西暦620年は、メッカの外に教えの受け入れ先が現れ始めた年である。ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフはターイフでタキフ族に布教を試みたが、拒否された。一方、カアバを訪れたヤスリブのアウス族とハズラジュ族の巡礼団6名が改宗し、血の復讐の悪循環に陥っていた故郷で布教を始めた。

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年月日 出来事
620 ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが、ターイフ(現在のサウジアラビアのマッカ州)にて、現地のタキフ族にイスラム教を布教しようとするが、拒否される。
620 ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフはカアバ(現在のサウジアラビアのマッカ州)を訪れた各部族の巡礼団に対し、宣教を行っていた。此の時ムハンマドの教えを聞いてイスラム教に改宗した者の中にヤスリブ(後のマディーナ、現在のサウジアラビアのマディーナ州)から来たアウス族とハズラジュ族の巡礼団6名がいた。ヤスリブに帰った彼らはイスラム教を布教した。当時のヤスリブは住民の約1/3がクライザ族やナディール族、カイヌカー族等のユダヤ教徒で、2/3が多神教徒のアラブ人であった。当時のヤスリブではアラブ人の有力部族であるアウス族とハズラジュ族がユダヤ教徒を巻き込んで何十年にも渡る抗争を繰り広げていた。国家が存在していなかった当時のアラビアでは、部族の一員が殺害された際には敵対部族を殺害する事によって勢力均衡を図る「血の復讐」と呼ばれる制度が形成されており、両部族は復讐の悪循環に陥っていた。其処でヤスリブは平和の回復の為強力な権威を持つ調停者、指導者を必要としていた。