西暦1956年は、戦後日本の原子力政策が一気に制度化された年であり、又冷戦下のCIA生物兵器開発・薬物実験・グローバル寡頭制と犯罪組織の結節が同時に進んだ年である。日本原子力政策の制度化として、1月1日に「原子力委員会」が設置され、正力松太郎(委員長)・初代経団連会長石川一郎(常勤)・日本物理教育学会会長藤岡由夫(常勤)・湯川秀樹(非常勤・森一久後押し)・東京大学経済学部教授有沢広巳の5名が原子力委員に就任した。1月4日昼に湯川秀樹が森一久に原子力委員辞任の意向を伝えるが(正力松太郎の発電用原子炉米国輸入発言と湯川の慎重基礎研究方針相反が理由)、森の「政治家の暴走があるから委員が必要なのです」との説得で思い留まり、同日夜には正力松太郎が富山県への車中で記者団に「採算の取れる最初の原子力発電所を5年以内に建設する」と発言、1月13日に原子力委員会が5年原子力発電実現声明を出した。2月8日に日本原子力研究所土地選定委員会が武山(神奈川県横須賀市)・水戸市郊外・岩鼻村(現群馬県高崎市)・高崎市の5建設候補地を提示、2月15日に原子力委員会が武山を実験炉第一候補地・水戸市郊外を動力試験用炉設置場所と決定した(武山はアメリカが基地として使用中で代替施設提供条件付き・接収地半分430,000坪見込み・岩鼻村/高崎市は用水難)。3月5日に日本原子力研究所法が国会提出され、4月に原子力委員会が日本原子力研究所を東海村(茨城県那珂郡)に設立する事を決定、4月19日に正力松太郎が東海村を視察、4月30日に日本原子力研究所法が無修正で国会通過、5月4日に公布、6月15日に資本金498,000,000円(政府出資250,000,000円・民間出資248,000,000円のうち電力業界150,000,000円)で特殊法人として設立、8月10日に原子燃料公社が設立された。5月19日には科学技術庁が設置され、正力松太郎が初代科学技術庁長官に就任、10月26日に日本がIAEA(原子力国際機関)に加盟した(後年西暦1,959年6月のGCR&JPDR決定・西暦1,960年1月16日東海発電所建設工事着工・西暦1,963年10月26日日本初の原子力発電への系譜の決定的起点)。冷戦下CIA活動の局面では、2月3日にキャンプ・デトリックがフォート・デトリックに改称し、引き続きシドニー・ゴッドリーブの生物兵器開発拠点であり続け、MKウルトラ計画終了後もこのフォート・デトリックにてCIAの為の天然痘・結核・炭疽菌・蛇毒・麻痺性貝毒・フィデル・カストロ及びコンゴのパトリス・ルムンバを殺す為の毒薬の開発に従事し冷凍庫による保管も行っていた(後年西暦1,960年のゴッドリーブのCIAキューバ計画・西暦1,970年のニクソンの毒物廃棄指示とフォート・デトリックのサキシトキシン秘匿への系譜の起点)。又、ハリス・イズベル等がCIAの要請により幻覚剤LSD(スイスの製薬会社サンド社製)・マジックマッシュルームに含有されている幻覚剤の成分シロシビン(サンド社製)・一部のキノコに含まれるアルカロイドで幻覚作用を持つシロシン・熱帯及び温帯地域の植物や一部のキノコ等に存在する幻覚剤DMT・ヒキガエル科の毒液などに含まれるアルカロイドの一種の研究を開始した。グローバル寡頭制の局面では、ICPO(国際刑事警察機構)がナチスのスパイ組織を原型とし、ロックフェラー家の資金援助によりICPC(国際刑事警察委員会)から改称された。又、クーン・ローブ商会のパートナーのジョセフ・リチャードソン・ディルワースが、ルイス・シュトラウスの後任として、ロックフェラー・センターの中核である30ロックフェラープラザの54〜56階のロックフェラー家のファミリーオフィス「ルーム5600」のトップとなりロックフェラー家と其の投資・慈善団体の上級財務顧問に就任、ロックフェラー家の全ての口座を監督し西暦1,981年迄務め、其の間デイヴィッド・ロックフェラーと親しい関係を築きチェース・マンハッタン銀行の取締役を務める等した。バチカン銀行スキャンダル系の前史としては、ミケーレ・シンドーナが、コーサ・ノストラの幹部ジョー・アドニスの依頼でヘロイン密輸の収益のマネーロンダリングを行った(後年西暦1,959年のスパーダとの知己・西暦1,960年のプライベート・ファイナンス銀行株過半数取得・西暦1,974年のフランクリン・ナショナル銀行20億ドル損失への系譜の起点)。