西暦1951年は、戦後のグローバル寡頭制ネットワーク・CIA精神工学プログラム・戦後日本のメディア構造と再軍備への萌芽が一斉に現れた年である。米寡頭制シンクタンクの起源として、7月にウィリアム・ヤンデル・エリオットの発案により、ヘンリー・キッシンジャーが自身が幹事役を務めヨーロッパやアジアから外交政策・政治・文化・文学界の有望な人材をハーバード大学に招きアメリカの外交政策に就いて教育し国際情勢に於ける講義や議論を行うという名目のサマースクールである「ハーバード国際セミナー」を立ち上げた(後年西暦1,953年の中曽根康弘参加とキッシンジャーのFBI協力・西暦1,957年のキッシンジャーのネルソン・ロックフェラー顧問就任・西暦1,965年のクラウス・シュワブの同セミナー参加への系譜の決定的起点)。CIA精神工学プログラムの起点として、7月13日にアイラ・ボールドウィンの推薦によりCIA作戦本部長アレン・ウェルシュ・ダレスがCIAに採用したシドニー・ゴッドリーブが初仕事を行い、8月20日にブルーバード計画を「アーティチョーク計画」に改称しゴッドリーブを中心に計画を発展させていく事となり、アメリカだけでなくイギリスやカナダも参加する様になった。ゴッドリーブとダレスはマインドコントロールが世界支配に繋がると考え薬物でOSSで実現しなかった自白剤の研究を行い、其の中でゴッドリーブはLSDがまだ適切な実験・調査が為されていない事に気付き若干の実験を行った後CIA内部でのLSD実験を本格始動する事となった。8月23日にはアレン・ウェルシュ・ダレスが第4代CIA副長官に就任しゴッドリーブのアーティチョーク計画がアメリカ政府のバックアップを受ける事となった(後年西暦1,953年4月13日のMKウルトラ計画立ち上げ・ダレスの第5代CIA長官就任への系譜の決定的起点)。戦後日本メディア構造への萌芽として、8月6日に正力松太郎の公職追放処分が解除され、8月13日にカール・ムントがビジョン・オブ・アメリカの一環で日本全土に総合通信網を民間資本で建設する事を発表、9月4日に正力松太郎がカール・ムントの同席の下1社で日本全国に直営局を置き東京を中央局として全国にマイクロ波を用いた無線中継伝送網を構築するという計画を発表し(テレビ放送で使用しない周波数帯域は通信事業にも利用・アメリカから資金と技術援助を受ける約束も取り付け)(後年西暦1,952年の日本テレビ放送網設立・西暦1,953年の本放送開始と証人喚問への系譜の決定的起点)。占領期の転換点として、4月11日にダグラス・マッカーサーがハリー・S・トルーマンにより連合軍総司令官を解任され、これによりマッカーサーが独自に築いていたスパイ網はCIAに引き継がれた。日本プロレス史の決定的起点として、9月に力道山がナイトクラブ銀馬車(東京都中央区銀座)にてハワイのプロモーターであるアル・カラシックの主催する興業の為来日していたハロルド坂田と喧嘩となり、其れが切っ掛けで力道山はハロルド坂田の勧めで練習を見に行きプロレス転向を決意しGHQ少将ウィリアム・マーカットが会長を務めるトリイ・オアシス・シュライナース・クラブ(東京都港区芝)で指導を受け始め、9月30日にメモリアルホール(現両国国技館(東京都墨田区横網))での在日トリイ・オアシス・シュライナース・クラブ慈善興行をリングサイドで観戦、10月28日に同所での慈善興行にてボビー・ブランズ戦(10分1本勝負)でデビューし結果は時間切れ引き分けであった(ブランズは力道山に素質を感じハワイ興行に誘い、新田新作の反対を受け日新プロダクション創業者で日本浪曲協会書記長の永田貞雄が新田を説得し力道山のハワイ行きが決まった/後年西暦1,952年のハワイ修行・西暦1,953年の力道山道場設立への系譜の起点)。