西暦1946年は、戦後日本の戦争責任追及・原子力の制度化・シベリア抑留引き上げ開始・グローバルな経済/諜報/慈善ネットワークの形成が一斉に進んだ年である。戦後日本の戦争責任追及として、1月に児玉誉士夫が自首し自ら進んでA級戦犯容疑者として逮捕され巣鴨拘置所に収容され(後年西暦1,947年の正力釈放・西暦1,948年12月24日の児玉/笹川/岸釈放とCIAエージェント化への系譜の起点)、1月4日に正力松太郎が公職追放処分となり、9月に里見甫が極東国際軍事裁判に出廷しアヘン事業の正当化と自身の役割を証言した(東條英機内閣や興亜院に必要とする資金を届けた・上海等でアヘンを売り捌き巨額の利益が日本軍の工作費に化けた・西暦1,939年末からは蒙古産アヘンも販売)。原子力の制度化として、8月1日にAEC(アメリカ原子力委員会)が発足しマンハッタン計画が継承された。シベリア抑留引き上げ開始として、12月8日にシベリア抑留から解放された抑留者がナホトカから舞鶴へ大久丸で入港し(2,555名)、シベリアからの最初の引き上げとなった(後年西暦1,956年12月26日のナホトカから舞鶴への最後の引き上げ・西暦1,958年9月7日の舞鶴への最後の引き上げへの系譜の起点)。グローバル・ファッションの局面では、10月8日にクリスチャン・ディオールが繊維メーカー経営者マルセル・ブサックの支援を受けパートナーシップを結び「クリスチャン・ディオール社」を設立し、12月8日にパリ8区モンテーニュ通りにクチュールメゾンを開業した。日本産業の局面では、9月に本田宗一郎が友人の自宅を訪ねて旧陸軍の無線用小型エンジンを使って補助付き自転車を作って試走し、10月に静岡県浜松市の99.1736㎡足らずの木造バラックの機械加工工場にて原資450,000円で原動機付自転車を製造・販売する「本田技術研究所」を設立した(後年西暦1,947年のA型エンジン生産開始・西暦1,948年の本田技研工業設立への系譜の起点)。バチカン銀行スキャンダルの起源として、ミケーレ・シンドーナがミラノに移り、CIAがイタリア共産党の拡大を阻止する為にバチカン市国とキリスト民主党に資金提供した際の仲介役を務め、其れが切っ掛けでシンドーナとパウロ6世は知己を得た(後年西暦1,952年のシンドーナ最初のマネーロンダリング・西暦1,959年のスパーダ知己・西暦1,971年のカルヴィのアンブロシアーノ銀行頭取就任への系譜の決定的起点)。気象操作技術の起源として、7月にヴィンセント・シェーファーが実験用のコールドボックスにドライアイスを置き息を吹き掛けながら雲を作ると青みがかった靄が突然発生し何百万という微細な氷の結晶となる刺激効果を発見し、11月13日にアメリカのマサチューセッツ州バークシャー郡の山脈の雲に飛行機からドライアイスを放出する事で雲を修正し氷と雪を生成する事に成功し、アメリカ政府は気象修正と人工降雨の追加研究を支援する為の資金提供を行った(後年西暦1,947年10月13日のシーラス計画台風ドライアイス投下への系譜の起点)。人口政策実験の起点として、ジョン・B・カルフーンがジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院に勤務を始め、小型哺乳類の捕獲に関する訓練を行いここでラットを使った実験を初めて実施した(後年西暦1,947年のノルウェー・ラット研究・西暦1,954年のローデント・ユニバース構築・西暦1,968年のユニバース25実験開始への系譜の起点)。又、クリフトン・マッサーとマーガレット・マッサー夫妻が5,675,000ドルの寄付金を受けて「ジェネラル・サービス財団」を設立した(西暦1,970年以降世界の人口抑制に力を入れプランド・ペアレントフッド/アメリカン・フレンズ・サービス委員会/人口評議会/人口危機委員会/コロンビア大学と協力)。朝鮮半島の局面では、3月20日に米ソ共同委員会の本会談が米ソ両軍それぞれ5名からなる代表団によりソウルで開始され、11月23日に南朝鮮労働党が創立され、11月30日に平安道出身者を中心とする西北青年会が結成され、10月3日に民団(在日本朝鮮居留民団)が発足した。