文化分野では、カンバーランド(アメリカのロードアイランド州)のハロルド・ティニー・ルース・ティニー・ハロルドとルースの息子ドナルド・ティニー・ルースの叔母でメイフラワー号の乗客エドワード・フラーの子孫のネリー・フラーの4名がベルコートを25,000ドルで購入し、家具設置や修復作業前のフランスゴシック様式の舞踏室等の部屋の修復に取り組み、名称を「ベルコート城」に変更し、自分達のアンティークやレプリカのコレクションを持ち込んだ(後年西暦1,957年のドワイト・D・アイゼンハワーのベルコート城訪問への系譜の起点)。戦後処理の節目として、12月26日にシベリア抑留から解放された抑留者がナホトカから舞鶴へ興安丸で入港し(1,025名)、ナホトカから舞鶴への最後の引き上げとなった(後年西暦1,958年9月7日の真島(樺太)から舞鶴への白山丸入港=舞鶴への最後の引き上げに先行する重要な節目)。

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年月日 出来事
1,956 ミケーレ・シンドーナが、コーサ・ノストラの幹部ジョー・アドニスの依頼でヘロイン密輸の収益のマネーロンダリングを行う。
1,956 ICPO(国際刑事警察機構)がナチスのスパイ組織を原型とし、ロックフェラー家の資金援助によりICPC(国際刑事警察委員会)から改称される。
1,956 ハリス・イズベル等がCIAの要請により以下の薬物の研究を開始する。
①幻覚剤LSD (スイスの製薬会社サンド社製)
②マジックマッシュルームに含有されている幻覚剤の成分シロシビン(スイスの製薬会社サンド社製)
③一部のキノコに含まれるアルカロイドで幻覚作用を持つシロシン
④ 熱帯及び温帯地域の植物や一部のキノコ・一部の種のヒキガエル・哺乳類・ヒトの脳細胞・血球・尿などに存在する幻覚剤DMT
⑤ヒキガエル科の毒液などに含まれるアルカロイドの一種である、幻覚剤コオバの主成分ブフォテニン
⑥向精神作用を持つ幻覚剤オロリウキ(朝顔の種)
⑦メキシコ産のサボテンの一種のウバタマの茎頂頭に含まれる、色彩の幻覚を生じ、且つ一時感覚を失う麻酔性のある幻覚剤メスカリン
イズベルは以前からLSD投与による可逆的精神病と統合失調症の表面的な類似性や、LSDとドーパミン・ノルアドレナリンを制御し精神を安定させる内因性神経伝達物質セロトニンの相互作用に関する研究を行い知見を持っていた。其れを基に更に研究を推し進め、LSDに関し、体重に対する投与量が1〜2mg/kgで以下の現象を誘発する事を突き止めた。
①気分変化
②知覚の歪み
③瞳孔散大
1,956 カンバーランド(アメリカのロードアイランド州)の以下のティニー家が、ベルコートを25,000ドルで購入する。
①ハロルド・ティニー
②ルース・ティニー
③ハロルドとルースの息子ドナルド・ティニー
④ルースの叔母でメイフラワー号の乗客エドワード・フラーの子孫のネリー・フラー
家具の設置や、修復作業前のフランスゴシック様式の舞踏室等の部屋の修復に取り組んだ。又、名称を「ベルコート城」に変更し、自分達のアンティークやレプリカのコレクションを持ち込んだ。其の中には、息子のドナルドが作った戴冠式用の馬車や、西暦1,701年に描かれた、テュイルリー宮殿のグリーンルームに掛けられたイアサント・リゴーのルイ14世の肖像画のコピーが含まれていた。ティニー家が持ち込んだ物の中での最大の目玉は、13,000個の水晶プリズムと105個のライトを持つ巨大なロシア帝国風のシャンデリアであった。此のシャンデリアは、宴会場の薔薇色の大理石モザイクの床から約1.8288m上に吊り下げられた。
1,956 クーン・ローブ商会のパートナーのジョセフ・リチャードソン・ディルワースが、ルイス・シュトラウスの後任として、ロックフェラー・センターの中核である30ロックフェラープラザの54〜56階の、ロックフェラー家のファミリーオフィス「ルーム5600」のトップとなり、ロックフェラー家と其の投資・慈善団体の上級財務顧問に就任する。ロックフェラー家の全ての口座を監督し、西暦1,981年迄務めた。其の間デイヴィッド・ロックフェラーと親しい関係を築き、チェース・マンハッタン銀行の取締役を務める等した。
1,956 1 1 「原子力委員会」が設置され、原子力委員に以下の5名が就く。
①正力松太郎(委員長)
②初代経団連会長石川一郎(常勤)
③日本物理教育学会会長藤岡由夫(常勤)
④湯川秀樹(非常勤、森一久の後押しにより就任)
⑤東京大学経済学部教授有沢広巳
