紀元前771年は、ユダ王国の王が民の手で討たれ、次代の下で国力が大きく伸びた年である。ユダ王国国民がエルサレムで反乱を起こす。アマツヤはラキシュ(現在のイスラエル南部地区)に逃亡したが、反乱を起こしたユダ王国国民がラキシュまで追撃し、アマツヤは殺害された。遺体はエルサレムへ運ばれ、先祖達と共にダビデの町に葬られる。ユダ王国国民はウジヤを第10代ユダ王国国王に即位させ、エラテ(現在のイスラエル南部地区エイラート市)を再建してユダ王国に復帰させた。ウジヤは先代と同じく偶像崇拝の祭壇を取り壊さなかった為、ユダ王国国民は引き続き其処で生贄を捧げ、香を焚いていた。同じ頃、ウジヤ率いるユダ王国軍がペリシテ人の領地に攻め入り、ガト・ヤブネ・アシュドッドの城壁を破壊し、其の後アシュドッドとペリシテ人の領地に町を築く。更にグルバアル・メウニムのアラビア人を襲撃して勝利し、ウジヤの名声はエジプトまで広がって、アモン人は貢物を納める様になった。一方エルサレムでは、隅の門・谷の門・控え壁の側に塔を建てて防備を強化する。所有する家畜の為にシェフェラ・平原・荒野にも塔を建てて沢山の水溜めを掘り、ネゲヴにも要塞を築いた。又ウジヤは牧畜や農耕を奨励し、カルメル山等の山々に農業従事者や葡萄の栽培人を抱えた。軍隊は分隊に組織され、秘書官エイエルと役人マアセヤによって集計・登録され、高官の1人であるハナニヤの指揮下に置かれる。兵士を束ねる氏族長が2,600名、其の指揮下には307,500名の兵士が居た。ウジヤは全軍に盾・小槍・兜・鎧・弓・投石器の石を持たせ、エルサレムで製造したバリスタを塔の上や城壁の隅の上に設置して軍備を増強する。最終的にウジヤは、ダビデ・ソロモン時代の領地を略取り返した。年代に「≈」が付されている通り、いずれも紀元前771年頃の事として位置付けられる。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
771 ユダ王国国民がエルサレムで反乱を起こす。アマツヤはラキシュ(現在のイスラエル南部地区)に逃亡した。しかし、反乱を起こしたユダ王国国民がラキシュまで追撃し、アマツヤは殺害された。ユダ王国国民は、アマツヤをラキシュからエルサレムへ運び、先祖達と共にダビデの町に葬った。ユダ王国国民は、ウジヤを第10代ユダ王国国王に即位させ、エラテ(現在のイスラエル南部地区エイラート市)を再建し、ユダ王国に復帰させた。ウジヤは、先代と同じく偶像崇拝の祭壇を取り壊さなかった。従って、ユダ王国国民は引き続き、偶像崇拝の祭壇で生贄を捧げたり、香を焚いたりしていた。
771 ウジヤ率いるユダ王国軍が、ペリシテ人の領地に攻め入り、以下の都市の城壁を破壊する。
①ガト
②ヤブネ(現在のイスラエル中央地区)
③アシュドッド(現在のイスラエル南部地区アシュケロン郡)
其の後、アシュドッドとペリシテ人の領地に町を築いた。ユダ王国軍は更に以下の都市のアラビア人を襲撃して勝利し、ウジヤの名声はエジプトまで広がり、アモン人はウジヤに貢物を納める様になった。
①グルバアル(現在のヨルダンのタフィラ県ブセイラ郡)
②メウニム(現在のヨルダンのマアーン県)
一方で、エルサレムの以下の側に塔を建てて防備を強化した。
①隅の門
②谷の門
③控え壁
更には、所有していた家畜の為に、シェフェラ(現在のイスラエルのエルサレム地区・中央地区・南部地区)・平原・荒野に塔を建てて、沢山の水溜めを掘り、ネゲヴにも要塞を築いた。又ウジヤは、牧畜や農耕を奨励し、カルメル山等の山々に、農業に従事する人間や葡萄の栽培人を抱えていた。軍隊は分隊に組織され、以下2名によって集計されて登録され、高官の1人であるハナニヤの指揮下に置かれた。
①秘書官エイエル
②役人マアセヤ
兵士を束ねる氏族長が2,600名で、その指揮下には307,500名の兵士が居た。ウジヤは全軍に以下の装備を持たせた。
①盾
②小槍
③兜
④鎧
⑤弓
⑥投石器の石
又、エルサレムで製造したバリスタを塔の上や城壁の隅の上に設置し、軍備を増強した。最終的にウジヤは、ダビデ・ソロモン時代の領地を略取り返した。
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