紀元前760年は、ユダ王国の王が聖域を侵し、イスラエル王国が繁栄を極めた年である。此の頃ウジヤは神殿の香の祭壇で香を焚こうとして大祭司アザリヤに制止され、額にツァーラアトが現れて隔離された家に移る。息子ヨタムが摂政として政務を担った。同じ頃、ヤロブアム2世はレボ・ハマトから死海までの領域を奪回し、ダマスカスやハマーも収めて通商路を握り、イスラエル王国を経済的に繁栄させた。

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≈は「頃」を意味しています。

年月日 出来事
≈ 760 ウジヤが、ヤハウェの神殿に入り、香の祭壇で香を焚こうとする。ウジヤは、絶対王政を敷く為に、宗教的にも最高権力者になる事を意図し、モーセの律法を破ろうとした。大祭司アザリヤが、80名の従属の祭司を従えて後を追い、アザリヤ達はウジヤの前に立ちはだかり「ウジヤ、ヤハウェに香を焚くのは貴方がして良い事ではありません。香を焚いて良いのは祭司だけです。祭司達はモーセの兄アロンの子孫で、神聖なものとされているからです。此の聖なる場所から出て行って下さい。貴方は不忠実な事をしました。其の為、貴方がヤハウェから栄光を与えられる事はありません」と主張した。しかしウジヤは、香炉を手にした儘激怒した。すると、ウジヤの額に皮膚病であるツァーラアトが現れた。アザリヤ達は急いでウジヤをヤハウェの神殿から出そうとし、ウジヤ自身も慌てて出て行った。其の後ウジヤは隔離された家に移り住み、モーセの律法に従い生活した。此れに伴い、ウジヤの息子ヨタムが摂政として宮殿を管理し、政務を担った。
≈ 760 ヤロブアム2世が、ヨアシュの領土回復策を推し進め、レボ・ハマト(現在のレバノンのバールベック・ヘルメル県)から死海(現在のイスラエル南部地区、現在のパレスチナ国ヨルダン川西岸地区ベツレヘム県・エリコ県、現在のヨルダンのマダバ県・バルカ県・カラク県)までの領域を奪回し、以下からの支配から脱却する。
①アラム人
②アモン人
③モアブ人
更にヤロブアム2世は、ダマスカスやハマーも手中に収め、ヨルダン東岸を下るルートやフェニキア諸都市から内陸に向かうルート等の主要な通商路を支配下に置き、以下等の貿易が活発化し、通行税を通じて、イスラエル王国は経済的に繁栄した。
①オリーブ油
②ワイン
③馬