西暦1,225年は、鎌倉で疫病が猛威を振るい、北条政子が没した年である。2月3日に、西暦1224年の伊賀氏の変で伊豆国北条郡へ配流され幽閉されていた伊賀の方が危篤となったとの情報が鎌倉に入った。4月頃、北条政子が源頼朝の菩提を弔う為、長楽寺(現在の神奈川県鎌倉市長谷)を建立している。6月8日、鎌倉にて疫病が発生し死者が数千名を超える事態となった事を受け、鎌倉幕府は災いを払う祈祷を行う事を決定し、定豪・良信・三浦義村・二階堂行村・国道が評議を行った。定豪は1,000名の僧を集めて仁王経を読誦する事を提案し、又定豪と良信は嵯峨天皇が自ら般若心経を書写し空海を通じて供養を行った先例を挙げて書写供養の功徳を説き、書写供養を行う事となった。6月29日、鶴岡八幡宮寺にて1,200名の僧により供養が執り行われ、仁王経一巻を読み、般若心経と尊勝陀羅尼を其々10回唱えた後、其々1,000巻ずつ摺り100巻ずつ金泥で経巻として書写して、諸国の一宮毎に1巻を奉納する事とされた。導師は、西暦1220年に第6世鶴岡八幡宮寺別当となった定豪であった。西暦1219年の源実朝暗殺の後は鎌倉殿を後見し、西暦1221年の承久の乱では御家人を束ねる演説を残した北条政子は、7月6日に病を患い、9日に快方へ向かうも13日に再び悪化し、14日から逆修を始めた。7月21日には、西暦1224年に初代連署へ就いた北条時房が六波羅探題南方を退任し、8月4日に後任の北条時盛が京都へ向けて鎌倉を出発している。8月13日に政子は危篤状態となって東の御所に移され、8月16日2時に死去した。8月17日4時に死去が発表されて二階堂行盛以下多くの人間が出家し、同日20時、勝長寿院にて火葬されて院内に墓所が築かれ、後に寿福寺と高野山にも分骨された。9月18日には政子の死去を受けて鶴岡八幡宮寺の放生会が延期され、9月30日、源頼家の娘竹御所を施主、定豪を導師として四十九日法要が執り行われた。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,225 2 3 伊賀の方が危篤となったとの情報が鎌倉に入る。
1,225 4 北条政子が、源頼朝の菩提を弔う為、長楽寺(現在の神奈川県鎌倉市長谷)を建立する。
1,225 6 8 鎌倉幕府が、鎌倉にて疫病が発生し、死者が数千名を超える事態となった事を受け、災いを払う事を意図し祈祷を行う事を決定した為、以下の人間が評議を行う。
①定豪
②良信
③三浦義村
④二階堂行村
⑤国道
北条政子は、二階堂が「般若心経」と「仏頂尊勝陀羅尼」を其々万巻書写供養する事に就いて意見を求めた。此れに対し定豪は、1,000名の僧を集めて仁王経を読誦する事を提案した。又、定豪と良信は「嵯峨天皇の時代に疫病が発生し、五畿七道に多くの人々が亡くなりました。其の際、嵯峨天皇は自ら般若心経を書写し、空海を通じて供養を行いました」と先例を挙げて般若心経書写の功徳を説き、書写供養を行う事となった。
1,225 6 29 鶴岡八幡宮寺にて、鎌倉の疫病や炎暑が続く等の災厄を鎮める為の供養が1,200名の僧により執り行われる。4時に集合し、其々左右の廻廊や仮屋に着席した。先ず仁王経一巻を読み、般若心経と尊勝陀羅尼を其々10回唱えた。其れから般若心経と尊勝陀羅尼を1,000巻ずつ摺り、100巻ずつ金泥で経巻として書写した。此の経巻は、諸国の一宮毎に1巻を奉納するというものであった。其の後、供養の儀式が執り行われた。導師は定豪であった。供物として、以下を含む15種の品が用意された。
①衣類
②砂金
③布
④染物
⑤帷糸
⑥白布
⑦藍染め
⑧綿
⑨色革
⑩銭貨
更に、特別な布施として、紫の宿衣が1領加えられた。1,000名の僧には、其々以下が配られた。
①裹物1つ
②帖絹1疋
③米約54L
200名の僧には、以下が同じ様に配られた。
①衣類1重
②絹布1疋
③米約54L
此の他にも、多くの人々から以下等が奉納された。
①橘広仲
②大江佐房
1,225 7 6 北条政子が病を患う。
1,225 7 9 北条政子の病状が快方に向かう。
1,225 7 13 北条政子の病状が再び悪化する。
1,225 7 14 北条政子が逆修を始める。
1,225 7 21 北条時房が、六波羅探題南方を退任する。
1,225 7 22 朝、北条政子が一時意識不明となる。其の後間も無く息を吹き返した。
1,225 8 4 六波羅探題南方に就任する事となった北条時盛が、京都へ向けて鎌倉を出発する。
1,225 8 13 北条政子が危篤状態となり、東の御所に移される。
1,225 8 16 2時、北条政子が死去する。
1,225 8 17 4時、北条政子の死去が発表される。二階堂行盛が出家し、其の後も多くの人間が後に続いた。
1,225 8 17 20時、北条政子が勝長寿院にて火葬される。勝長寿院内に墓所が築かれたが、後に寿福寺と高野山にも分骨された。
1,225 9 18 北条政子の死去を受けて、鶴岡八幡宮寺の放生会が延期される。
1,225 9 30 北条政子の四十九日法要が執り行われる。施主は源頼家の娘竹御所、導師は定豪であった。
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