西暦1,948年は、東條英機等の絞首刑が執行され、河辺虎四郎が河辺機関を設立した年である。12月23日の0時1分30秒、板垣征四郎・木村兵太郎・土肥原賢二・東條英機・武藤章・松井石根・広田弘毅の七名の絞首刑が執行される。翌12月24日には笹川良一・児玉誉士夫・岸信介・青木一男・安倍源基・天羽英二・安藤紀三郎・石原広一郎・岩村通世・後藤文夫・須磨弥吉郎・寺島健・西尾寿造・本多熊太郎・葛生能世・大川周明・多田駿・谷正之・高橋三吉の十九名が不起訴となり巣鴨拘置所から釈放された。CIAは笹川・児玉・岸に、エージェントとして働く事を約束させ、其れと引き換えに釈放している。児玉は本年中にチャールズ・ウィロビーと接触した。3月には牟田口廉也が、理由も告げられずに釈放される。劉少奇が「盧溝橋事件の仕掛け人は中国共産党で、私が北平大学の学生を使って発生させたものである。現地の責任者は此の私だ」と、西側諸国の記者団に証拠を示して発表した事が背景として有った。諜報を巡っては、12月31日頃にチャールズ・ウィロビーによる情報組織の設立要請により、河辺虎四郎が「河辺機関」を設立する。有末精三・下村定・鎌田銓一・岩畔豪雄・宇垣一成・服部卓四郎・辻政信・辰巳栄一・岡村寧次・土居明夫が参加した。しかし河辺や有末は常習的にG2を騙し、報告した情報は、大半が嘘かでっち上げであった。しかも在日中国人に情報を売っていた。但ウィロビーは有末を信用し、G2とCIAの内部抗争に就いて話していた。又、国民党許崇智に日本人を送り込み、大量のバナナや砂糖を貰い受け、其れを日本で売り捌いて巨利を得た。又、ウィロビーの通訳担当で三菱財閥の娘の荒木光子はG2の情報を日本政府に流していた。荒木はウィロビー邸に自由に出入り出来た唯一の日本人で、ドイツ語やロシア語が堪能であった。其れに先立つ9月25日には河辺虎四郎・辰巳栄一・G2大佐レイシーが反共工作に就いて会談を行う。河辺は活動全体がG2の資金で賄われる反共工作計画「タケマツ作戦」を立案し、G2に対し初期活動費八万七千円を要求した。「タケ」は海外情報収集活動、「マツ」は日本国内での反共活動を意味している。10月9日には河辺とレイシーが会談し、G2から当座で三万七千円が河辺に提供された。11月20日には河辺・レイシー・有末精三が会談し、河辺がレイシーに南日本でのタケ作戦の概要を説明する。防府(山口県)を拠点にスパイを南朝鮮(韓国)に派遣し、防府の貿易ルートを活用し北緯38度線を越え、北朝鮮と満洲の情報を伝える事、対馬への情報拠点設置が可能であり、南朝鮮からの密貿易に使われており、日本人工作員の南朝鮮潜入に利用する事、ソ連船の情報獲得の為対馬の漁民を工作員として雇う事も可能である事、アメリカの無線機を用い中国語・朝鮮語・ロシア語の放送を傍受する事が其の内容であった。河辺は半年間の南日本での活動経費としてG2に対し三百九十万五千円を提示し、レイシーは必要な機材の手配を約束している。更に河辺は、北日本でのタケ作戦の概要を説明した。翌年4月に作戦を開始し美唄(北海道)に本部を、札幌・函館・礼文島(北海道)に支部を設置する事、樺太在住の信頼出来る日本人に接触し、樺太や千島列島からの帰還者をスパイとして送り返す事、故意に船を難破させソ連に船員を送り込む事で、万年筆や時計の密輸ルートをソ連領内に開拓する事、周辺海域を高速艇で監視し、無線を傍受する事が其の内容であった。河辺は、半年間の北日本での活動経費としてG2に対し五百九十六万二千円を提示している。其れと引き換えに河辺は、チャールズ・ウィロビーに対して一千万円を要求し、スパイを送って極東各地を支援する事と、蒋介石率いる国民党を支援する事を約束した。又有末は、タケ作戦に於ける北朝鮮での工作活動に渡辺渡を起用するが、使い物にならず、作戦は悉く失敗している。