西暦1222年は、河野通信等が高縄山城を開城し、河野氏が所領を没収された年である。朝廷軍の敗北後も高縄山城に籠城して鎌倉幕府軍に抵抗していた河野通信・得能通俊・河野通政・河野通末等は、攻め込まれて降伏し、通信は捕虜となって陸奥国江刺の極楽寺へ配流された。河野氏は所領53ヶ所・公田60余町・一族149名を没収され、10月4日には北条時房の嫡男北条時盛が掃部権助に任じられている。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / 韓国の旧暦 / 日本の旧暦 / ヒジュラ暦 / フランス革命暦 / ソビエト連邦暦

≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
1,222 朝廷軍の敗北後に高縄山城(現在の愛媛県松山市立岩米之野)に籠城し、鎌倉幕府軍に抵抗していた以下4名等が、鎌倉幕府軍に攻め込まれ、降伏して高縄山城を開城する。
①河野通信
②通信の長男得能通俊
③通信の弐男河野通政
④通信の四男河野通末
其の後、通信は捕虜となり、陸奥国江刺の極楽寺(現在の岩手県北上市稲瀬町内門岡)へ配流された。河野氏は、以下を鎌倉幕府に没収された。
①所領53ヶ所
②公田60余町
③河野氏一族149名
又得能は、伊予国得能(現在の愛媛県西条市丹原町徳能)の僅かな土地を領する事を認められ、通政は、信濃国葉広(現在の長野県伊那市西箕輪羽広)で処刑、通末は信濃国伴野荘(現在の長野県佐久市伴野)へ配流された。
1,222 10 4 北条時房の嫡男北条時盛が掃部権助に任じられる。