西暦1201〜1300年は、源頼家が蹴鞠に耽溺し御家人の所領再分配を命じるも反対され、北条氏が台頭した時代である。重源が東大寺大仏殿の再建に尽力し、和田合戦で北条義時が和田義盛を滅ぼした。源実朝が暗殺され、承久の乱を経て北条氏の執権政治が確立した。モンゴル帝国がユーラシア大陸に拡大した。

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東大寺大仏殿の再建に尽力した重源と陳和卿に関する電子書籍 垣間見える実直さとプライド。
年月日 出来事
1,235 マリク・ヌスラトゥディン・タイシが、以下3ヶ所の部隊を指揮し、カリンジャル(現在のインドのウッタル・プラデーシュ州)のチャンデル砦を攻め、約50日間に渡り略奪を行った。
①カナウジ(現在のインドのウッタル・プラデーシュ州)
②メヘル
③マハバン(現在のインドのウッタル・プラデーシュ州)
其の戦利品の内、1/5がイルトゥトゥミシュの取り分となったが、其れは2,500,000ジタルに上った。タイシが引き上げ、グワーリヤルに帰還する途上、待ち伏せしていたヤジュヴァパーラ王朝王チャハダ・デヴァの襲撃を受けたが、タイシは軍を三手に分け、苦戦しつつも、何とか此れを退けた。
1,235 2 4 明王院の門の木作り始めが執り行われる。西暦1,235年2月28日には建設を完了する様命令が下った。以下2名が指揮する事となった。
①藤原親実
②狩野為佐
1,235 2 10 明王院の総門が建立される。前年に安達義景が甘縄を建立地として定めたが、最終的に毛利季光の領地内に建立された。
1,235 2 21 明王院の建設予定地にて、土公神がいる場所の土を犯す時に陰陽師を招き、其の怒りを鎮めるための祭である土公祭が開始される。陰陽師達は、交代で連日行う様命じられた。
1,235 2 22 明王院の建設予定地に、鎮守社を建設する事が決定される。以前から唐門の外に建てる事を予定していたが、其の土地は狭すぎる為、以下4名が明王院の建設予定地に参集し、話し合った。
①北条時房
②北条泰時
③中原師員
④三浦義村
門内にするか、御堂の裏山にするかで意見が割れた。但し、裏山だと御堂の土地より高い場所になる為、有識者や陰陽師に意見を乞うた。すると、以下の人間が高低で選ぶ必要は無く、地形で選ぶべきだと異口同音に意見した。
①源光行
②安陪親職
③安陪晴賢
此れを踏まえ、御堂の東側の土地に鎮守社を建設する事となった。
1,235 2 28 空は晴れて風は静かであった。此の日、藤原頼経が、後藤本綱の屋敷から明王院の建設予定地に向かう。以下の人間等がお供をした。
①北条時房
②北条泰時
③中原師員
④三浦義村
⑤長井泰秀
⑥中条家長
⑦三善康俊
此の日から御堂の建築が開始される為、以下を始めとする陰陽師が進み出て、縁起の良い時間を申し上げた。
①安陪親職
②安陪晴賢
③安陪文元
12時、上棟式が開始された。棟梁は矢板二郎大夫であった。進行役の引頭は4名であった。上棟式が終わると、橘隆邦・清原季氏により、技術者達に以下の褒美が与えられた。
①棟梁
❶馬2頭
1頭は、野内太郎兵衛尉と弟の次郎が引いて来た。鹿毛で鞍を乗せていた。もう1頭は、黒の葦毛で、本間信忠と弟の本間光忠が引いて来た。
❷絹20反
❸染めた絹10反
❹綿10両
❺白い布10反
❻藍色の摺り染め布10反
❼奥州産の高級布10反
❽紺色の直垂10着
❾紺色の帷子10着
➓色付きの革10枚
②引頭
❶馬1頭
❷絹10反
❸白い布5反
❹紺の直垂5着
❺紺の帷子5着
❻奥州産の高級布5反
③桧皮葺きの職人
❶馬1頭
④壁塗り職人
❶馬1頭
⑤鍛冶職人
❶馬1頭
馬は、以下の人間が藤原に献上したもので、政所で選定された。
①北条時房
②北条泰時
③三浦義村
④小山朝政