12月3日には河辺とレイシーが会談し、レイシーは河辺に対し、チャールズ・ウィロビーが北日本の作戦を優先する様求めている事、但し南日本の作戦も了承している事を説明した。対日政策では、3月に第50代アメリカ国務長官ジョージ・マーシャルが初代アメリカ国務省政策企画本部長ジョージ・ケナン(外交官)を日本に派遣する。ケナンはダグラス・マッカーサーと会談し「日本は政治改革よりも経済復興の方が重要で、実現も容易である。共産国になりそうな中国に対し分解した機材を戦時賠償として日本の産業を解体してまで送るのは正しいのか」とし、マッカーサーを説得した。10月7日にはジョージ・ケナンがアメリカ国務省に提出した対日講和は時期尚早であるとの文書を基に、NSC(アメリカ国家安全保障会議)が作成した「アメリカの対日政策に関する勧告」が採択される。沖縄の長期支配・横須賀海軍基地の拡張・日本の国内警察力の強化・対日講和の非懲罰的な方針への変更・旧政財界人の公職復帰が主に提言された。朝鮮半島を巡っては、8月15日に韓国が、9月9日に北朝鮮が建国される。其れに先立つ2月26日には南朝鮮での単独選挙実施案が、国連小総会で賛成三十一票、反対二票、棄権十一票で可決された。5月10日には南朝鮮で単独選挙が実施され、全体で投票率が95%を超えたが、済州島では三つの選挙区のうち二つがボイコットにより不成立となった。アメリカ軍は二選挙区の無効を公表し、同年6月23日に再選挙を実施すると発表したが、選挙を行う為の与件が整わず、無期延期となっている。済州島では、3月1日に西暦1,919年3月1日の独立運動を記念する集会が開かれた。此の集会で子供とぶつかったにも拘らず立ち去った警察に対し参加者が抗議し、其れに対し警察側が発砲、六名が死亡している。3月10日には学生、教員、公務員、警察等済州島民の95%がストライキを敢行した。4月3日には南朝鮮労働党主導で三百五十名が武装蜂起する。西暦1,948年5月10日に行われる予定であった南朝鮮単独選挙に反発したものであった。10月には初代韓国大統領李承晩が、海岸線より5km以上の地域に出入りする人間を暴徒と見なし無条件射殺する、という布告を発し、11月17日には済州島で戒厳令が敷かれた。10月9日には韓国でハングル専用法が制定され、公文書がハングルで記載される事が正式に決定される。12月12日には第3回国連総会にて、南朝鮮で合法的な政府が設立された旨のUNTCOKの報告書が承認され、UNTCOKに代えて国連朝鮮委員会が設置された。7月には最後の北方四島からの日本人の強制送還が行われている。保健・人口では、4月7日にWHO(世界保健機関)が設立される。以降ロックフェラー財団の資金提供を継続的に受ける事となった。4月5日にはアビー・アルドリッチ・ロックフェラーが死去する。マーガレット・サンガーは、ロックフェラーが死去する前に会った最後の友人の一人であった。其の後サンガーは、ジョン・ロックフェラー・ジュニアに哀悼の意を示す書簡を送っている。日本の産業では、2月に本田宗一郎が、現在の静岡県浜松市中央区野口町の織物工場を買収し、エンジン組立工場として改造する。此の時点の生産規模を超える設備投資を行い、ベルトコンベアラインを導入した。9月24日には本田技術研究所を株式会社に改組し「本田技研工業株式会社」を設立している。従業員は三十四名、資本金は百万円であった。其の他、12月28日に児玉誉士夫が、進駐していたESS(経済科学局)にラジウムを渡す。此のラジウムには、香港サナトリウム病院から略奪した物も含まれていた。又、児玉誉士夫と巣鴨拘置所で知り合った福田太郎が、広報PRの個人事務所である「福田渉外事務所」を設立している。