紀元前1000〜1年は、ダビデがエルサレムを攻略しヘブライ王国を遷都、ソロモン王が知恵と莫大な富で治世を敷いた時代である。シバの女王マケダがソロモンの宮殿を訪れ、ヘブライ王国はソロモンの死後に南北に分裂した。ローマ共和政が台頭し地中海世界を支配、紀元前4年頃にイエス・キリストが生誕した。

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ヘブライ王国に関する電子書籍 ユダヤ国家の原点。
年月日 出来事
851 100,000匹の子羊と雄羊100,000匹分の羊毛を貢物としてイスラエル王国に納めていたモアブの王メシャがイスラエル王国から離反し、反旗を翻す。此れを鎮圧しようとしたヨラム(イスラエル王国国王)は、モアブ征伐の遠征に加わる様ヨシャファトを誘った。ヨシャファトは同意し「我々はどの道を上れば良いのですか」と尋ねると、ヨラム(イスラエル王国国王)は「エドムの荒れ野の道を」と答えた。ヨシャファトは、自身が従えていたエドムの王と合流して、南方からモアブ攻略の為出陣した。しかし、迂回するのに7日を費やしてしまい、部隊と家畜の為の水が底を突いてしまった。此れを受けてヨラム(イスラエル王国国王)は泣き言を言っていたが、ヨシャファトは、ヤハウェの預言者に頼る事を勧めた。ヨシャファトは「此処にはヤハウェの預言者はいないのですか?」と尋ねると、イスラエル王国の家臣が「此処には、シャファテの子エリシャがいます。エリヤの手に水を注いだ者です」と答えた。ヨラム(イスラエル王国国王)・ヨシャファト・エドムの王は、エリシャを訪ねた。エリシャはヨラム(イスラエル王国国王)に対し「私とヨラム(イスラエル王国国王)の間に何の関わりが有るでしょうか。アハブやイゼベルの預言者の所に行かれたら良いでしょう」という主旨の発言をするとヨラム(イスラエル王国国王)は「我々3名の王を呼び集めたのはヤハウェだ」と返した。エリシャは「私が仕えているヤハウェは生きておられます。私はヨシャファトに敬意を抱いていなければ、貴方には目もくれず、増して貴方に会う事もしなかった。今、竪琴を弾く者を此処に連れて来てください」と言うと、竪琴を弾く者が竪琴を弾き鳴らした。するとエリシャは「ヤハウェは斯う言われる。『風を見ず、大雨を見なくても、此の涸れた谷に水が溢れる。貴方達は家畜や荷役の動物と共に其れを飲む』と。此れはヤハウェの目には小さな事である。ヤハウェはモアブを貴方達の手にお渡しになる。貴方達は全ての砦の町、全ての選り抜きの町を打ち破り、全ての有用な木を倒し、全ての泉を塞ぎ、全ての優れた耕地を石だらけの荒れ地とする」と、水を与え、モアブとの戦いに於いて勝利を齎す事を預言した。
851 エリシャが以下3名に預言した翌朝、捧げ物を献上する頃、水がエドムの方から流れて来て、水で満たされた。
①ヨラム(イスラエル王国国王)
②ヨシャファト
③エドムの王
3名はモアブ征伐の為進軍した。モアブの人々は、イスラエル王国・ユダ王国・エドム連合軍が攻めて来た事を知り、剣を帯び、鎧を身に付ける年齢に達した者全てが招集され、守備の為国境に配置された。
851 モアブの守備隊が国境に配置された翌朝、太陽が水面を照らし、モアブの人々は目の前に血の様な赤い水を見た。モアブの人々は「此れは血だ。ヨラム(イスラエル王国国王)・ヨシャファト・エドムの王は互いに同士討ちをしたに違い無い。モアブよ、今こそ分捕りに行こう」と、イスラエル王国の領地に攻め込んだ。しかし、返り討ちにされ、敗走した。逆にイスラエル王国・ユダ王国・エドム連合軍が、モアブ軍を襲撃し、モアブの町々を破壊し、良い畑に石を投げ捨てて石だらけにし、水源を塞ぎ、良い木を切り倒した。最後にモアブの首都キル・ハレセテが残ったが、石を投げ捨てた者達が包囲し、打ち破った。追い詰められたメシャは、剣使い700名を引き連れエドムの王を討とうとしたが、果たせなかった。其処でメシャは、跡取りである自身の長男を城壁の上で全焼の人身御供の捧げ物として、偶像神ケモシュに献上した。此れを受け、モアブの人々は怒り、イスラエル王国・ユダ王国・エドム連合軍は狼狽し、自国に引き上げた。
ユダ王国に関する電子書籍 ヤハウェの道を往く者、背く者。