⑤千葉時胤
1,235 3 8 定豪が、西暦1,235年2月28日の明王院上棟を受けて、一切経の供養を主催する。指導僧は興福寺の東南院の公宴で、願文は良信が読んだ。以下も出席した。
①藤原頼経
②北条時房
③北条泰時
④武藤左近将監(藤原の刀持ち)
1,235 3 25 明王院に鐘楼が建立される。以下2名も其処へやって来た。
①北条時房
②北条泰時
1,235 4 7 此の日は晴れであった。以下2名が宇都宮辻子御所へ出仕する。
①北条時房
②北条泰時
明王院の開眼供養の日時を検討した。陰陽師達が来て占った結果、以下の通りとなった。
①西暦1,235年4月29日:最上の日
②西暦1,235年5月6日:少し良い日
③西暦1,235年5月23日:最上の日
①は土木工事が完了したとしても、荘厳が間に合わない可能性が有る為候補から外れ、②と③の何方にするかで議論となった。安陪親職は「③の周辺は式典が多すぎる。③の当日は何も差し障りありません」という主旨の発言をした。此れに対し安陪晴賢は「式典が多いというのは元服式・着袴の式・引っ越し・嫁取り等でしょう。此の月は忌月なので、仏事は過去の例を見ても忌まれていません。又、西暦で2月頃・6月頃・10月頃に良い仏事をする様お経にも載っています。法成寺(現在の京都府京都市上京区荒神町)・清凉寺(現在の京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町)・総持院(現在の和歌山県伊都郡高野町高野山)は、西暦で6月頃に建立された寺院です。又、平等院(現在の京都府宇治市宇治蓮華)の一切経の儀式は、西暦で6月頃に始められています。③にしましょう」と返した。以下の人間も同意し、北条時房・北条泰時は納得して退出した。
①安陪忠尚
②安陪宣俊
③安陪資俊
④安陪文元
1,235 4 14 西暦1,235年4月7日に西暦1,235年5月23日の明王院の開眼供養実施が決定されたものの、此の日は鶴岡八幡宮寺での端午の節句の神事で、予定が重なった為、北条泰時の屋敷に陰陽師達が呼び集められる。安陪忠尚等は、神仏の行事を1日の内に行う例は多いのですが、双方共に大掛かりな式典です。搗ち合ってしまうのなら、延期した方が良いです」と言った。北条は「其れならいつにすれば良いだろうか」と尋ねると、陰陽師達は「西暦1,235年6月25日が良いです」という主旨の回答をした。此れを受けて北条は、後藤基綱を遣わせて藤原頼経に伝えた。
1,235 4 16 3日前に明王院の開眼供養の日を西暦1,235年6月25日と定めたものの、此の日は藤原頼経が外出するのに良くない日であるという事で、北条泰時の屋敷にて、陰陽師等が上申書を提出する。
1,235 4 17 前日の上申書を受けて、明王院の開眼供養の日が、西暦1,235年7月15日に決定される。
1,235 7 5 明王院の洪鐘の鋳造に失敗する。藤原親実が鋳物師を叱りつけようとしたが、鋳物師は「銅が足りなかったので斯うなりました。銅を足しますから」と答えた。銅1,125kgで失敗した為、10%増の1,237.5kgで鋳直されて、成功した。
1,235 7 15 明王院(現在の神奈川県鎌倉市十二所)の開眼供養が執り行われる。朝は雨であった。8時、鋳直した高さ157.56cm・幅121.2cmの洪鐘が吊るされ、堂に以下の五大明王像が安置された。
①不動明王
②降三世明王
③軍茶利明王
④大威徳明王
⑤金剛夜叉明王
開眼供養の為、藤原頼経は、衣冠束帯に剣と笏を携帯し、西の廊下で西に向かって行った。反閇を安陪忠尚が務めた。其の儘東に出て、褒美として蘇芳染の生絹着物1領を賜った。大江佐房が狩衣を持って渡し、安陪忠尚は左肩に掛けた。そして藤原は、小町大路(現在の神奈川県鎌倉市材木座・大町・小町)を北へ向かい、塔之辻(現在の神奈川県鎌倉市笹目町)を東へ行った。行列は以下であった。
