紀元前609年は、ユダ王国が独立を失い、エジプト第26王朝の支配下に入った年である。ネコ2世のカルケミシュ侵攻をヨシヤがメギドで阻もうとして戦死し、参男ヨアハズが第17代ユダ王国国王に即位する。しかしネコ2世はヨアハズをリブラに幽閉し、多額の科料を課して弐男エホヤキムを第18代国王に据えた。エホヤキムは重税を課し、バアル礼拝を復活させる。同じ年、新アッシリア帝国が滅亡した。

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年月日 出来事
609 第2代エジプト第26王朝ファラオのネコ2世率いる軍が、新バビロニア王国軍に追われていた新アッシリア帝国軍を支援する為、カルケミシュ(現在のトルコのガズィアンテプ県カルカミス・現在のシリアのアレッポ県ジャラーブルス)を侵攻する際「ユダ王国を攻める訳では無いから、軍を引け」と忠告し、ユダ王国の領土を通過しようとしたが、ヨシヤは許可せず、王服を脱ぎ、敵に気付かれない様変装して、兵を率いてメギド(現在のイスラエル北部地区)の谷へと向かった。そして、エジプト第26王朝とユダ王国の間でメギドにて戦闘となった。ヨシヤは、エジプト第26王朝軍の射手の放った矢を受け、致命傷を負い、側近に「早く戦場から出してくれ」と叫んだ。ヨシヤは家臣達により戦車で運ばれ、エルサレムで崩御した。ヨシヤは王室墓地に葬られた。ヨシヤは、独立国家を築くという野望を果たせず生涯を終えた。エレミヤはヨシヤの為に哀歌を作り、神殿の歌い手達は其れを歌った。此の戦闘の結果、ユダ王国は敗れ、以降エジプト第26王朝の支配下となった。ネコ2世率いる軍は其の後、ユーフラテス川を渡ってハッラーン(現在のトルコのシャンルウルファ県)を包囲するが、新バビロニア王国を破る事は出来ず、新アッシリア帝国北西部に退いた。ヨシヤの後任として、ヨシヤの参男ヨアハズが、第17代ユダ王国国王に即位した。ヨアハズは先王達に倣い、ヤハウェの前に悪を行なった。
609 ネコ2世が、リブラ(現在のシリアのホムス県)にヨアハズを幽閉する。元々ネコ2世は、ヨアハズの即位に反対であった。そして、ユダ王国に以下の科料を課した。
①銀3,400kg
②金34kg
其の後、ヨシヤの弐男エホヤキムを、改名させて第18代ユダ王国国王に即位させた。ヨアハズは、エジプト第26王朝に連行され、其処で崩御した。エホヤキムは、ネコ2世が要求する銀を差し出す為に、国民に重税を課さなければならなかった。又、エジプト第26王朝の傀儡であったエホヤキムは、自分の身を守る為に公正と正義の無い政治を行い、先王達に倣い、バアル礼拝を復活させ、ヤハウェの前に悪を行なった。
≈ 609 キルヤト・エアリム出身の預言者ウリヤが「もし民が悔い改めないなら、エルサレム神殿はシロの様になり、エルサレムは誰も住む者の無い廃墟となる」と預言する。エホヤキム・将校・役人はウリヤの言葉を聞いた。エホヤキムは人を遣わせ、ウリヤを殺害しようとした。其れを知ったウリヤは、エジプト第26王朝に逃亡した。エホヤキムは、アクボルの子エルナタンに数名の者を率いさせ、エジプト第26王朝に派遣した。ウリヤはエホヤキムの下に連れ戻された。エホヤキムはウリヤを八つ裂きにし、死体を共同墓地に捨てさせた。
≈ 609 エレミヤが、ヤハウェの神殿にて「もし民が悔い改めないなら、エルサレム神殿はシロの様になり、エルサレムは誰も住む者の無い廃墟となる」と警告する。此れを聞いた祭司・預言者・民達は、エレミヤを裁判に掛けて処刑する為にエレミヤを捕縛した。其の後、ユダ王国の首長達も此の事を聞いて、裁判が行われる、新しい門の入り口に集結した。そして、祭司・預言者達は「エレミヤは死刑に当たる」と一様に主張した。しかし、首長・民達は、以下の理由を挙げ「エレミヤは死刑に当たらない」と主張した。
①エレミヤはヤハウェの御名によって語った
②ヒゼキヤの治世下でもミカが、同様の内容を語った事が有る
③ウリヤも同様の内容を語ったが、エホヤキムがウリヤを殺害しようとした為に、ウリヤは、エジプト第26王朝に逃亡した。しかし捕えられて連れ戻され、エホヤキムの剣によって殺害され、死体が共同墓地に捨てられた
又、アヒカムが、エレミヤが殺害されない様庇い、エレミヤは殺害を免れた。
≈ 609 エホヤキムが、贅沢な宮殿を建設する計画を立てる。しかし、其の建設に従事する者への賃金の支払いを差し控えた。エレミヤは「此の邪悪な支配者が災いを被る事を宣告し,雄の驢馬が埋められる様にエホヤキムも埋められるだろう」と預言した。
609 新アッシリア帝国が滅亡する。