12月30日頃にはCIAが「自由欧州放送」等の宣伝戦争を支援する為に設けた偽装組織である「自由欧州全国委員会」の初代委員長に就任した。2月19日には笠信太郎がスイスから日本に帰国している。12月21日には辻嘉六が死去し、鳩山一郎が辻の家族からの電話を受け、辻の自宅を訪れた。翌12月24日には辻嘉六の葬儀が築地本願寺で営まれ、鳩山一郎が参列している。又、スワイヤー商会が、香港のフラッグ・キャリアであるキャセイパシフィック航空の株式の45%を取得し、筆頭株主となった。野球では、1月10日に第3代大映社長永田雅一が、小西得郎の仲介で、中部日本新聞社と対立を深めて中部日本ドラゴンズの選手十二名・マネージャー一名を引き連れ退団した赤嶺昌志と野球チームを結成する。其の後、日本野球報国会に加入を申し入れるが拒否された。そんな中永田は、自身が面倒を見ていた公職追放となった元政治家を動かし、五島慶太が球団を手放したがっているという情報を聞き付け、球団代表の猿丸元に球団買収を申し入れた。猿丸は、東急本社の役員会議で承認を得ようとし、会議直前に球団売却の話を大川博にしたが、大川は「フライヤーズは東急だけのものでは無い。戦争で憔悴した人々の心の拠り所だ。1年で投げ出すと、東急電鉄の信用に関わる」と反対し、此れにより猿丸は、球団売却の件を議題に上げるのを止めた。2月20日には大映の野球チームと、東急フライヤーズが合併する。東急は、球団売却こそ断ったものの、空襲で多くの映画館を失っていた傘下の東横映画が映画館確保の為大映と提携し、大映株を大量に借り入れて大株主となったり、京都に在る大映の第2撮影所を借り受ける等、大映に借りが有った為、球団経営への参画までは断れなかった。4月9日には東急フライヤーズが「急映フライヤーズ」に改称した。12月21日には永田雅一が、経営危機の金星スターズを買収し、チーム名を「大映スターズ」とする。永田は、急映フライヤーズに預けていた選手を引き上げ、東急電鉄との共同経営を解消した。同日、急映フライヤーズはチーム名を「東急フライヤーズ」に戻している。4月14日には日本選手権試合の興行・出版物の発行販売・文房具や玩具や運動具等の製造販売等を目的に資本金一千万円で「株式会社日本野球連盟」が設立された。全球団に、興行契約金の名目で百二十五万円ずつ差し入れ、年間優待指定席等の株主優待制度を設け、80円(額面50円)/株(配当6%)で売り出され、社長には鈴木龍二が就いている。同社は、公式戦のチケット収入の13%を吸い上げた。3月1日には日本野球連盟が、公益法人から社団法人に改組している。12月2日には「中日スタヂアム」が完成し、翌年から中日ドラゴンズが本拠地として使用した。自動車では、2月3日にフェッルッチオ・ランボルギーニが、バッサ地域の小規模農家向けに、安価な軍余剰品を再利用し、エンジンと燃料系の改良を施した「カリオカ」を発表する。此れを機に、トラクターメーカー「ランボルギーニ・トラットーリ」を設立した。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,948 スワイヤー商会が、香港のフラッグ・キャリアであるキャセイパシフィック航空の株式の45%を取得し、筆頭株主となる。
1,948 児玉誉士夫と巣鴨拘置所で知り合った福田太郎が、広報PRの個人事務所である「福田渉外事務所」を設立する。
