西暦1,228年は、インダス川流域がイルトゥトゥミシュの手に落ちた年である。第36代アッバース朝カリフのムスタンスィルが再び大使をデリーに派遣し、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュのインドに於ける権威を認めて、ヤミン・ハリーファト・アッラー(神の代理人の右腕)とナシル・アミール・アル・ムーミン(忠実なる司令官の補佐)の称号を与えた。1月頃、西暦1217年にも征伐を試みたイルトゥトゥミシュ率いる軍がナースィル・ウッディーン・カバチャのタバルヒンダ・クフラム・サルスティ・ラホールを奪取し、ナシルッディーン・アイティムル・アル・バハーイーをムクタに任命してムルターン奪取を指示、自身はウチュへ進軍した。2月頃にカバチャはバッカルの島の要塞へ財宝を運ぶ様ワズィールに命じ、自身は先に船で逃亡している。2月9日、イルトゥトゥミシュ軍がウチュに到着して包囲を開始し、同時にワズィールのカマールッディーン・ムハンマド・ジュナイディにカバチャを追撃させた。勝ち目の無い状況に陥ったカバチャは息子アラーウッディーン・バフラーム・シャーを遣わせて和平交渉をさせ、イルトゥトゥミシュは無条件降伏を条件に和平を提案、5月4日に条約が締結されてカバチャが降伏しウチュが占領された。5月26日夜、カバチャはインダス川にて入水自殺し、其の部隊はイルトゥトゥミシュの配下に置かれ、イルトゥトゥミシュは西のマクラーンにまで勢力を拡大している。8月にデリーへ到着し、シンドのワーリーのマリク・シナヌディンも権威を認めた事で、勢力はアラビア海にまで及んだ。日本では、西暦1227年に自害した尊長による謀反計画への関与が疑われた後白河天皇の第11皇子真禎が摂津国へ配流された。1月21日には二階堂行村・藤原親実・後藤基綱により藤原頼経の護持僧と陰陽師の順番が決定され、9月6日、西暦1226年に東寺三長者となった定豪が第106世東大寺別当に就任した。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,228 第36代アッバース朝カリフのムスタンスィルが、再び大使をデリーに派遣する。ムスタンスィルは、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュのインドに於ける権威を認め、以下の称号を与えた。
①ヤミン・ハリーファト・アッラー(神の代理人の右腕)
②ナシル・アミール・アル・ムーミン(忠実なる司令官の補佐)
1,228 尊長による謀反計画への関与が疑われた後白河天皇の第11皇子真禎が、摂津国へ配流される。
1,228 1 シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる軍が、以下のナースィル・ウッディーン・カバチャの以下の領土を奪取する。
①タバルヒンダ(現在のインドのパンジャーブ州バティンダー県)
②クフラム(現在のインドのパンジャーブ州パティヤーラー県)
③サルスティ(現在のインドのハリヤーナー州)
④ラホール
イルトゥトゥミシュは、ナシルッディーン・アイティムル・アル・バハーイーをムクタに任命した上で、ムルターン奪取を指示し、自身はウチュ(現在のパキスタンのパンジャーブ州バハーワルプル県)に進軍した。
1,228 1 21 曇りの中、以下3名により、藤原頼経の護持僧と、陰陽師の順番が決定される。
①二階堂行村
②藤原親実
③後藤基綱
護持僧は以下の通り。
①上旬
❶定豪
❷頼暁
❸円親
②中旬
❶良信
❷観基
❸常陸律師
③下旬
❶道禅
❷定清
❸蓮月房律師
陰陽師は以下の通り。
①安陪泰貞
②安陪晴賢
③安陪重宗
④安陪親職
⑤安陪文元
⑥安陪晴茂
1,228 2 シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる軍が、ウチュに近付いて来た時、ナースィル・ウッディーン・カバチャの副官ナシルッディーン・アイティムが、ラホールから進軍し、ムルターンを包囲した。そんな中カバチャは、バッカル(現在のパキスタンのパンジャーブ州)の島の要塞に、ウチュ(現在のパキスタンのパンジャーブ州バハーワルプル県)に保管されていた財宝を運ぶ様ワズィールに命じ、自身は先に船に乗りバッカルの島に逃亡した。
1,228 2 9 シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる軍が、ウチュに到着する。そしてイルトゥトゥミシュは、ウチュの包囲を開始した。同時にイルトゥトゥミシュは、ワズィールであるカマールッディーン・ムハンマド・ジュナイディにナースィル・ウッディーン・カバチャを追撃させた。勝ち目の無い状況に陥ったカバチャは、自身の息子で、イルトゥトゥミシュの妃でクトゥブッディーン・アイバクの娘である母を持つアラーウッディーン・バフラーム・シャーを遣わせ、和平交渉をさせた。イルトゥトゥミシュは、カバチャの無条件降伏を条件に和平を提案した。
1,228 5 4 アラーウッディーン・バフラーム・シャーの目論見通りの条件で条約が締結され、ナースィル・ウッディーン・カバチャが降伏する。此れにより、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ率いる軍が、ウチュを占領した。ジュナイディは、カバチャが降伏したにも拘らず、バッカルの包囲を続けた。
1,228 5 26 夜、ナースィル・ウッディーン・カバチャが、インダス川にて入水自殺する。此れにより、カバチャの部隊は、シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュの配下に置かれた。其の後イルトゥトゥミシュは、ムルターンとウチュを総督に任せて、複数の部隊を使って、西のマクラーン(現在のパキスタンのバローチスターン州、現在のイランのスィースターン・バルーチェスターン州)にまで勢力を拡大した。
1,228 8 シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュがデリーに到着する。カマールッディーン・ムハンマド・ジュナイディは、イルトゥトゥミシュにシンド(現在のパキスタン)南部の征服を命じられた為、イルトゥトゥミシュに同行しなかった。そして、シンドのワーリーのマリク・シナヌディンもイルトゥトゥミシュの権威を認め、イルトゥトゥミシュは勢力をアラビア海にまで拡大させた。ナースィル・ウッディーン・カバチャの息子や生き残った追随者達も、イルトゥトゥミシュの宗主権を受け入れた。
1,228 9 6 定豪が、第106世東大寺別当に就任する。
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