以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦
≈は「頃」を意味しています。
垣間見える実直さとプライド。
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| 1,218 | 1 | 30 | 後藤基清が、白河(現在の京都府京都市左京区)の辺りに謀反人が居ると聞き、家来と共に向かったが、捕えようとした所、家来が大勢怪我をした。其れでも頭目の伊勢平氏の分家の掃部権助平正重の首を取った。 | |
| 1,218 | 2 | 8 | 晴れの中、後藤基清の伝令が京都から鎌倉に到着し、平正重の武装蜂起に就いて報告する。 | |
| 1,218 | 2 | 9 | 源実朝が、権大納言に任ぜられる。 | |
| 1,218 | 3 | 2 |
快晴の中、北条政子が、以下の人間を連れて、熊野参詣の為鎌倉を出発する。唯、熊野参詣というのは表向きで、真の目的は上洛にあった。政子の上洛を決めたのは政所であった。 ①北条時房 ②源師季の娘 源師季の娘は土御門通行に嫁ぐ為に同行した。 |
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| 1,218 | 3 | 8 | 晴れの中、大江広元が、源実朝の命令により、源の近衛大将任官の要望を伝える使者を京都へ遣わせる。 | |
| 1,218 | 3 | 10 | 晴れの中、波多野朝定が、源実朝の必ず左近衛大将に任じて欲しい、という要望を上申する為、京都へ向けて出発する。 | |
| 1,218 | 3 | 16 | 源仲章が、鎌倉幕府の推薦により、従四位下・文章博士と、第84代天皇順徳天皇の侍読を兼務して昇殿を許可される。 | |
| 1,218 | 3 | 19 | 北条政子一行が上洛する。 | |
| 1,218 | 4 | 2 | 源実朝が、左近衛大将兼左馬寮御監に任ぜられる。最初朝廷は、源頼朝の例に倣い、実朝を右近衛大将に任命しようとした為、西暦1,218年3月8日に大江広元に遣わされた使者は、実朝殿は右近衛大将なら辞退するだろう、と述べた為、波多野朝定が到着する前に任命を変更する為、朝議が行われた。使者は、第25代関白近衛家実の屋敷を何度も往復した。 | |
| 1,218 | 4 | 12 |
晴れの中、波多野朝定が、西暦1,218年4月2日の辞令を持参し京都から帰還する。辞令の内容は以下の通り。 ①侍従藤原範有 ②兵庫権大輔藤原頼隆 ③勘解由次官平範輔 ④出羽守安達景盛 ⑤伊予守一条実雅 ⑥左近衛大将兼左馬寮御監源実朝 ⑦左少将藤原盛兼 ⑧右近衛少将一条能継 ⑨右衛門権佐藤原経兼 其の辞令を、安芸守藤原範高が源実朝の前に置いた。源は、安達景盛を面前に呼び出し、範高が其の場で書写した辞令を与えた。安達は喜びと感謝を表現した。又波多野は、源に御簾の下に呼ばれ、刀を与えられた。波多野は京都に居る間、近衛家実に源の左近衛大将就任を働き掛けており、其れが報われた形となった。 |
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| ≈ | 1,218 | 5 | 北条政子が、後鳥羽上皇の乳母であった藤原兼子と面会する。北条は、源実朝に跡取りとなる男子が居ない為、皇族から次期征夷大将軍を斡旋する事は可能かどうか藤原に相談した。当時藤原は、西八条禅尼の甥で後鳥羽上皇の皇子の頼仁親王の養育を任されており、絶大な権力を持っていた。何度かの面会の末、藤原は、頼仁親王を推薦し、北条は同意した。 | |