1,948 1 10 第3代大映社長永田雅一が、小西得郎の仲介で、中部日本新聞社と対立を深めて中部日本ドラゴンズの選手12名・マネージャー1名を引き連れ退団した赤嶺昌志と野球チームを結成する。其の後、日本野球報国会に加入を申し入れるが拒否された。そんな中永田は、自身が面倒を見ていた公職追放となった元政治家を動かし、五島慶太が球団を手放したがっているという情報を聞き付け、球団代表の猿丸元に球団買収を申し入れた。猿丸は、東急本社の役員会議で承認を得ようとし、会議直前に球団売却の話を大川博にしたが、大川は「フライヤーズは東急だけのものでは無い。戦争で憔悴した人々の心の拠り所だ。1年で投げ出すと、東急電鉄の信用に関わる」と反対した。此れにより猿丸は、球団売却の件を議題に上げるのを止めた。
1,948 2 本田宗一郎が、現在の静岡県浜松市中央区野口町の織物工場を買収し、エンジン組立工場として改造する。此の時点の生産規模を超える設備投資を行い、ベルトコンベアラインを導入した。
1,948 2 3 フェッルッチオ・ランボルギーニが、バッサ(現在のイタリアのエミリア・ロマーニャ州フェラーラ県・ボローニャ県・モデナ県)地域の小規模農家向けに、安価な軍余剰品を再利用し、エンジンと燃料系の改良を施した「カリオカ」を発表する。此れを機に、トラクターメーカー「ランボルギーニ・トラットーリ」を設立した。
1,948 2 19 笠信太郎がスイスから日本に帰国する。
1,948 2 20 大映の野球チームと、東急フライヤーズが合併する。東急は、球団売却こそ断ったものの、空襲で多くの映画館を失っていた傘下の東横映画が映画館確保の為大映と提携し、大映株を大量に借り入れて大株主となったり、京都に在る大映の第2撮影所を借り受ける等、大映に借りが有った為、球団経営への参画までは断れなかった。
1,948 2 26 南朝鮮での単独選挙実施案が、国連小総会で賛成31票、反対2票、棄権11票で可決される。
1,948 3 第50代アメリカ国務長官ジョージ・マーシャルが初代アメリカ国務省政策企画本部長ジョージ・ケナン(外交官)を日本に派遣する。ケナンはダグラス・マッカーサーと会談し「日本は政治改革よりも経済復興の方が重要で、実現も容易である。共産国になりそうな中国に対し分解した機材を戦時賠償として日本の産業を解体してまで送るのは正しいのか」とし、マッカーサーを説得した。
1,948 3 牟田口廉也が、理由も告げられずに釈放される。劉少奇が「盧溝橋事件の仕掛け人は中国共産党で、私が北平大学の学生を使って発生させたものである。現地の責任者は此の私だ」と、西側諸国の記者団に証拠を示して発表した事が背景として有った。
1,948 3 1 日本野球連盟が、公益法人から社団法人に改組する。
1,948 3 1 済州島で、西暦1,919年3月1日の独立運動を記念する集会が開かれる。この集会で子供とぶつかったにも拘らず立ち去った警察に対し参加者が抗議した。それに対し警察側が発砲、6名が死亡した。
1,948 3 10 学生、教員、公務員、警察等済州島民の95%がストライキを敢行する。
1,948 4 3 南朝鮮労働党主導で350名が武装蜂起する。西暦1,948年5月10日に行われる予定であった南朝鮮単独選挙に反発した。
1,948 4 5 アビー・アルドリッチ・ロックフェラーが死去する。マーガレット・サンガーは、ロックフェラーが死去する前に会った最後の友人の1人であった。其の後サンガーは、ジョン・ロックフェラー・ジュニアに哀悼の意を示す以下の内容の書簡を送った。
ニューヨークに出発した朝にロックフェラー夫人と楽しい笑い話をした事は、私に取って大きな喜びでした。あの時、貴方と貴方の子供達が彼女のケアと伴侶としての豊かな良い年月を過ごせた事がどれ程幸運だったかを感じました。私達の大義に対する彼女の静かな支援は、暗闇の夜の年月を通じて私に大きな自信を与えてくれました。
1,948 4 7 WHO(世界保健機関)が設立される。以降ロックフェラー財団の資金提供を継続的に受ける事となる。