人口政策実験の前史として、ジョン・B・カルフーンがベセスダ(アメリカのメリーランド州)にあるウォルター・リード陸軍医療センターに勤務を開始し、ノルウェー・ラットのコロニーの研究は打ち切られたが人口に関する研究は継続された(後年西暦1,954年のNIMH常勤雇用とローデント・ユニバース構築・西暦1,968年のユニバース25実験開始への系譜の起点)。日本国内では、7月30日に覚醒剤取締法が施行された。中東をめぐる米組織の局面では、カーミット・ルーズベルト・ジュニア・ジャーナリストのドロシー・トンプソン・ハリー・エマーソン・フォスディック等と24名のアメリカの教育者・神学者・作家によって聖地に於ける正義と平和の為の委員会が「AFME(アメリカ中東友好協会)」に改組され、AFMEは親アラブ組織として活動しアメリカのイスラエル支援に否定的であった。文化分野では、アキーレ・マラモッティが婦人用既製服の製造会社をレッジョ・エミリア(イタリアのエミリア・ロマーニャ州)に設立した(後年のマックスマーラの起源)。

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年月日 出来事
1,951 ジョン・B・カルフーンが、ベセスダ(アメリカのメリーランド州)にあるウォルター・リード陸軍医療センターに勤務を開始する。ノルウェー・ラットのコロニーの研究は打ち切られたが、人口に関する研究は継続された。
1,951 アキーレ・マラモッティが、婦人用既製服の製造会社をレッジョ・エミリア(イタリアのエミリア・ロマーニャ州)に設立する。
1,951 アキーレ・マラモッティが、婦人用既製服の製造会社をレッジョ・エミリア(イタリアのエミリア・ロマーニャ州)に設立する。
1,951 以下の人間と24名のアメリカの教育者・神学者・作家によって、聖地に於ける正義と平和の為の委員会を「AFME(アメリカ中東友好協会)」に改組される。
①カーミット・ルーズベルト・ジュニア
②ジャーナリストのドロシー・トンプソン
③ハリー・エマーソン・フォスディック
AFMEは、親アラブ組織として活動し、アメリカのイスラエル支援に否定的であった。
1,951 4 11 ダグラス・マッカーサーが、ハリー・S・トルーマンにより連合軍総司令官を解任される。これによりマッカーサーが独自に築いていたスパイ網はCIAに引き継がれた。
1,951 7 ウィリアム・ヤンデル・エリオットの発案により、ヘンリー・キッシンジャーが、自身が幹事役を務め、ヨーロッパやアジアから外交政策・政治・文化・文学界の有望な人材をハーバード大学に招き、アメリカの外交政策に就いて教育し、国際情勢に於ける講義や議論を行うという名目のサマースクールである「ハーバード国際セミナー」を立ち上げる。パイロットイベント終了後にキッシンジャーはエリオットに「私がセミナーの指導的天才等と形容されているのを聞いて、非常に気恥ずかしく思いました。私は其の様な幻想を一切持っておりません」という主旨の書簡を送った。エリオットは、発案者であるにも拘らず、登壇する事は無く、以下の人間等が講義を行った。
①シカゴ大学社会科学教授デイヴィッド・リースマン
②ハーバード大学准教授アーサー・シュレジンジャー
③ハーバード大学政治学教授マクジョージ・バンディ
此のセミナーには、CIAから資金を受け取った以下の3団体を経由した資金提供が行われていた。
①アジア財団
②ファーフィールド財団
③カーミット・ルーズベルト・ジュニア率いるAFME(資金提供額が最も多く、243,000ドルを流していた)
後に以下2名も、此のセミナーに参加した。
①ピエール・トルドー
②ヴァレリー・ジスカール・デスタン