| 1,218 | 5 | 10 | 北条政子が、藤原兼子の推挙と滋野井実宣の指示により、従三位に叙せられる。此の決定に当たり、議事では揉めた。出家した者に官位を与えたのは過去に道鏡のみであったからである。唯、女性が官位を授かった例として、皇后に準じた人物である平時子という前例が有り、藤原全子も出家後皇后に準じて官位を授かった。此れ等の例に倣い、今回の決定が下された。滋野井は、藤原清範に従三位昇叙の書面を北条の宿所に届けさせた。 | |
| 1,218 | 5 | 11 | 北条政子が、後鳥羽上皇との面会を許可される。しかし北条は「田舎育ちの老尼を上皇様の御目に掛けても仕方ありませんので」と辞退した。北条は諸寺巡拝を諦め、直様鎌倉へ向けて出発した。 | |
| 1,218 | 5 | 25 | 北条政子一行が鎌倉に帰還する。 | |
| 1,218 | 7 | 21 |
鶴岡八幡宮寺にて、源実朝の左近衛大将任官の拝賀が執り行われる。拝賀であるので、本来任命者である順徳天皇と後鳥羽上皇に対し感謝し、拝礼すべきであったが、実朝が鎌倉に居る為、鶴岡八幡宮寺に神拝する事で代替した。此の日の天気は晴れたり曇ったりであった。早朝、二階堂行村が、鶴岡八幡宮寺での拝賀に就いて、京都から来ている大江広元の弐男長井時広等の殿上人に言って回った。17時、儀式が開始された。先ず源が、大倉御所の南面公邸から出て来て、衣冠束帯の装いの源仲章が御簾を上げた。そして、束帯を装った陰陽少允安陪親職が、車寄せの部屋で踊り歩くお祓いの反閇をした。同じく束帯を装った陰陽権助安陪忠尚が、廊下の端の妻戸でお祓いをした。一条実雅が牛車をくっ付け、其の牛車は南門を出て西へ向かった。行列は以下であった。 ①牛の居飼4名 ②厩舎人4名 ③朝廷の役人 ❶府生狛盛光 ❷将曹菅野景盛 ❸将監中原成能 ④殿上人 ❶長井 ❷一条高能の長男一条能氏 ❸一条高能の参男一条頼氏 ❹一条高能の息子一条能継 ❺実雅 ❻村上源氏源兼忠の息子源師憲 ❼源頼兼の長男源頼茂 ❽平頼盛の弐男平為盛 ❾仲章 ❿一条能保の弐男一条信能 ⑤前駆 ❶田村仲能 ❷左近蔵人親実 ❸源朝親 ❹大江広元の四男毛利季光 ❺中原親能の息子中原季時 ❻相模権守経定 ❼蔵人大夫国忠 ❽足利義氏 ❾藤原範俊 ❿北条時房 ⓫蔵人大夫有俊 ⓬右馬助宗保 ⓭村上頼時 ⓮大江親広 ⓯北条義時 ⓰大内惟義 ⑥番長 ❶下毛野敦秀 ⑦御車 ❶実朝 ⑧下臈随臣 ❶秦頼澄 ❷秦清種 ❸下毛野敦家 ❹播磨貞直 ❺下毛野敦継 ⑨雑色20名 ⑩随兵 ❶大須賀通信 ❷長江義景の息子長江明義 ❸森頼定 ❹三浦義村 ❺北条泰時 ❻小田知重 ❼安達景盛 ❽土岐光行 ⑪検非違使 ❶大江能範 ⑫調度懸 ❶佐々木高重 ⑬衛府 ❶大泉氏平 ❷関政綱 ❸小野寺秀通 ❹島津忠久 ❺三浦胤義 ❻足立元春 ❼天野政景 ❽伊賀光季 ❾後藤基清の長男後藤基綱 ➓加藤景廉の息子加藤景長 ⓫伊東祐時 ⓬武藤頼茂 ⓭中条家長 ⓮佐貫広綱 ⓯大江範親 ⓰春日部実平 ⓱塩谷朝業 ⓲津々見忠季 ⓳東重胤 次に、鶴岡八幡宮寺の橋の前で牛車から牛を解放した。仲章が牛車の御簾を上げに出て、源頼茂が踏み台を差し出した。能継が沓を差し出し、実雅が束帯の裾を持った。束帯の装いの二階堂行村と狩衣に冠の装いの佐々木広綱が、楼門の東西に、向かい合って床几に腰掛けて控えていた。又、二階堂と広綱に其々従っている護衛兵が10名ずつ居た。北条政子と西八条禅尼は、牛車を赤橋の西に駐車して見物していた。二階堂行光・加藤光員・藤原範高と、朝廷から来た狩衣に下括りの装いの警備兵が牛車の長柄の左右に居た。他の御家人達は鶴岡八幡宮寺の中や路地を警備した。北条義時の妻を始めとする女官達は仮設見物席の桟敷を流鏑馬馬場の辺りに設置した。其処に見物の者が集まった。本宮と若宮に幣を納め、日暮れ時に儀式は終了した。 |