1,948 4 9 東急フライヤーズが「急映フライヤーズ」に改称する。
1,948 4 14 以下等を目的に資本金10,000,000円で「株式会社日本野球連盟」が設立される。
①日本選手権試合の興行
②出版物の発行・販売
③文房具・玩具・運動具・遊戯具・図書・写真印刷物類の製造販売
全球団に、興行契約金の名目で1,250,000円ずつ差し入れ、年間優待指定席等の株主優待制度を設け、80円(額面50円)/株(配当6%)で売り出された。社長には鈴木龍二が就いた。同社は、公式戦のチケット収入の13%を吸い上げた。
1,948 5 10 南朝鮮で単独選挙が実施され、全体で投票率が95%を超えたが、済州島では3つの選挙区のうち2つがボイコットにより不成立となった。アメリカ軍は2選挙区の無効を公表し、同年 6月23日に再選挙を実施すると発表した。しかし、選挙を行う為の与件が整わず、無期延期となった。
1,948 7 最後の北方四島からの日本人の強制送還。
1,948 8 15 韓国が建国される。
1,948 9 9 北朝鮮が建国される。
1,948 9 24 本田宗一郎が、本田技術研究所を株式会社に改組し「本田技研工業株式会社」を設立する。従業員は34名、資本金は1,000,000円であった。
1,948 9 25 主に以下3名が反共工作に就いて会談を行う。
①河辺虎四郎
②辰巳栄一
③G2大佐レイシー
河辺は活動全体がG2の資金で賄われる反共工作計画「タケマツ作戦」を立案し、G2に対し初期活動費87,000円を要求した。「タケ」は海外情報収集活動、「マツ」は日本国内での反共活動を意味した。
1,948 10 初代韓国大統領李承晩が、海岸線より5km以上の地域に出入りする人間を暴徒と見なし無条件射殺する、という布告を発する。
1,948 10 7 ジョージ・ケナンがアメリカ国務省に提出した対日講和は時期尚早であるとの文書を基に、NSC(アメリカ国家安全保障会議)が作成した「アメリカの対日政策に関する勧告」が採択される。主に以下が提言された。
①沖縄の長期支配
②横須賀海軍基地の拡張
③日本の国内警察力の強化
④対日講和の非懲罰的な方針への変更
⑤旧政財界人の公職復帰
1,948 10 9 韓国でハングル専用法が制定され、公文書がハングルで記載される事が正式に決定される。
1,948 10 9 主に以下2名がタケマツ作戦に就いて会談を行う。G2から当座で37,000円が河辺に提供された。
①河辺虎四郎
②レイシー
1,948 11 17 済州島で戒厳令(戦争や内乱等の非常時に際し、立法権、行政権、司法権の行使を軍部に委ねる)が敷かれる。
1,948 11 20 主に以下3名がタケマツ作戦について会談を行う。
①河辺虎四郎
②レイシー
③有末精三
河辺がレイシーに南日本でのタケ作戦の概要を以下の通り説明した。
①防府(山口県)を拠点にスパイを南朝鮮(韓国)に派遣し、防府の貿易ルートを活用し北緯38度線を越え、北朝鮮と満洲の情報を伝える。
②対馬への情報拠点設置が可能である。南朝鮮からの密貿易に使われており、日本人工作員の南朝鮮潜入に利用する。ソ連船の情報獲得の為対馬の漁民を工作員として雇う事も可能である。
③アメリカの無線機を用い以下の言語の放送を傍受する。
❶中国語
❷朝鮮語
❸ロシア語
河辺は半年間の南日本での活動経費としてG2に対し3,905,000円を提示し、レイシーは必要な機材の手配を約束した。更に河辺は、北日本でのタケ作戦の概要を以下の通り説明した。
①翌年4月に作戦を開始し美唄(北海道)に本部を、札幌・函館・礼文島(北海道)に支部を設置する。
