以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦
≈は「頃」を意味しています。
垣間見える実直さとプライド。
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1,220 |
イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチが円周率に関し以下の式から3桁の精度を得る。 |
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| 1,220 | バーライチ(現在のインドのウッタルプラデーシュ州)総督アフマド・ジャマジが、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ側からナースィル・ウッディーン・カバチャ側に寝返る。 | |||
| ≈ | 1,220 |
此の頃、以下の3勢力が、インダス川流域の領有権を争っていた。 ①モンゴル帝国 ②第8代ホラズム・シャー朝スルターンのジャラールッディーン・メングベルディー ③ナースィル・ウッディーン・カバチャ |
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| ≈ | 1,220 | 第34代アッバース朝カリフのナースィルが、大使ラディ・アルディン・アブー・ファディル・アル・ハサン・ビン・ムハンマド・アル・サガニーをデリーに派遣する。 | ||
| 1,220 | 1 | 4 |
京都で火災が発生し、以下の寺の堂宇等が焼失する。 ①延勝寺(現在の京都府京都市左京区岡崎成勝寺町) ②成勝寺(現在の京都府京都市左京区岡崎成勝寺町) ③最勝寺(現在の京都府京都市左京区岡崎最勝寺町) |
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| 1,220 | 1 | 12 | 北条政子が病床に伏す。 | |
| 1,220 | 1 | 19 | 北条政子の屋敷が焼失する。 | |
| 1,220 | 2 | 21 | 慶幸が入滅する。 | |
| 1,220 | 2 | 26 | 定豪が、第6世鶴岡八幡宮寺別当に補任される。東寺系が鶴岡八幡宮寺別当となるのは初であった。 | |
| 1,220 | 2 | 28 | 藤原公頼を行事参議として「造内裏行事所」が設置される。 | |
| 1,220 | 3 | 19 |
藤原定家が内裏歌会に提出した以下の官途に対する不満の歌が、後鳥羽上皇の逆鱗に触れ、勅勘を受け、藤原は宮中への出仕と公の詠出を禁止される。 道のべの野原の柳したもえぬ あはれ歎の煙くらべに (野原の柳が春となり下萌えしたが、私の暗くくすぶる嘆きの煙と競い合うようである) |
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| ≈ | 1,220 | 3 | 22 | 鎌倉で火災が発生する。 |
| 1,220 | 4 | 14 | 淡路守藤原親俊が神祇伯業資王に「内裏の造営に関する命令を再度受け、昨年の損失に就いては淡路国全体に共通する問題ですが、上棟の工期が限られており、荘や公役では間に合わない状況が報告されています。今月の進捗が遅れている為、西暦1,220年5月3日迄に国司配符額の半分の所済が無ければ、官使を派遣して資材を整えるべきとの命令が有り、其れ以上の私的な意見は無いと述べています。田に関する問題に就いても、造内裏用途賦課田数は、造伊勢神宮役夫工米で解決するべきという院宣が出され、証文の提出に就いても問い合わせていますが、まだ不明な点が多い為、状況を改めて報告します」という主旨の書簡を送る。 | |
| 1,220 | 4 | 26 | 後鳥羽上皇が、大内裏造営の木作始を行う。後鳥羽上皇は、大内裏の焼失は、鎌倉幕府の内紛が原因であり、鎌倉幕府が地頭を指揮して積極的に大内裏再建に協力すべきであると考えていたが、地頭の抵抗を鎌倉幕府に訴えても、無視されていた。 | |
| 1,220 | 4 | 30 | 清水寺(現在の京都府京都市東山区清水)の本堂・釈迦堂が焼失する。 | |
| 1,220 | 5 | 16 | 八坂神社(現在の京都府京都市東山区祇園町北側)が焼失する。 | |
| 1,220 | 5 | 17 | 源頼家の四男禅暁が、京都の東山で殺害される。 | |
| 1,220 | 5 | 24 |