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| 1,218 | 7 | 31 |
源実朝が、左近衛大将としての直衣始を行う為、鶴岡八幡宮寺へと向かう。しかし、行列は西暦1,218年7月21日の源の左近衛大将任官の拝賀の時と基本的には同じであったが、大須賀通信が病気を理由に辞退した為、随兵の位置が前回と異なり、左右の位置が前回は、 ①左 ❶大須賀 ❷森頼定 ②右 ❶長江明義 ❷三浦義村 であったのに対し、今回は、 ①左 ❶三浦 ❷森 ②右 ❶長江 ❷佐貫広綱 となった。此れを受けて、上席である①❶を三浦と長江が互いに譲り合い、トラブルとなった。源は間に入り、年長の長江を①❶、②❶を三浦として、事を収めた。結果、行列の出発の時間が遅れてしまった。 |
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| 1,218 | 8 | 14 |
侍所所司として、以下の5名が選任される。 ①北条泰時 ②二階堂行村 ③三浦義村 ④大江能範 ⑤伊賀光宗 北条は第5代侍所別当に就任し、二階堂・三浦を部下として御家人を扱う事となった。大江は、源実朝の外出等の大倉御所での雑事、伊賀は御家人がお供をする役等を伝え集める役割を任された。北条時房が上申して許可され、5名に伝えて回った。 |
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| 1,218 | 9 | 11 | 長井時広が、二階堂行村経由で源実朝に京都への帰還を願い出る。源は二階堂に「蔵人となって鎌倉に下向したのだから、決して京都に帰りたいと考えるべきではない。鎌倉幕府を見下しているのか。其の考え方は筋が通らない」と激怒した。長井は、二階堂から源の言葉を聞き「決して鎌倉幕府を軽んじている訳では無い。検非違使任官を所望しているが、まだ奉公が足りず、今回は一時的に下向して来た。お許しを頂いて京都で検非違使に任じられたら鎌倉に戻って奉公する」と語り、再度二階堂に取り次ぎを依頼したが、源の怒りを間近で見ていた二階堂は拒否した。其の後長井は、涙を流しながら北条義時に取り次ぎを依頼した。 | |
| 1,218 | 9 | 12 | 北条義時が、長井時広の帰京に関して源実朝に相談し、源が許可する。 | |
| 1,218 | 10 | 29 | 源実朝が、第58代内大臣に就任する。 | |
| 1,218 | 11 | 2 | 北条政子が、藤原兼子の推挙により、従二位に昇叙する。 | |
| 1,218 | 11 | 30 | 第51代左大臣九条良輔が、天然痘により急死する。 | |
| 1,218 | 12 | 21 | 第90代右大臣九条道家が退任し、源実朝が第91代右大臣に任ぜられる。又九条は此の日第52代左大臣に就任した。 | |
| 1,218 | 12 | 24 | 晴れの中、公暁が、参籠した儘、幾つもの祈請を行っていた。一向に髪を剃らなかったので、周囲の者は怪しんだ。又公暁は、白河義典を、奉幣の為伊勢神宮へ派遣した。他にも幾つかの神社へ代参させていると、大倉御所で発表された。 | |