1,956 1 4 昼、湯川秀樹が森一久に原子力委員の辞任の意向を伝える。理由は、正力松太郎は原子力委員会の発足会見で「発電用原子炉を米国より輸入したい」と発言し、湯川の「動力協定や動力炉導入に関して何等かの決断をするという事は、我が国の原子力開発の将来に対して長期に渡り重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、基礎研究を慎重な上にも慎重でなければならない」とする考えと相反する為であった。しかし森は「そういった政治家の暴走があるから委員が必要なのです」と言い、湯川は辞任を思い留まった。
1,956 1 4 夜、正力松太郎が富山県に向かう。その車中にて記者団に「採算の取れる最初の原子力発電所を5年以内に建設する」と発言した。
1,956 1 13 原子力委員会が「我々は原子力発電を速やかに実現し、我が国の産業経済の興隆に資したいと念願しており、アメリカ・ソ連では既にその実験に成功しているという前例もあり、我々としても今後5年間に原子力発電の実現に成功したい意気込みである」という声明を出す。
1,956 2 3 キャンプ・デトリックが「フォート・デトリック」に改称する。引き続きシドニー・ゴッドリーブの生物兵器開発拠点であり続けた。MKウルトラ計画終了後もこのフォート・デトリックにてCIAの為の以下の生物兵器開発に従事し、冷凍庫による保管も行っていた。
①天然痘
②結核
③炭疽菌
④蛇毒
⑤麻痺性貝毒
⑥フィデル・カストロ、コンゴのパトリス・ルムンバを殺す為の毒薬
1,956 2 8 日本原子力研究所の土地選定委員会が同研究所の建設候補地に関し、以下の5案を提示し、原子力委員会に判断を仰ぐ。
①武山(神奈川県横須賀市)に実験炉・動力試験用炉を集中的に設置
②水戸市郊外に実験炉・動力試験用炉を集中的に設置
③武山に実験炉、水戸市郊外に動力試験用炉を分離して設置
④岩鼻村(現在の群馬県高崎市)に実験炉、水戸市郊外に動力試験用炉を分離して設置
⑤高崎市に実験炉、水戸市郊外に動力試験用炉を分離して設置
1,956 2 15 原子力委員会が臨時委員会を開き、日本原子力研究所の土地選定委員会の意見を考慮し、武山を実験炉の第一候補地とし、動力試験用炉を水戸市郊外に設置する事を決定する。武山はアメリカが基地として使用中であったが、アメリカ側は「日本が強く要求し且つ代替施設を提供するのであれば返還を検討する」とした。しかし、武山の接収地は半分程度の430,000坪と見込まれ、岩鼻村・高崎市も内陸で用水に難があった。
1,956 3 5 「日本原子力研究所法」が国会に提出される。日本原子力研究所の設立目的は「我が国に於ける原子力の開発は欧米諸国に比し著しく立ち遅れている為、これを早急に取り戻す為に、先に原子力基本法が制定され、原子力に関する研究及び実験その他原子力の開発促進に必要な事項を行わしめる為、原子力研究所を置き、また核原料物質及び核燃料物質の採鉱・精錬・管理等を行わしめる為原子燃料公社を置く」とした。
1,956 4 原子力委員会が日本原子力研究所を東海村(茨城県那珂郡)に設立する事を決定する。
1,956 4 19 正力松太郎が日本原子力研究所建設地の東海村を視察する。
1,956 4 30 日本原子力研究所法が無修正で国会を通過する。
1,956 5 4 日本原子力研究所法が公布される。日本政府は直ちに設立委員会を設け、民間出資の募集・定款の作成・役員の選考等、新法人の設立準備を始めた。
1,956 5 19 「科学技術庁」が設置され、初代科学技術庁長官に正力松太郎が就く。
1,956 6 15 日本原子力研究所が、財団法人原子力研究所の権利義務・職員・業務を引き継ぎ、資本金498,000,000円で特殊法人として設立される。資本金の内訳は以下の通りである。
①西暦1,954年3月3日に中曽根康弘が上程した、原子炉築造のための基礎研究費及び調査費250,000,000円
②民間出資248,000,000円(①の政府出資額である250,000,000円が上限であった。内電力業界が150,000,000円を負担した)
1,956 8 10 原子力発電の燃料であるウランを調達する役割を担う「原子燃料公社」が設立される。
1,956 10 26 日本がIAEA(原子力国際機関)に加盟する。
1,956 12 26 シベリア抑留から解放された抑留者がナホトカから舞鶴へ興安丸で入港(1,025名)。ナホトカから舞鶴への最後の引き上げとなる。
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