西暦1201〜1300年は、源頼家が蹴鞠に耽溺し御家人の所領再分配を命じるも反対され、北条氏が台頭した時代である。重源が東大寺大仏殿の再建に尽力し、和田合戦で北条義時が和田義盛を滅ぼした。源実朝が暗殺され、承久の乱を経て北条氏の執権政治が確立した。モンゴル帝国がユーラシア大陸に拡大した。

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東大寺大仏殿の再建に尽力した重源と陳和卿に関する電子書籍 垣間見える実直さとプライド。
年月日 出来事
1,228 第36代アッバース朝カリフのムスタンスィルが、再び大使をデリーに派遣する。ムスタンスィルは、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュのインドに於ける権威を認め、以下の称号を与えた。
①ヤミン・ハリーファト・アッラー(神の代理人の右腕)
②ナシル・アミール・アル・ムーミン(忠実なる司令官の補佐)
1,228 尊長による謀反計画への関与が疑われた後白河天皇の第11皇子真禎が、摂津国へ配流される。
1,228 1 シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる軍が、以下のナースィル・ウッディーン・カバチャの以下の領土を奪取する。
①タバルヒンダ(現在のインドのパンジャーブ州バティンダー県)
②クフラム(現在のインドのパンジャーブ州パティヤーラー県)
③サルスティ(現在のインドのハリヤーナー州)
④ラホール
イルトゥトゥミシュは、ナシルッディーン・アイティムル・アル・バハーイーをムクタに任命した上で、ムルターン奪取を指示し、自身はウチュ(現在のパキスタンのパンジャーブ州バハーワルプル県)に進軍した。
1,228 1 21 曇りの中、以下3名により、藤原頼経の護持僧と、陰陽師の順番が決定される。
①二階堂行村
②藤原親実
③後藤基綱
護持僧は以下の通り。
①上旬
❶定豪
❷頼暁
❸円親
②中旬
❶良信
❷観基
❸常陸律師
③下旬
❶道禅
❷定清
❸蓮月房律師
陰陽師は以下の通り。
①安陪泰貞
②安陪晴賢
③安陪重宗
④安陪親職
⑤安陪文元
⑥安陪晴茂
1,228 2 シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる軍が、ウチュに近付いて来た時、ナースィル・ウッディーン・カバチャの副官ナシルッディーン・アイティムが、ラホールから進軍し、ムルターンを包囲した。そんな中カバチャは、バッカル(現在のパキスタンのパンジャーブ州)の島の要塞に、ウチュ(現在のパキスタンのパンジャーブ州バハーワルプル県)に保管されていた財宝を運ぶ様ワズィールに命じ、自身は先に船に乗りバッカルの島に逃亡した。
1,228 2 9 シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる軍が、ウチュに到着する。そしてイルトゥトゥミシュは、ウチュの包囲を開始した。同時にイルトゥトゥミシュは、ワズィールであるカマールッディーン・ムハンマド・ジュナイディにナースィル・ウッディーン・カバチャを追撃させた。勝ち目の無い状況に陥ったカバチャは、自身の息子で、イルトゥトゥミシュの妃でクトゥブッディーン・アイバクの娘である母を持つアラーウッディーン・バフラーム・シャーを遣わせ、和平交渉をさせた。イルトゥトゥミシュは、カバチャの無条件降伏を条件に和平を提案した。
1,228 5 4 アラーウッディーン・バフラーム・シャーの目論見通りの条件で条約が締結され、ナースィル・ウッディーン・カバチャが降伏する。此れにより、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる軍が、ウチュを占領した。ジュナイディは、カバチャが降伏したにも拘らず、バッカルの包囲を続けた。
1,228 5 26 夜、ナースィル・ウッディーン・カバチャが、インダス川にて入水自殺する。此れにより、カバチャの部隊は、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュの配下に置かれた。其の後イルトゥトゥミシュは、ムルターンとウチュを総督に任せて、複数の部隊を使って、西のマクラーン(現在のパキスタンのバローチスターン州、現在のイランのスィースターン・バルーチェスターン州)にまで勢力を拡大した。
1,228 8 シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュがデリーに到着する。カマールッディーン・ムハンマド・ジュナイディは、イルトゥトゥミシュにシンド(現在のパキスタン)南部の征服を命じられた為、イルトゥトゥミシュに同行しなかった。そして、シンドのワーリーのマリク・シナヌディンもイルトゥトゥミシュの権威を認め、イルトゥトゥミシュは勢力をアラビア海にまで拡大させた。ナースィル・ウッディーン・カバチャの息子や生き残った追随者達も、イルトゥトゥミシュの宗主権を受け入れた。
1,228 9 6 定豪が、第106世東大寺別当に就任する。
源実朝に関する電子書籍 短期間で位階の昇叙と官職の昇進を重ねたが中身は...