そして同年、キッシンジャーはハーバード大学の季刊誌「コンフルエンス」を創刊した。コンフルエンスは、ロックフェラー財団の資金提供を受け、ハーバード国際セミナーの講師陣・受講生からの寄稿を掲載した。後にキッシンジャーの秘書を務めたアビゲイル・コリンズ・フィクターは、キッシンジャーが「大変だ、此れは酷い。みんな僕がCIAの手先だと思うじゃないか」と言っていたと振り返った。しかしキッシンジャーは、ハーバード大学在学中からFBIに自ら接触し、協力関係を築いた。そしてキッシンジャーは、FBIに自発的に情報提供したり、セミナー参加者の郵便物を本人の知らない所で勝手に開封したりした。此れは無論郵便法違反である。
1,951 7 13 アイラ・ボールドウィンの推薦によりCIA作戦本部長アレン・ウェルシュ・ダレスがCIAに採用したシドニー・ゴッドリーブが初仕事を行う。
1,951 7 30 覚醒剤取締法施行。
1,951 8 6 正力松太郎の公職追放処分が解除される。
1,951 8 13 カール・ムントが、ビジョン・オブ・アメリカの一環で、日本全土に総合通信網を民間資本で建設する事を発表する。
1,951 8 20 ブルーバード計画を「アーティチョーク計画」に改称し、シドニー・ゴッドリーブを中心に計画を発展させていく事となる。アメリカだけでなく、イギリスやカナダも参加する様になった。ゴッドリーブとアレン・ウェルシュ・ダレスはマインドコントロールが世界支配に繋がると考え、以下の薬物でOSSで実現しなかった自白剤の研究を行った。其の中でゴッドリーブはLSDがまだ適切な実験・調査が為されていない事に気付き、若干の実験を行った後、CIA内部でのLSD実験を本格始動する事となった。数ヶ月間、管理された環境下でのLSD投与に合意した捜査官と、抜き打ちでの投与に合意した捜査官の比較実験等を行った。ゴッドリーブはこれらの実験に満足せず、キャンプ・デトリックの特別作戦部(SO部門)に助けを求めた。此の申し出にキャンプ・デトリックが合意し、CIAは陸軍の知識と設備を獲得し、CIAに適した生物兵器を開発する事となった。
①THC
②コカイン
③ヘロイン
④メスカリン
1,951 8 23 アレン・ウェルシュ・ダレスが第4代CIA副長官に就任する。シドニー・ゴッドリーブのアーティチョーク計画がアメリカ政府のバックアップを受ける事となった。
1,951 9 力道山が、ナイトクラブ銀馬車(東京都中央区銀座)にて、ハワイのプロモーターであるアル・カラシックの主催する興業の為来日していたハロルド坂田と喧嘩となる。其れが切っ掛けで、力道山は、ハロルド坂田の勧めで練習を見に行き、プロレス転向を決意し、GHQ少将ウィリアム・マーカットが会長を務めるトリイ・オアシス・シュライナース・クラブ(東京都港区芝)で指導を受け始めた。
1,951 9 4 正力松太郎が、カール・ムントの同席の下、1社で日本全国に直営局を置き、東京を中央局として全国にマイクロ波を用いた無線中継伝送網を構築するという計画を発表する。テレビ放送で使用しない周波数帯域は通信事業にも利用するという内容も盛り込まれ、此の計画の為にアメリカから資金と技術援助を受ける約束も取り付けていた。
1,951 9 30 力道山が、メモリアルホール(現在の両国国技館(東京都墨田区横網))での在日トリイ・オアシス・シュライナース・クラブ慈善興行を、観客に日本人が殆ど居ない中、リングサイドで観戦する。
1,951 10 28 力道山が、メモリアルホールでの在日トリイ・オアシス・シュライナース・クラブ慈善興行にて、ボビー・ブランズ戦(10分1本勝負)でデビューする。結果は時間切れ引き分けであった。其の後ブランズは、力道山に素質を感じ、ハワイ興行に力道山を誘った。しかし新田新作が此れに反対した為、日新プロダクション創業者で日本浪曲協会書記長の永田貞雄に相談した。永田が新田を説得し、力道山のハワイ行きが決まった。
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