西暦1,240年は、時房流北条氏の家督を巡る対立が表面化した年である。2月18日、北条時房が死去した。北条時房は西暦1235年の明王院の造営に際して北条泰時と共に差配に当たり、鎮守社の位置を定める議論にも加わっていた幕府の重鎮である。2月23日には北条時盛が鎌倉に入っている。北条時房の死去を受けての下向であった。其の後時盛は、鎌倉幕府に、執権に伺候する事を上申したが却下された。背景として、時盛と時盛の弟北条朝直との間の時房流北条氏の惣領権を巡る対立が有った。時盛は西暦1236年8月23日に越後守へ任じられており、官職と家督の双方で兄弟の均衡が問われる立場に在った。此の上申の却下は時盛の鎌倉での位置を定め、西暦1242年の六波羅探題南方の解任と出家へと繋がって行く。

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年月日 出来事
1,240 2 18 北条時房が死去する。
1,240 2 23 北条時盛が鎌倉に入る。北条時房の死去を受けての下向であった。其の後時盛は、鎌倉幕府に、執権に伺候する事を上申したが却下された。背景として、時盛と時盛の弟北条朝直との間の時房流北条氏の惣領権を巡る対立が有った。
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