以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦
≈は「頃」を意味しています。
垣間見える実直さとプライド。
| 年月日 | 出来事 | |||
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| 1,235 |
マリク・ヌスラトゥディン・タイシが、以下3ヶ所の部隊を指揮し、カリンジャル(現在のインドのウッタル・プラデーシュ州)のチャンデル砦を攻め、約50日間に渡り略奪を行った。 ①カナウジ(現在のインドのウッタル・プラデーシュ州) ②メヘル ③マハバン(現在のインドのウッタル・プラデーシュ州) 其の戦利品の内、1/5がイルトゥトゥミシュの取り分となったが、其れは2,500,000ジタルに上った。タイシが引き上げ、グワーリヤルに帰還する途上、待ち伏せしていたヤジュヴァパーラ王朝王チャハダ・デヴァの襲撃を受けたが、タイシは軍を三手に分け、苦戦しつつも、何とか此れを退けた。 |
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| 1,235 | 2 | 4 |
明王院の門の木作り始めが執り行われる。西暦1,235年2月28日には建設を完了する様命令が下った。以下2名が指揮する事となった。 ①藤原親実 ②狩野為佐 |
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| 1,235 | 2 | 10 | 明王院の総門が建立される。前年に安達義景が甘縄を建立地として定めたが、最終的に毛利季光の領地内に建立された。 | |
| 1,235 | 2 | 21 | 明王院の建設予定地にて、土公神がいる場所の土を犯す時に陰陽師を招き、其の怒りを鎮めるための祭である土公祭が開始される。陰陽師達は、交代で連日行う様命じられた。 | |
| 1,235 | 2 | 22 |
明王院の建設予定地に、鎮守社を建設する事が決定される。以前から唐門の外に建てる事を予定していたが、其の土地は狭すぎる為、以下4名が明王院の建設予定地に参集し、話し合った。 ①北条時房 ②北条泰時 ③中原師員 ④三浦義村 門内にするか、御堂の裏山にするかで意見が割れた。但し、裏山だと御堂の土地より高い場所になる為、有識者や陰陽師に意見を乞うた。すると、以下の人間が高低で選ぶ必要は無く、地形で選ぶべきだと異口同音に意見した。 ①源光行 ②安陪親職 ③安陪晴賢 此れを踏まえ、御堂の東側の土地に鎮守社を建設する事となった。 |
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| 1,235 | 2 | 28 |
空は晴れて風は静かであった。此の日、藤原頼経が、後藤本綱の屋敷から明王院の建設予定地に向かう。以下の人間等がお供をした。 ①北条時房 ②北条泰時 ③中原師員 ④三浦義村 ⑤長井泰秀 ⑥中条家長 ⑦三善康俊 此の日から御堂の建築が開始される為、以下を始めとする陰陽師が進み出て、縁起の良い時間を申し上げた。 ①安陪親職 ②安陪晴賢 ③安陪文元 12時、上棟式が開始された。棟梁は矢板二郎大夫であった。進行役の引頭は4名であった。上棟式が終わると、橘隆邦・清原季氏により、技術者達に以下の褒美が与えられた。 ①棟梁 ❶馬2頭 1頭は、野内太郎兵衛尉と弟の次郎が引いて来た。鹿毛で鞍を乗せていた。もう1頭は、黒の葦毛で、本間信忠と弟の本間光忠が引いて来た。 ❷絹20反 ❸染めた絹10反 ❹綿10両 ❺白い布10反 ❻藍色の摺り染め布10反 ❼奥州産の高級布10反 ❽紺色の直垂10着 ❾紺色の帷子10着 ➓色付きの革10枚 ②引頭 ❶馬1頭 ❷絹10反 ❸白い布5反 ❹紺の直垂5着 ❺紺の帷子5着 ❻奥州産の高級布5反 ③桧皮葺きの職人 ❶馬1頭 ④壁塗り職人 ❶馬1頭 ⑤鍛冶職人 ❶馬1頭 馬は、以下の人間が藤原に献上したもので、政所で選定された。 ①北条時房 ②北条泰時 ③三浦義村 ④小山朝政 ⑤千葉時胤 |
