西暦181年は、後漢最後の皇帝となる献帝が生まれ、同時に其の生母が命を落とした年である。4月2日、霊帝の側室王栄が献帝を産むが、嫉妬した何皇后によって毒殺された。献帝は暴室で養育され、7月頃には何皇后の父何真に車騎将軍が追贈される。

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年月日 出来事
181 4 2 第12代後漢皇帝霊帝の側室王栄により献帝が産まれる。此れに嫉妬した何皇后は王に刺客を送り毒酒で王を毒殺した。此れを知った霊帝は何皇后を退位させようとしたが、宦官達が執り成して阻止した。其の後霊帝は若くして母を亡くした献帝を不憫に思い韻文「追徳賦」「令儀頌」を詠んだ。以後献帝は嗇夫の朱直によって、宮中の女性が病気や罪を犯した際に監禁される部屋である「暴室」で養育された。
≈ 181 7 何皇后の父何真に対し、車騎将軍と舞陽(現在の河南省)侯が追贈される。