西暦325年は、皇帝がキリスト教の教義を裁定した年である。5月20日、コンスタンティヌス1世が第1ニカイア公会議を主催し、約300名の司教を集めて自ら議長を務めた。6月19日に会議は終わり、イエスの神性を認めるアタナシウス派が正統、アリウス派は異端とされ、ローマ領からの追放が決まった。

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年月日 出来事
325 5 20 コンスタンティヌス1世が、第1ニカイア公会議(通算1回目の公会議)を主催し、約300名の司教を集め、自ら黄金の椅子に座り議長を務めた。当時キリスト教内部に起こったアリウス派の考えを認めるかどうかがテーマであった。教義は一本化する為に、司教間の対立を皇帝としてアリウス派と、それに反対するアタナシウス派の仲裁をしなければならなかった。
325 6 19 第1ニカイア公会議が終了する。結果、中間派も含めてアタナシウス派が大勢を占め(反対の司教は5名)、イエスの神性を認めるアタナシウス派が正統、アリウス派は異端とされ、アリウス派のローマ領からの追放が決定された。また、聖職者が高利貸しに関与する事が禁じられた。