西暦1201〜1300年は、源頼家が蹴鞠に耽溺し御家人の所領再分配を命じるも反対され、北条氏が台頭した時代である。重源が東大寺大仏殿の再建に尽力し、和田合戦で北条義時が和田義盛を滅ぼした。源実朝が暗殺され、承久の乱を経て北条氏の執権政治が確立した。モンゴル帝国がユーラシア大陸に拡大した。

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東大寺大仏殿の再建に尽力した重源と陳和卿に関する電子書籍 垣間見える実直さとプライド。
年月日 出来事
1,222 朝廷軍の敗北後に高縄山城(現在の愛媛県松山市立岩米之野)に籠城し、鎌倉幕府軍に抵抗していた以下4名等が、鎌倉幕府軍に攻め込まれ、降伏して高縄山城を開城する。
①河野通信
②通信の長男得能通俊
③通信の弐男河野通政
④通信の四男河野通末
其の後、通信は捕虜となり、陸奥国江刺の極楽寺(現在の岩手県北上市稲瀬町内門岡)へ配流された。河野氏は、以下を鎌倉幕府に没収された。
①所領53ヶ所
②公田60余町
③河野氏一族149名
又得能は、伊予国得能(現在の愛媛県西条市丹原町徳能)の僅かな土地を領する事を認められ、通政は、信濃国葉広(現在の長野県伊那市西箕輪羽広)で処刑、通末は信濃国伴野荘(現在の長野県佐久市伴野)へ配流された。
1,222 10 4 北条時房の嫡男北条時盛が掃部権助に任じられる。
源実朝に関する電子書籍 短期間で位階の昇叙と官職の昇進を重ねたが中身は...