にやって来た暹羅船に従って向かった。
1,405 11 武寧の使者新垣大親が、進貢の為、明へ向けて出港する。
1,405 11 攀安知の使者亜都結致が、進貢の為、明へ向けて出港する。
1,405 11 汪応祖の使者タキが、進貢の為、明へ向けて出港する。
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