西暦1352年は、後光厳天皇が三種の神器無しで践祚した年である。1月9日、光厳上皇は具忠朝臣宛の書簡で、近年日御座の御剣を定めて置く事が無くなっているのではないかと記し、1月15日には三種の神器が賀名生に到着して、南朝は内侍所の御神楽を興している。9月25日の践祚は足利義詮の擁立による物で、以降徐々に三種の神器不要論が受け入れられていった。

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年月日 出来事
1,352 1 9 光厳上皇からの返事の書簡が具忠朝臣宛に送られる。以下の主旨の内容であった。
近年日御座の御剣を定めて置く事が無くなっているのではないでしょうか。西暦1,331〜1,334年頃以降は便宜上、只細々と日御座の御剣を使って来た様だ。
此の頃は、御剣が盗まれると、伊勢神宮や朝臣から献上され、補充されていた。
1,352 1 15 三種の神器が、賀名生(現在の奈良県五條市)に到着する。南朝は、内侍所の御神楽を興し、三種の神器を慰めた。
1,352 9 25 足利義詮の擁立により、後光厳天皇が、第4代北朝天皇として、土御門東洞院殿にて践祚する。三種の神器無しでの践祚であった。以降徐々に三種の神器不要論が受け入れられていった。