其の他、2月にイタリアへ国外追放となったラッキー・ルチアーノがニューヨーク港を出発し、12月に五島慶太が東急電鉄専務黒川渉三の仲介で350,000円(球団権利金240,000円含む)で経営難のセネタースを買収し、8月9日に東京巨人軍が読売新聞社の運営となった。プロ野球の球団改称として、朝日軍が「パシフィック」・近畿日本軍が「近畿グレートリング」・阪神軍が「大阪タイガース」・産業軍が「中部日本」に改称し、田村駒治郎の後輩橋本三郎が「ゴールドスター」を大阪で設立し(マネージャーにジャニー喜多川の父喜多川諦道就任)、鈴木惣太郎の提案により球団に愛称が義務付けられた。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦

≈は「頃」を意味しています。

アドルフ・ヒトラーの父方の祖父はザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドに関する電子書籍 アロイス・シックルグルーバーは違法な改名を行い、アロイス・ヒトラーとなった。
年月日 出来事
1,946 ジョン・B・カルフーンが、ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院に勤務を始める。小型哺乳類の捕獲に関する訓練を行なったが、此れは西暦1,956年迄に調整する予定であった小型哺乳類の個体数と種を記録する統計調査プロジェクトに活かされた。又、カルフーンはここでラットを使った実験を初めて実施した。
1,946 朝日軍が「パシフィック」に改称する。
1,946 近畿日本軍が「近畿グレートリング」に改称する。以下3点が由来であった。
①機関車の大動輪
②近畿日本鉄道の社章
③沿線の大和地区
しかし、観戦に訪れた駐留米兵は、近畿が「Kinky」に似ており、グレートリングは女性器のスラングであった事から大笑いしていた。
1,946 ミケーレ・シンドーナがミラノに移る。シンドーナは、CIAがイタリア共産党の拡大を阻止する為にCIAがバチカン市国とキリスト民主党に資金提供した際の仲介役を務めた。其れが切っ掛けで、シンドーナとパウロ6世は知己を得た。
1,946 以下2名の夫妻が、5,675,000ドルの寄付金を受けて「ジェネラル・サービス財団」を設立する。
①クリフトン・マッサー
②マーガレット・マッサー
此の財団は、西暦1,970年以降、世界の人口抑制に力を入れ、以下の機関と協力した。
①プランド・ペアレントフッド(全米家族計画連盟)
②アメリカン・フレンズ・サービス委員会
③人口評議会
④人口危機委員会
⑤コロンビア大学
1,946 1 児玉誉士夫が自首し、自ら進んでA級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨拘置所に収容される。
1,946 1 日本野球報国会が活動を再開する。
1,946 1 4 正力松太郎が公職追放処分となる。
1,946 2 中部日本新聞が球団運営に復帰し、産業軍を「中部日本」に改称する。
1,946 2 田村駒から独立し、奈良県南葛城郡御所町(現在の奈良県御所市)の会社の工場長を務めていた田村駒治郎の後輩の橋本三郎が、田村から連絡が無かったという理由で、軍事工場の運営を名目に御所町に疎開して野球を続けていた朝日軍の選手の大部分を母体に「ゴールドスター」を大阪で設立する。本拠地は定めなかった。マネージャーには、ジャニー喜多川の父喜多川諦道が就いた。
1,946 2 イタリアへ国外追放となったラッキー・ルチアーノが、ニューヨーク港を出発する。
1,946 3 20 米ソ共同委員会の本会談が、米ソ両軍それぞれ5名からなる代表団により、ソウルで開始される。
1,946 3 25 阪神軍が大阪タイガースにチーム名を戻す。
