紀元前791年は、ユダ王国が北の隣国に敗れ、都の守りと富を失った年である。アマツヤはヨアシュの忠告を聞かずに戦いを仕掛けるが、ベト・シェメシュで総崩れとなって捕虜となる。エルサレムの城壁はエフライムの門から隅の門まで200mに渡って取り壊され、神殿と王宮の財宝は奪われ、人質はサマリアへ連れ去られた。此の敗戦を受け、ユダ王国はアマツヤと息子ウジヤの共同統治体制となった。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
≈ 791 アマツヤが、相談役の意見を取り入れヨアシュに戦いを仕掛ける。ヨアシュは「レバノン山の薊がレバノン山の杉に『娘さんを息子の嫁にくれないか』と頼みました。ところが、レバノン山の野獣が通りかかり、其の薊を踏み躙りました。貴方はエドム人の領地を征服した事で鼻を高くしている。悪い事は言わないから、大人しくして居なさい。下手な手出しはお止めなさい。然もないと、ユダ王国の民共々痛い目に遭いますよ」と忠告したが、アマツヤは聞き入れなかった。両軍はベト・シェメシュ(現在のイスラエルのエルサレム地区)で激突したが、ユダ王国は総崩れとなり退却し、アマツヤは捕虜となりエルサレムに連行された。アマツヤは、エルサレムの城壁を、エフライムの門から隅の門まで200mに渡って取り壊す様命じられた。更にイスラエル王国は、神殿にあった全ての財宝と金の鉢、王宮の財宝を運び出し、オベデ・エドムを含む人質を連れてサマリアに帰還した。
791 ユダ王国の指導者達がアマツヤの息子ウジヤを為政者として推し、ユダ王国がアマツヤとウジヤの共同統治体制となる。