①先陣随兵
❶千葉常秀
❷三浦義村
❸小山長村
❹筑後時家
❺安達義景
❻横田頼業
❼吉良長氏
❽北条光時
❾北条政村
➓北条時房の六男北条時定
②御車(剣を帯びていない)
❶千葉秀胤
❷大須賀胤秀
❸小野沢時仲
❹宇田左衛門尉
❺伊賀光重
❻大川戸広行
❼江戸景益
❽本間信忠
❾安保三郎兵衛尉
➓平岡左衛門尉
③調度懸
❶加地信朝
④御後五位六位(袴の裾は足首結びの下括りで、六位は弓矢を携帯した)
❶北条有時
❷北条朝直
⑤寺門内役御釼
❶北条経時
❷三浦泰村
❸北条実時
❹長井泰秀
❺大江
❻宇都宮泰綱
❼中原師員
❽伊賀仲能
❾三善康俊
➓中条家長
⓫三浦家村
⓬佐原胤家
⓭三浦氏村
⓮関政泰
⓯宇佐美祐泰
⓰下河辺行光
⓱薬師寺朝村
⓲佐々木氏信
⓳河津尚景
⓴狩野為佐
Ⅰ.二階堂行泰
Ⅱ.二階堂行義
Ⅲ.内藤盛継
Ⅳ.武藤景頼
Ⅴ.弥次郎左衛門尉親盛
Ⅵ.和泉景村
Ⅶ.長谷部秀達
Ⅷ.三善康義
Ⅸ.稗垂時基
Ⅹ.安達長泰
⑥後陣随兵
❶河越泰重
❷梶原景俊
❸氏家公信
❹葛西時清
❺後藤基親
❻伊東祐綱
❼佐竹助義
❽一条信長
⑦検非違使
❶三浦光村
❷後藤基綱
藤原は、御堂の中へ入り、北条時房・北条泰時は支度を整えた。9:30から開眼供養が始まり、10時以降は晴れた。儀式其の物は11:30に開始され、曼荼羅が唱えられた。執行師の快深が会場準備を指揮した。願文の下書きは菅原為長、清書は西園寺実氏が務めた。初世明王院別当に就任した定豪が、明王院平穏の祈祷を行った。18時に式が終了した。定豪にお供した僧は以下の22名であった。
①光宝(定豪が推薦)
②厳海(明王院所属)
③忠遍
④定基(明王院所属)
⑤兼盛(明王院所属)
⑥承快(明王院所属)
⑦良全
⑧定親(鶴岡八幡宮寺所属)
⑨定清(明王院所属)
⑩実俊
⑪円親
⑫定雅(鶴岡八幡宮寺所属)
⑬範乗
⑭実果
⑮隆弁
⑯定憲
⑰長全
⑱定宗
⑲定弁
⑳親遍
㉑定瑜
㉒良賢
お布施は以下であった。
①導師分
❶被り物30枚
❷裹物1包(染めた絹15反が包まれた)
❸白い綾絹30疋
❹模様を織り出した顕紋紗30反
❺丹後産絹30疋
❻巻絹30疋
❼染付布30巻
❽唐織の綾30反
❾筋計張30疋
➓紫村濃30反
⓫紫染め30反
⓬綾織の生地30反
⓭紺村濃30反
⓮帖絹30疋
⓯淡黄色の絹30反
⓰紺に染めた絹30疋
⓱白い布30反
⓲色染の革30枚
⓳香炉1筥
⓴経巻入れ1筥
Ⅰ.水晶の数珠(銀の折敷に載せている)
Ⅱ.横皮(銀の折敷に載せている)
Ⅲ.法会用の装束1具
Ⅳ.丁子で染めた装束1具
Ⅴ.稚児装束1具
Ⅵ.宿直装束1領
②御負けのお布施
❶砂金1.868kg(銀の折敷に載せている)
❷野太刀(銀造りで錦の袋に入れている)
此の他に米20石と馬10疋が贈られた。馬は其々以下の人間の引き出物であった。
①佐原経連・多気次郎兵衛尉
②長尾景茂・長尾光景
③二階堂行綱・二階堂行方
④天野景氏・天野政泰
⑤小野寺通業・小野寺通時
⑥長谷部朝連・長谷部四郎左衛門尉
⑦豊田太郎兵衛尉・豊田次郎兵衛尉
⑧豊前太郎左衛門尉・布施康高
⑨山内藤内通景・山内左衛門太郎
⑩中沢次郎兵衛尉・中澤成綱
又、お供した僧には以下が贈られた。
①被り物10枚
②裹物1包
③白い綾絹10疋
④色々に染めた絹10反
⑤巻絹10疋
⑥帖絹10疋
⑦染付布10巻
⑧染絹10反
⑨白い布10反
⑩紺に染めた布10反
⑪藍色の摺り染め10反
⑫色染の皮10枚
⑬米5石
⑭馬3頭(1頭は鞍置き)
1,235 12 29 藤原頼経が天然痘を発病する。以降様々な祈祷が連日行われた。
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