西暦1201〜1300年は、源頼家が蹴鞠に耽溺し御家人の所領再分配を命じるも反対され、北条氏が台頭した時代である。重源が東大寺大仏殿の再建に尽力し、和田合戦で北条義時が和田義盛を滅ぼした。源実朝が暗殺され、承久の乱を経て北条氏の執権政治が確立した。モンゴル帝国がユーラシア大陸に拡大した。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦

≈は「頃」を意味しています。

東大寺大仏殿の再建に尽力した重源と陳和卿に関する電子書籍 垣間見える実直さとプライド。
年月日 出来事
1,216 1 25 タージ・アルディン・ユルディズ率いる軍と、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる奴隷王朝軍が、タラオリ(現在のインドのハリヤーナー州カルナル)にて激突する。イルトゥトゥミシュはユルディズに対し、双方兵を伴わずに交渉するのであれば応じると申し出ていたが、ユルディズは拒否していた。結果、奴隷王朝軍が勝利し、矢を受けて負傷したユルディズは捕えられ、デリーを引き回された後、ブダウンに送られ、同年中に処刑された。
1,216 2 4 江ノ島が陸続きとなり、徒歩で本州から渡れる様になる。相模国の人々が集まった。源実朝等は、神の御蔭ではないかと驚いた。
1,216 2 23 東寺(現在の京都府京都市南区九条町)に盗賊が侵入し、仏舎利や仏教道具が盗まれる。
1,216 2 27 朝廷が、西暦1,216年2月23日に東寺が盗難に遭った件に関し、五畿七道に、盗人を探し出す様宣旨を下す。宣旨には「舎利は釈尊の身の一部、仏具はインドから中国、そして日本へと伝えられた三国伝来の霊宝。此れ等が盗まれた事で、仏法が衰退して、国家を守る力が失われる」と書かれていた。
1,216 3 8 朝廷が、西暦1,216年2月23日に東寺が盗難に遭った件に関し、盗人を探し出す様下した宣旨が、鎌倉幕府に届く。源実朝は、三善康信に宣旨を御家人に伝える様命じた。
1,216 3 18 以下2名が、新日吉社(現在の京都府京都市東山区妙法院前側町)付近で、西暦1,216年2月23日に東寺から仏舎利や仏教道具を盗んだ者を捕縛する。
①藤原秀康
②藤原秀能
1,216 3 28 東寺に、盗まれていた仏舎利と仏教道具が返還される。
1,216 6 24 陳和卿が鎌倉に到着する。陳は「源実朝殿は権化の再誕であり、恩顔を拝みたい」と源への謁見を望んだ。
1,216 7 1 陳和卿が源実朝に謁見する。陳は「おお、我が師よ」と、源を3度拝み、泣き出した。源殿は前世に於ける私の師匠、医王山(現在の中国浙江省寧波市鄞州区五郷镇宝幢太白山の麓の阿育王寺)の長老だったのです。私は源殿の弟子としてお仕えしておりました。今日この日の再会を、喜ばずにはいられないのです」という主旨の発言をした。すると源は「実は私も6年前其の様な夢を見た。今まで誰にも話した事が無いので、示し合わせたとも思えない。やはり我々は、前世からの因縁によって引き合わされたのかも知れない」と意気投合した。
1,216 7 6 源実朝が、権中納言に任ぜられる。
1,216 8 5 公胤が入滅する。
1,216 9 5 源実朝が、左近衛中将に任ぜられる。
1,216 10 30 北条義時が大江広元を呼び、源実朝の昇進に就いて密談する。
1,216 11 1 北条義時に遣わされた大江広元が、近衛大将昇進を所望している源実朝を「源殿はまだ若く、大きな実績や京都での政治経験が無い事から、征夷大将軍としての務めを果たし、年齢を重ねてから兼任すべきである」という主旨の発言をして諌める。源は「諫言には感心するが、源氏の正統は自分の代で途絶え、子孫が継ぐ事は無いだろう。だからせめて官職を帯び、家名を上げたいと思う」と回答した。大江は黙って退くしかなかった。
源実朝に関する電子書籍 短期間で位階の昇叙と官職の昇進を重ねたが中身は...