②樺太在住の信頼出来る日本人に接触し、樺太や千島列島からの帰還者をスパイとして送り返す。又、故意に船を難破させソ連に船員を送り込む事で、万年筆や時計の密輸ルートをソ連領内に開拓する。周辺海域を高速艇で監視し、無線を傍受する。
河辺は、半年間の北日本での活動経費としてG2に対し5,962,000円を提示した。其れと引き換えに河辺は、チャールズ・ウィロビーに対して10,000,000円を要求し、スパイを送って極東各地を支援する事と、蒋介石率いる国民党を支援する事を約束した。又有末は、タケ作戦に於ける北朝鮮での工作活動に渡辺渡を起用するが、使い物にならず、作戦は悉く失敗した。
1,948 12 2 「中日スタヂアム」が完成する。翌年から中日ドラゴンズが本拠地として使用した。
1,948 12 3 主に以下2名がタケマツ作戦に就いて会談を行う。
①河辺虎四郎
②レイシー
レイシーは河辺に対し、チャールズ・ウィロビーが北日本の作戦を優先する様求めている事、但し南日本の作戦も了承している事を河辺に説明した。
1,948 12 12 第3回国連総会にて、南朝鮮で合法的な政府が設立された旨のUNTCOKの報告書を承認される。また、UNTCOKに代えて国連朝鮮委員会を設置される。
1,948 12 21 辻嘉六が死去し、鳩山一郎が辻の家族からの電話を受け、辻の自宅を訪れる。
1,948 12 21 永田雅一が、経営危機の金星スターズを買収する。チーム名は「大映スターズ」とした。永田は、急映フライヤーズに預けていた選手を引き上げ、東急電鉄との共同経営を解消した。同日、急映フライヤーズはチーム名を「東急フライヤーズ」に戻した。
1,948 12 23 0時1分30秒、以下の7名の絞首刑が執行される。
①板垣征四郎
②木村兵太郎
③土肥原賢二
④東條英機
⑤武藤章
⑥松井石根
⑦広田弘毅
1,948 12 24 以下19名が不起訴となり巣鴨拘置所から釈放される。
①笹川良一
②児玉誉士夫
③岸信介
④青木一男
⑤安倍源基
⑥天羽英二
⑦安藤紀三郎
⑧石原広一郎
⑨岩村通世
⑩後藤文夫
⑪須磨弥吉郎
⑫寺島健
⑬西尾寿造
⑭本多熊太郎
⑮葛生能世
⑯大川周明
⑰多田駿
⑱谷正之
⑲高橋三吉
CIAは笹川・児玉・岸に、エージェントとして働く事を約束させ、其れと引き換えに釈放した。児玉は本年中にチャールズ・ウィロビーと接触した。
1,948 12 24 辻嘉六の葬儀が築地本願寺で営まれる。鳩山一郎が参列した。
1,948 12 28 児玉誉士夫が、進駐していたESS(経済科学局)にラジウムを渡す。このラジウムには、香港サナトリウム病院(現在の香港島湾仔区)から略奪した物も含まれていた。
1,948 12 30 CIAが「自由欧州放送」等の宣伝戦争を支援する為に設けた偽装組織である「自由欧州全国委員会」の初代委員長に就任する。
1,948 12 31 チャールズ・ウィロビーによる情報組織の設立要請により、河辺虎四郎が「河辺機関」を設立する。主に以下の人間が参加した。
①有末精三
②下村定
③鎌田銓一
④岩畔豪雄
⑤宇垣一成
⑥服部卓四郎
⑦辻政信
⑧辰巳栄一
⑨岡村寧次
⑩土居明夫
しかし河辺や有末は常習的にG2を騙し、報告した情報は、大半が嘘かでっち上げであった。しかも在日中国人に情報を売っていた。ただウィロビーは有末を信用し、G2とCIAの内部抗争について話していた。又、国民党許崇智に日本人を送り込み、大量のバナナや砂糖を貰い受け、其れを日本で売り捌いて巨利を得た。又、ウィロビーの通訳担当で三菱財閥の娘の荒木光子はG2の情報を日本政府に流していた。荒木はウィロビー邸に自由に出入り出来た唯一の日本人で、ドイツ語やロシア語が堪能であった。
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