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| 1,235 | 3 | 8 |
定豪が、西暦1,235年2月28日の明王院上棟を受けて、一切経の供養を主催する。指導僧は興福寺の東南院の公宴で、願文は良信が読んだ。以下も出席した。 ①藤原頼経 ②北条時房 ③北条泰時 ④武藤左近将監(藤原の刀持ち) |
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| 1,235 | 3 | 25 |
明王院に鐘楼が建立される。以下2名も其処へやって来た。 ①北条時房 ②北条泰時 |
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| 1,235 | 4 | 7 |
此の日は晴れであった。以下2名が宇都宮辻子御所へ出仕する。 ①北条時房 ②北条泰時 明王院の開眼供養の日時を検討した。陰陽師達が来て占った結果、以下の通りとなった。 ①西暦1,235年4月29日:最上の日 ②西暦1,235年5月6日:少し良い日 ③西暦1,235年5月23日:最上の日 ①は土木工事が完了したとしても、荘厳が間に合わない可能性が有る為候補から外れ、②と③の何方にするかで議論となった。安陪親職は「③の周辺は式典が多すぎる。③の当日は何も差し障りありません」という主旨の発言をした。此れに対し安陪晴賢は「式典が多いというのは元服式・着袴の式・引っ越し・嫁取り等でしょう。此の月は忌月なので、仏事は過去の例を見ても忌まれていません。又、西暦で2月頃・6月頃・10月頃に良い仏事をする様お経にも載っています。法成寺(現在の京都府京都市上京区荒神町)・清凉寺(現在の京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)・総持院(現在の和歌山県伊都郡高野町高野山)は、西暦で6月頃に建立された寺院です。又、平等院(現在の京都府宇治市宇治蓮華)の一切経の儀式は、西暦で6月頃に始められています。③にしましょう」と返した。以下の人間も同意し、北条時房・北条泰時は納得して退出した。 ①安陪忠尚 ②安陪宣俊 ③安陪資俊 ④安陪文元 |
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| 1,235 | 4 | 14 | 西暦1,235年4月7日に西暦1,235年5月23日の明王院の開眼供養実施が決定されたものの、此の日は鶴岡八幡宮寺での端午の節句の神事で、予定が重なった為、北条泰時の屋敷に陰陽師達が呼び集められる。安陪忠尚等は、神仏の行事を1日の内に行う例は多いのですが、双方共に大掛かりな式典です。搗ち合ってしまうのなら、延期した方が良いです」と言った。北条は「其れならいつにすれば良いだろうか」と尋ねると、陰陽師達は「西暦1,235年6月25日が良いです」という主旨の回答をした。此れを受けて北条は、後藤基綱を遣わせて藤原頼経に伝えた。 | |
| 1,235 | 4 | 16 | 3日前に明王院の開眼供養の日を西暦1,235年6月25日と定めたものの、此の日は藤原頼経が外出するのに良くない日であるという事で、北条泰時の屋敷にて、陰陽師等が上申書を提出する。 | |
| 1,235 | 4 | 17 | 前日の上申書を受けて、明王院の開眼供養の日が、西暦1,235年7月15日に決定される。 | |
| 1,235 | 7 | 5 | 明王院の洪鐘の鋳造に失敗する。藤原親実が鋳物師を叱りつけようとしたが、鋳物師は「銅が足りなかったので斯うなりました。銅を足しますから」と答えた。銅1,125kgで失敗した為、10%増の1,237.5kgで鋳直されて、成功した。 | |
| 1,235 | 7 | 15 |
