紀元前1000〜1年は、ダビデがエルサレムを攻略しヘブライ王国を遷都、ソロモン王が知恵と莫大な富で治世を敷いた時代である。シバの女王マケダがソロモンの宮殿を訪れ、ヘブライ王国はソロモンの死後に南北に分裂した。ローマ共和政が台頭し地中海世界を支配、紀元前4年頃にイエス・キリストが生誕した。

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≈は「頃」を意味しています。

ヘブライ王国に関する電子書籍 ユダヤ国家の原点。
年月日 出来事
861 オムリが崩御し、サマリアに葬られる。後任として、オムリの息子アハブが第7代イスラエル王国国王に即位した。アハブは、フェニキア人との同盟を強化した。更に、シドン人の王エテバアルの娘のイゼベルと結婚し、王妃として迎えた事で其の同盟は一層強固なものとなった。イゼベルは、シドン人の領地と同様に、サマリアにバアルの神殿を建設させ、アシェラ像を築かせ、バアル礼拝を推し進め、アハブはイゼベルの言うが儘となった。
861 預言者エリヤがアハブに対し「私の仕えているヤハウェは生きておられます。私の言葉が無い内は、数年雨の露も無いでしょう。又、植物も育たないだろう」と、飢饉の到来を警告する預言を行う。
861 ツァーラアトに罹っていた、第4代アラム王ベネハダデ2世が全幅の信頼を寄せていた軍の最高司令官である将軍ナアマンが、自身の妻の召使でイスラエル王国を侵略した際に捕虜とした少女から「旦那様はサマリアに居る預言者の所へ行かれたら宜しいのではないでしょうか。きっと其の方がツァーラアトを治して下さいます」と提案される。ナアマンはベネハダデ2世に、少女の提案を話した。ベネハダデ2世は「其の預言者の所へ行くが良い。アハブに宛てて紹介状を書こう」と同意した。ナアマンは、以下の贈り物と「此の書簡を貴方に手渡す者は、私の家臣ナアマンです。是非とも、ナアマンのツァーラアトを治して下さい」という主旨の紹介状を携え、イスラエル王国へ向けて出発した。
①金68.4kg
②銀340kg
③着物10着
アハブは紹介状を読むと、服を裂いて「ベネハダデ2世め。ツァーラアトの者を寄越して、病気を治してくれと無理難題を吹っ掛けて来ている。私は生かしたり殺したり出来る神だろうか。此れは侵略の口実を見付ける罠に違いない」と言った。此れを受けて預言者エリシャは、アハブの下に人を遣わせ「何故そんなに取り乱しているのですか。ナアマンを寄越して下さい。彼は、イスラエル王国には神の預言者が居る事を知るでしょう」と進言した。
861 ナアマンが、馬と戦車を従えてエリシャの自宅の玄関に立つ。エリシャは、使いの者を遣わせ「ヨルダン川へ行って、体を7回洗いなさい。そうすればツァーラアトは跡形も無くなり、完治します」と助言をした。此れを聞いたナアマンは立腹し、不機嫌そうに「何という事だ。預言者が直々に出て来て挨拶し、患部に手を当て、彼の神の名を読んでツァーラアトを治してくれると思ったのに川で洗えだと?それならバラダ川(現在のシリアのダマスカス県・ダマスカス郊外県)やパルパル川の方がよっぽど綺麗じゃないか。どうしても川で洗わなければならないというのなら、故郷の川でやった方がまだましだ」と言って憤慨して去っていった。其の際ナアマンの部下が「もしあの預言者に何か難しいことをせよと言われたら、そう為さるお積もりだったのでしょう。それなら、体を洗って清くなれと言われただけの事ですから、其の通りに為さってみては如何ですか」と説き伏せた。ナアマンは、部下の説得を受け入れ、ヨルダン川へ行き、7回水に身を浸した。すると、ナアマンの皮膚は幼子の様に艶々とし、ツァーラアトが完治した。