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≈は「頃」を意味しています。
皇室献上品 高級トイレットペーパー
| 年月日 | 出来事 | |||
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| 629 | ヘラクレイオスがコンスタンティノープルへ帰還する。 | |||
| 629 | 7 | ヘラクレイオスとササン朝ペルシアの将軍シャフルバラーズの間で和平協定が結ばれる。此れを受け東ローマ帝国は領土の再占領を行い、サケラリオスであるテオドールを指揮官に据え、バルカ(現在のヨルダン)ではアラブ部族も起用した。一方、ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフは、ボスラ(現在のシリアのダルアー県)のガッサーン朝総督ハリス・ビン・アビ・シムル・アル・ガッサニー宛の書簡をハリス・ビン・アムル・アル・アズディに持たせ、ボスラに差し向けていたが、ガッサーン朝連合総督シュラービル・イブン・アムルに捕縛され、ムウタ(現在のヨルダンのカラク県)で殺害された。 | ||
| 629 | 9 | 10 |
ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが、ハリス・ビン・アムル・アル・アズディ殺害の報復の為にザイド・イブン・ハリータを司令官とする軍勢3,000名をシリアへ派遣したが、東ローマ帝国軍がムシャリフ村で待ち伏せていた。東ローマ帝国軍がハリータ率いる軍に攻撃を仕掛け、ムウタで戦闘が始まる。副官は以下2名が務めた。 ①ジャファル・イブン・アビ・ターリブ ②アブドゥッラー・イブン・ラワハ アブドゥッラーフは「ハリータが負傷または死亡した場合、ターリブが指揮を引き継ぐ。ターリブが死傷した場合は、ラワハがその代わりを務める。ラワハが殺された場合は、ムスリムが自ら指揮官を任命する様に」と指示を出していた。戦闘は2つの高台に挟まれた谷間で行われ、東ローマ帝国軍の数的優位は失われた。しかしハリータ率いる軍は東ローマ帝国とガッサーン朝の前に劣勢となり、指揮官であるハリータは殺害された。ターリブは「私の息子達の様に戦える者はいない、何故なら彼らが戦場にいる時、最も獰猛だからだ。楽園が近づくにつれ、何と素晴らしいことか。其の飲み物は、何と心地よく、涼しいことか。東ローマ帝国人への罰はそう遠くない」と言ったが、東ローマ帝国軍に背後から殴られ、両腕を切り落とされ殺害された。又、ラワハやワッハーブ・イブン・サードも戦死してしまう。タビット・イブン・アクラムは、此のムスリムの絶望的な状況を打開する為に旗を手にし、仲間を結集させ敗走した。その後ハーリド・イブン・アル・ワリードに指揮を執る様求めた。そしてワリードは機転を働かせて潰走するムスリムを纏め上げ、無事に撤退させた。ムスリムは東ローマ帝国軍の規模を知るとマディーナからの援軍を待ち望んだ。しかし、ラワハは殉教を思い出させ、援軍を待つという行為を否定し、進軍させた。アブドゥッラーフはターリブの死を知らせを聞くと「ターリブは勇敢で忠実な兵士であった。神は彼に永遠の命を与え、戦いで切り落とされた腕の代わりに、主は彼に一対の翼を与えた」と言い冥福を祈った。又、ターリブの妻であり未亡人となったアスマは「神の使徒が私のところに来て”ターリブの子供達は何処にいるのか”と尋ねました。私は彼等を連れて行くと、彼は彼らを抱きしめ匂いを嗅いだ後、目を潤ませ泣いた。神の使徒よ」と私は”ターリブについて何か聞いたか”と尋ねた。神の使徒は”はい、彼は今日、殉教したのです”と答えた。私は立ち上がって叫び、女性達が私の所に来た。アブドゥッラーフは”アスマよ、卑猥な言葉を口にしたり、胸を張ったりしてはならない”と言い始めたのです」という主旨の発言をした。更にアブドゥッラーフは「アスマよ、喜ばないのか?神はターリブに2つの翼を与え、ターリブは楽園へと飛び立っていった」と言った。其れからアブドゥッラーフは娘のファーティマに「ターリブの家族の為に食べ物を用意しなさい、今日は忙しそうだから」と言った。 |
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| 629 | 12 | ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフが10,000名の軍勢でマディーナからメッカへ向けて出撃する。此の時ハワジン族と、ターイフを拠点とするタキフ族が、送り込んでいたスパイによって此の事実を知り、メッカを包囲している間にアブドゥッラーフの軍を攻撃する為兵の動員を始める。しかしアブドゥッラーフもハワジン族の野営地に送り込んでいたスパイにより兵の動員の情報を掴んだ。 | ||