明王院(現在の神奈川県鎌倉市十二所)の開眼供養が執り行われる。朝は雨であった。8時、鋳直した高さ157.56cm・幅121.2cmの洪鐘が吊るされ、堂に以下の五大明王像が安置された。 ①不動明王 ②降三世明王 ③軍茶利明王 ④大威徳明王 ⑤金剛夜叉明王 開眼供養の為、藤原頼経は、衣冠束帯に剣と笏を携帯し、西の廊下で西に向かって行った。反閇を安陪忠尚が務めた。其の儘東に出て、褒美として蘇芳染の生絹着物1領を賜った。大江佐房が狩衣を持って渡し、安陪忠尚は左肩に掛けた。そして藤原は、小町大路(現在の神奈川県鎌倉市材木座・大町・小町)を北へ向かい、塔之辻(現在の神奈川県鎌倉市笹目町)を東へ行った。行列は以下であった。 ①先陣随兵 ❶千葉常秀 ❷三浦義村 ❸小山長村 ❹筑後時家 ❺安達義景 ❻横田頼業 ❼吉良長氏 ❽北条光時 ❾北条政村 ➓北条時房の六男北条時定 ②御車(剣を帯びていない) ❶千葉秀胤 ❷大須賀胤秀 ❸小野沢時仲 ❹宇田左衛門尉 ❺伊賀光重 ❻大川戸広行 ❼江戸景益 ❽本間信忠 ❾安保三郎兵衛尉 ➓平岡左衛門尉 ③調度懸 ❶加地信朝 ④御後五位六位(袴の裾は足首結びの下括りで、六位は弓矢を携帯した) ❶北条有時 ❷北条朝直 ⑤寺門内役御釼 ❶北条経時 ❷三浦泰村 ❸北条実時 ❹長井泰秀 ❺大江 ❻宇都宮泰綱 ❼中原師員 ❽伊賀仲能 ❾三善康俊 ➓中条家長 ⓫三浦家村 ⓬佐原胤家 ⓭三浦氏村 ⓮関政泰 ⓯宇佐美祐泰 ⓰下河辺行光 ⓱薬師寺朝村 ⓲佐々木氏信 ⓳河津尚景 ⓴狩野為佐 Ⅰ.二階堂行泰 Ⅱ.二階堂行義 Ⅲ.内藤盛継 Ⅳ.武藤景頼 Ⅴ.弥次郎左衛門尉親盛 Ⅵ.和泉景村 Ⅶ.長谷部秀達 Ⅷ.三善康義 Ⅸ.稗垂時基 Ⅹ.安達長泰 ⑥後陣随兵 ❶河越泰重 ❷梶原景俊 ❸氏家公信 ❹葛西時清 ❺後藤基親 ❻伊東祐綱 ❼佐竹助義 ❽一条信長 ⑦検非違使 ❶三浦光村 ❷後藤基綱 藤原は、御堂の中へ入り、北条時房・北条泰時は支度を整えた。9:30から開眼供養が始まり、10時以降は晴れた。儀式其の物は11:30に開始され、曼荼羅が唱えられた。執行師の快深が会場準備を指揮した。願文の下書きは菅原為長、清書は西園寺実氏が務めた。初世明王院別当に就任した定豪が、明王院平穏の祈祷を行った。18時に式が終了した。定豪にお供した僧は以下の22名であった。 ①光宝(定豪が推薦) ②厳海(明王院所属) ③忠遍 ④定基(明王院所属) ⑤兼盛(明王院所属) ⑥承快(明王院所属) ⑦良全 ⑧定親(鶴岡八幡宮寺所属) ⑨定清(明王院所属) ⑩実俊 ⑪円親 ⑫定雅(鶴岡八幡宮寺所属) ⑬範乗 ⑭実果 ⑮隆弁 ⑯定憲 ⑰長全 ⑱定宗 ⑲定弁 ⑳親遍 ㉑定瑜 ㉒良賢 お布施は以下であった。 ①導師分 ❶被り物30枚 ❷裹物1包(染めた絹15反が包まれた) ❸白い綾絹30疋 ❹模様を織り出した顕紋紗30反 ❺丹後産絹30疋 ❻巻絹30疋 ❼染付布30巻 ❽唐織の綾30反 ❾筋計張30疋 ➓紫村濃30反 ⓫紫染め30反 ⓬綾織の生地30反 ⓭紺村濃30反 ⓮帖絹30疋 ⓯淡黄色の絹30反 ⓰紺に染めた絹30疋 ⓱白い布30反 ⓲色染の革30枚 ⓳香炉1筥 ⓴経巻入れ1筥 Ⅰ.水晶の数珠(銀の折敷に載せている) Ⅱ.横皮(銀の折敷に載せている) Ⅲ.法会用の装束1具 Ⅳ.丁子で染めた装束1具 Ⅴ.稚児装束1具 Ⅵ.宿直装束1領 ②御負けのお布施 ❶砂金1.868kg(銀の折敷に載せている) ❷野太刀(銀造りで錦の袋に入れている) 此の他に米20石と馬10疋が贈られた。馬は其々以下の人間の引き出物であった。 ①佐原経連・多気次郎兵衛尉 ②長尾景茂・長尾光景 ③二階堂行綱・二階堂行方 ④天野景氏・天野政泰 ⑤小野寺通業・小野寺通時 ⑥長谷部朝連・長谷部四郎左衛門尉 ⑦豊田太郎兵衛尉・豊田次郎兵衛尉 ⑧豊前太郎左衛門尉・布施康高 ⑨山内藤内通景・山内左衛門太郎 ⑩中沢次郎兵衛尉・中澤成綱 又、お供した僧には以下が贈られた。 ①被り物10枚 ②裹物1包 ③白い綾絹10疋 ④色々に染めた絹10反 ⑤巻絹10疋 ⑥帖絹10疋 ⑦染付布10巻 ⑧染絹10反 ⑨白い布10反 ⑩紺に染めた布10反 ⑪藍色の摺り染め10反 ⑫色染の皮10枚 ⑬米5石 ⑭馬3頭(1頭は鞍置き) |
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| 1,235 | 12 | 29 | 藤原頼経が天然痘を発病する。以降様々な祈祷が連日行われた。 | |