ナアマン達はエリシャの下を訪れ、恭しくエリシャの前に立ち「イスラエル王国の他に、世界の何処にも神は居られない事が分かりました、どうぞ此の贈り物をお受け取り下さい」と感謝の意を表した。エリシャは「ヤハウェに懸けて、其の様な物を頂く訳には参りません」と断った。ナアマンは頻りに勧めたが、エリシャは受け取ろうとしなかった。其処でナアマンは「では、此れだけはお聞き届け願えないでしょうか。2頭の騾馬に載せられるだけの土を分けて下さい。国に持ち帰りたいのです。此れからはもうヤハウェの他には、どの神にも生贄を捧げたくはありません。但し1つだけお許し頂きたい事がございます。ベネハダデ2世がリモンの神殿に参拝する際、私の腕に寄り掛かります。其の時私も一緒に身を屈めますが、其の事をヤハウェがお許し下さいます様に」と言った。エリシャは「宜しい。安心してお帰りなさい」と許可した。エリシャの従者ゲハジは「エリシャ様のお人好しも困ったものだ。贈り物を1つも受け取らずにナアマンを帰してしまうのだから。よし、ナアマンの後を追い掛け、何か頂いて来よう」と走ってナアマンの後を追った。ナアマンは、ゲハジが向かって来る事に気付くと、戦車から降り、走り寄って迎え「何か有ったのですか」と問い掛けた。エリシャは「はい。エリシャがお伝えしたい事が有ると、私を遣わせたのです。たった今、若い預言者が2人、エフライム族の領地の山地から来まして、彼らに何か土産をと思ったものですから。宜しければ銀34kgと着物2着を分けて頂けませんか」という主旨の主張を行った。ナアマンは「宜しいですとも。何なら銀68kgをお持ち下さい」と強く勧め、銀68kgと着物2着を自身の2名の家来に持たせてゲハジと同伴させた。エリシャの自宅の在る丘に到着すると、ゲハジは銀の袋と着物を受け取り、2名を帰した。そして其れ等を隠して何食わぬ顔でエリシャの前に出た。エリシャは「ゲハジ、何処へ行っていたのか」とゲハジに尋ねた。ゲハジは「何処にも参りません」と答えた。エリシャは「ナアマンが戦車から降りてお前を迎えるのを私は心の目で見ていたのだ。今は銀・着物・オリーブ畑・葡萄畑・羊・牛・男女の奴隷を受け取る時だろうか。そんな事をしたからには、ナアマンのツァーラアトはいつまでもお前とお前の子孫に降り掛かる事になる」と言った。ゲハジは忽ちツァーラアトに冒され、肌が雪の様に白くなり、エリシャの部屋から出て行った。
861 サマリアで飢饉が始まる。エリヤは、ケリテ川(現在のヨルダンのイルビド県・アジュルン県付近)に身を隠した。エリヤは、ケリテ川の水を飲んでいたが、軈てケリテ川の水が枯れた。エリヤは、イゼベルの出身地であるシドン(現在のレバノンの南レバノン県)に属するザレパテ(現在のレバノンの南レバノン県)へ向かった。エリヤは、ザレパテの門に到着すると、薪を拾っていた寡女に声を掛け「水を少し持って来て、私に飲ませて下さい」と頼んだ。更に続け様に「一口のパンを持って来て下さい」と頼んだ。寡女は「私はパンを持っていません。只甕に一握りの小麦粉と瓶に少しの油が有るだけです。薪を拾い其れを調理し私と子供は其れを食べて死のうとしているのです」と、飢饉の中で僅かな食糧しか持ち合わせていない実情を訴えた。エリヤは「恐れるには及ばない。貴方が言った通りにしなさい。しかし先ず、私の為に小さいパンを1つ作って持って来なさい。其の後貴方と子供の為に作りなさい。ヤハウェは『雨を地表に降らす日迄は、甕の小麦粉は尽きず、瓶の油は絶えない』と言われます」と言うと、寡女はエリヤの言った通りの事を行い、最後の2人分の食材を先ずエリヤに作って食べさせた。其の後、エリヤと寡女の家族は久しく食べる事が出来た。
ユダ王国に関する電子書籍 ヤハウェの道を往く者、背く者。