西暦1240年は、北条時房が死去し、北条時盛の上申が却下された年である。2月18日に北条時房が死去すると、2月23日に北条時盛が鎌倉に入り、鎌倉幕府に執権に伺候する事を上申したが却下された。背景には、時盛と弟北条朝直との間の時房流北条氏の惣領権を巡る対立が有った。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,240 2 18 北条時房が死去する。
1,240 2 23 北条時盛が鎌倉に入る。北条時房の死去を受けての下向であった。其の後時盛は、鎌倉幕府に、執権に伺候する事を上申したが却下された。背景として、時盛と時盛の弟北条朝直との間の時房流北条氏の惣領権を巡る対立が有った。