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≈は「頃」を意味しています。
ユダヤ国家の原点。
| 年月日 | 出来事 | |||
|---|---|---|---|---|
| ≈ | 771 | ユダ王国国民がエルサレムで反乱を起こす。アマツヤはラキシュ(現在のイスラエル南部地区)に逃亡した。しかし、反乱を起こしたユダ王国国民がラキシュまで追撃し、アマツヤは殺害された。ユダ王国国民は、アマツヤをラキシュからエルサレムへ運び、先祖達と共にダビデの町に葬った。ユダ王国国民は、ウジヤを第10代ユダ王国国王に即位させ、エラテ(現在のイスラエル南部地区エイラート市)を再建し、ユダ王国に復帰させた。ウジヤは、先代と同じく偶像崇拝の祭壇を取り壊さなかった。従って、ユダ王国国民は引き続き、偶像崇拝の祭壇で生贄を捧げたり、香を焚いたりしていた。 | ||
| ≈ | 771 |
ウジヤ率いるユダ王国軍が、ペリシテ人の領地に攻め入り、以下の都市の城壁を破壊する。 ①ガト ②ヤブネ(現在のイスラエル中央地区) ③アシュドッド(現在のイスラエル南部地区アシュケロン郡) 其の後、アシュドッドとペリシテ人の領地に町を築いた。ユダ王国軍は更に以下の都市のアラビア人を襲撃して勝利し、ウジヤの名声はエジプトまで広がり、アモン人はウジヤに貢物を納める様になった。 ①グルバアル(現在のヨルダンのタフィラ県ブセイラ郡) ②メウニム(現在のヨルダンのマアーン県) 一方で、エルサレムの以下の側に塔を建てて防備を強化した。 ①隅の門 ②谷の門 ③控え壁 更には、所有していた家畜の為に、シェフェラ(現在のイスラエルのエルサレム地区・中央地区・南部地区)・平原・荒野に塔を建てて、沢山の水溜めを掘り、ネゲヴにも要塞を築いた。又ウジヤは、牧畜や農耕を奨励し、カルメル山等の山々に、農業に従事する人間や葡萄の栽培人を抱えていた。軍隊は分隊に組織され、以下2名によって集計されて登録され、高官の1人であるハナニヤの指揮下に置かれた。 ①秘書官エイエル ②役人マアセヤ 兵士を束ねる氏族長が2,600名で、その指揮下には307,500名の兵士が居た。ウジヤは全軍に以下の装備を持たせた。 ①盾 ②小槍 ③兜 ④鎧 ⑤弓 ⑥投石器の石 又、エルサレムで製造したバリスタを塔の上や城壁の隅の上に設置し、軍備を増強した。最終的にウジヤは、ダビデ・ソロモン時代の領地を略取り返した。 |
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