典薬寮摂津国地黄御薗供御人等が、内裏用途米・人夫等の造内裏課役の免除を鎌倉幕府に申請する。結果、以下4ヶ所の神領及び代々御起請地が院宣により基本免除地とされた。 ①伊勢神宮 ②石清水八幡宮 ③高鴨神社(現在の奈良県御所市鴨神) ④熊野本宮大社(現在の和歌山県田辺市本宮町本宮) |
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| 1,220 | 5 | 30 | 大内裏の陽明門が焼失する。 | |
| ≈ | 1,220 | 6 | 宮内大輔が「内裏を造営する為の用途として、田尻荘(現在の大阪府能勢町)の土地に関する証文1枚を謹んで受け取りました。速やかに其の旨を下知して下さい。しかし、此の土地は痩せた田が多い為、実際に利用出来る土地が減っており、上手く事が進まないかも知れません」という書簡を書く。 | |
| 1,220 | 6 | 6 | 神祇権大副中臣兼衡が「内裏の大造営に関する課役に就いて、西暦1,221年10月頃に処理を行うべきとの命令を承りました。其の間、昨日信濃国から使者が来て、今直ぐにでも役務を遂行すべきであり、又官使を迎え入れるべきとの指示が有りました。しかし、信濃国の浅間神社に関する知行の件に就いて不審な点が有ります」という主旨の書簡を記載する。 | |
| 1,220 | 6 | 23 | 後鳥羽上皇の第参皇女礼子内親王が出家する。 | |
| ≈ | 1,220 | 8 | 後鳥羽上皇が、此の頃から北条義時征伐に傾き始める。 | |
| 1,220 | 8 | 7 | 右京亮が、造内裏行事所の藤原頼資に「鮎原(現在の兵庫県洲本市五色町)の西暦1,157年の免除証文では免除が受けられない事を理解しました」という主旨の書簡を送る。 | |
| 1,220 | 8 | 29 | 鎌倉に暴風雨が直撃し、甚大な被害が出る。 | |
| ≈ | 1,220 | 11 | 後鳥羽上皇が、城南寺(現在の京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町)に滞在する。 | |
| 1,220 | 11 | 5 | 兼時が「下総国三崎荘(現在の千葉県銚子市船木町・小船木町・三崎町・本城町、千葉県匝瑳市高・蕪里・高野・上谷中・時曽根付近)に於ける内裏造営の用途に就いて、地頭として請け負っている所、証文が到来し、其の内容が通達されました。しかし、其の後何の音沙汰も無く、西暦1,219年8月頃に関東から命令が出されましたが、其の内容がきちんと伝わっていない状況です。現在の進捗が遅れており、不便な状況が続いている為、庁から御下文が出され、国司が直ちに地頭に処置を行う様指示され、其の旨を賜りました」という主旨の書簡を記載する。 | |
| 1,220 | 11 | 6 |
伊勢国守が「御領地の中で150tの米の使用が目的とされているが、今日迄其れをきちんと果たす事が出来ていない為、役人達はどの様に対処すべきか困っている」として、藤原頼資に伊勢国の造内裏用途調達の窮状を訴える。そして、造内裏用途の免除対象地として以下が挙げられた。 ①白河上皇・鳥羽上皇・後白河上皇が承認した荘園の三代御起請の地 ②伊勢神宮 ③石清水八幡宮 ④高鴨神社 ⑤熊野本宮大社 ⑥安楽寺天満宮(現在の京都府京都市上京区北町) ⑦法成寺 ⑧東北院(現在の京都府京都市左京区浄土寺真如町) ⑨円勝寺(現在の京都府京都市左京区岡崎成勝寺町) |
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| 1,220 | 11 | 11 | 摂津国生島荘(現在の兵庫県尼崎市上ノ島町・栗山町・大西町・三反田町)の大内裏役の勤仕を約束した仲雅が「生島荘で行われている内裏の建設工事に関する命令を受け取りましたが、其の役割を担うべき地域では争いが有り、まだ弁済がされていないのではないでしょうか。但し、西暦1,207〜1,211年の期間に於いては、役夫や労働者の為に米が53町分の田から割り当てられています。此の件に就いては国司に粗方報告しました。薬務を果たす者の怠慢が無い様に然るべきご指示を頂けます様お願い申し上げます」という主旨の請文を記載する。 | |
| 1,220 | 11 | 14 | 大内裏の殿舎・門・廊等の立柱・上棟の儀式が執り行われる。 | |
| 1,220 | 12 | 27 |
藤原頼経の着袴の儀が、二階堂大路仮御所にて執り行われる。以下の人間等が参列した。 ①北条泰時 ②足利義氏 ③三浦義村 ④小山朝政 |
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| 1,220 | 12 | 28 | 鎌倉で地震が発生し、永福寺の僧房が焼失する。 | |