西暦1,242年は、北条時盛が京都での職を退いた年である。6月11日、北条時盛が六波羅探題南方を解任された。六波羅探題は京都に置かれた鎌倉幕府の出先機関であり、南方は其の二人の長官の一方である。同日、北条泰時が危篤であるとの情報が六波羅探題に齎されている。7月頃、北条時盛は出家した。時盛は西暦1236年に越後守へ任じられ、西暦1240年の北条時房の死去を受けて鎌倉へ下向したものの、執権に伺候する事の上申は却下されており、弟北条朝直との惣領権を巡る対立を抱えたまま京都の職も離れる事となった。北条泰時は西暦1235年の明王院造営を差配した幕府の中心人物であり、其の危篤の報せが京都へ届いた事は、幕府の指導層が世代の交替に向かう事を朝廷の側にも知らせるものであった。

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年月日 出来事
1,242 6 11 北条時盛が六波羅探題南方を解任される。
1,242 6 11 北条泰時が危篤であるとの情報が六波羅探題に齎される。
1,242 7 北条時盛が出家する。
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