西暦1217年は、陳和卿の大船が浮かばず、公暁が鶴岡八幡宮寺別当に就任した年である。1月3日、北条義時への抵抗として渡宋を思い立った源実朝に命じられ、陳和卿が大船の建造を開始したが、5月23日に完成した大船は由比ヶ浜で浮かばず失敗した。7月25日に公暁が三井寺から鎌倉に到着し、11月頃に第4代鶴岡八幡宮寺別当に就任、11月11日の夜からは鶴岡八幡宮寺の裏山で1,000日間の参籠を開始している。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / 韓国の旧暦 / 日本の旧暦 / ヒジュラ暦 / フランス革命暦 / ソビエト連邦暦

≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,217 シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる奴隷王朝軍が、ナースィル・ウッディーン・カバチャ征伐の為出陣する。イルトゥトゥミシュはパンジャーブ地方のより広範な部分を征服しようとしていた。カバチャはラホールからムルターンに撤退しようとしたが追撃され、マンスーラ(現在のパキスタンのシンド州サングハール)で敗北した。イルトゥトゥミシュは、北西国境にモンゴル帝国軍が駐留していた為、シンドへの攻撃を控えた。以降イルトゥトゥミシュは、モンゴル帝国軍の脅威に晒される事となった為、西暦1,227年迄カバチャを脅かす事は無かった。イルトゥトゥミシュは、本年の冬に掛けてラホールを占領し、自身の長男ナスィールッディーン・マフムードを統治者として任命した。
1,217 1 3 北条義時への抵抗として渡宋を思い立った源実朝に大船の建造を命じられた陳和卿が、作業を開始する。北条や大江広元は大船の建造に反対したが、源が押し切った形となった。
1,217 4 17 夕方、以下2名が、同じ牛車に乗って永福寺の桜の花見に出掛ける。
①源実朝
②西八条禅尼
其の後は二階堂行村の屋敷で和歌会を行い、22時に月が出たので帰宅した。
1,217 5 23 陳和卿が本年1月3日から着手した大船の建造が完了する。北条義時の指揮の下、其の船を由比ヶ浜から浸水させようとするが浮かばず、失敗した。
1,217 6 16 定暁が入滅する。
1,217 6 17 寿福寺の筆頭住職退耕行勇が大倉御所を訪ねる。相続争いの一方に加担している為である。何度も同じ内容で大倉御所に来るので、源実朝は機嫌を損ねた。源は、大江広元経由で「仏法僧の三宝を信じて縋る事は尊い事ではあるが、政治に盛んに口を出される。此れは僧としての礼儀に欠けるのではないか。そんな事は止めて、僧としての修行に注力する様に」と退耕行勇に伝えた。此れを聞いた退耕行勇は、がっかりしながらも恨みを抱きながら寿福寺へ戻り、門を閉じた。
1,217 6 20 源実朝が、以下人間等を連れて、退耕行勇を慰める為に寿福寺を訪れる。
①北条泰時
②北条時房
退耕行勇は恐縮し、暫く禅室で仏法の話をした。
1,217 7 25 鎌倉に帰還する様北条政子の命を受け修行先の三井寺を出発していた公暁が鎌倉に到着する。
≈ 1,217 11 公暁が、第4代鶴岡八幡宮寺別当に就任する。
1,217 11 11 公暁が、鶴岡八幡宮寺を神拝する。夜、公暁は、宿願により鶴岡八幡宮寺の裏山で1,000日間の参籠を開始した。