1,946 3 26 藤村義朗がスイスから日本に帰国する。
1,946 4 16 外地で終戦を迎えた日本人が、上海から舞鶴へ入港。
1,946 7 ヴィンセント・シェーファーが、実験用のコールドボックスが、実施しようとしている実験には暖かすぎる事に気付く。ドライアイスをコールドボックスの底に置き、息を吹き掛けながら雲を作ると、これまで見た事も無い様な青みがかった靄が突然発生し、それが何百万という微細な氷の結晶となって、ストロボの光に照らされたチャンバーの中でシェーファーの目を眩ませた。過冷却水中の熱と冷たさ、湿度の急激な変化が、何十億もの氷の核を自然に生成するという刺激効果であった。数多くの実験を繰り返し、十分に湿った低温の雲(過冷却水)に氷核ドライアイスとヨウ化銀を放出し、人工降雨を誘発する方法を開発した。その後シェーファーは、台風を、それに含まれる数千tの水を沈殿させる事により破壊する実験を行った。シェーファー達は、ドライアイスの放出が大雨を誘発し、台風の目の中の温度を下げ、台風を弱める可能性が有ると結論付けた。この実験にはアメリカ陸海軍も協力した。
1,946 7 16 ポール・ブルームが、自身の父アンリ・ブルームの所有していた山下町(神奈川県横浜市中区)と神戸市の2ヶ所の土地の状況を照会する。山下町の方は、アンリの経営していたヴィトコフスキー商会の拠点であった。
1,946 8 1 AEC(アメリカ原子力委員会)が発足し、マンハッタン計画が継承される。
1,946 8 9 東京巨人軍が、読売新聞社の運営となる。
1,946 9 本田宗一郎が、友人の自宅を訪ねて旧陸軍の無線用小型エンジンを使って補助付き自転車を作って試走する。
1,946 9 里見甫が、極東国際軍事裁判に出廷し、以下の証言を行う。
①アヘン事業の正当化と自身の役割
❶里見は「私は只アヘンを正しく管理し、東條英機内閣や興亜院に、必要とする資金を届けただけである」と証言し、自身の活動を国家公認の管理業務として弁明し、犯罪性を否定した。
❷日本陸軍や満洲国の日本人官僚等の依頼を受け、上海等でアヘンを売り捌いていた事を認め、其の巨額の利益が日本軍の工作費等に化けていた事を述べた。
❸西暦1,939年末からは蒙古産アヘンも販売し、其の大部分を中華航空機で運んだと述べた。此の売上の大部分が東京に送られ、東條内閣や国会議員への資金に充てられた事も指摘した。
②アヘン流通の仕組み
❶アヘンは、満洲国及び蒙古聯合自治政府管内で生産され、北京・上海を中心に、広東・厦門・関東州・日本で消費された。此れを興亜院が監督した。
❷自身は民間人として起用され、上海に、慈善団体を装ったアヘン販売拠点である華中宏済善堂を設立した。当初は三井物産経由でイラン産アヘンを密輸入し、西暦1,939年末からは蒙古産アヘンを中華民国商人のネットワークで販売した。
❸太平洋戦争後、シンガポール占領地でもアヘンの精製・販売を行い、現地で起きていたハイパーインフレによって価値を失った日本軍の発行した軍票の代わりとして、通貨的な役割を果たした。
❹西暦1,943年の南京等での反アヘンデモ後、自身は華中宏済善堂を辞職した。
③満洲国ののアヘン政策と影響
❶満洲国は、アヘン吸飲を登録中毒者に販売する漸禁政策と専売制を採用したが、登録制度は機能せず、誰でも買えた。
❷アヘンの利益金が、満洲国の国家歳入の5〜5.6%を占め、日本軍、特に関東軍の資金源となった。苦痛による気絶等のアヘン中毒による禁断症状や、アヘン中毒者が妻子を売る程の依存性が有り、自身のアヘン管理を正当化した。
❸アヘンが、中華民国の民衆の抵抗力を失わせる支配手段として機能した事を間接的に示唆した。
④関連する被告や事件
❶アヘンの収益が東條内閣に流れた。東條は陸軍大臣として流通を指揮した。
❷アヘンの売上金が東京に送られた事を宣誓口述書に記載する。しかし岸信介には言及せず。
❸汪兆銘は、アヘンの収益を政権樹立工作や財源に使用した。
此の裁判で、アヘン問題は満洲事変・日中戦争と並ぶ追及対象となった。中華民国検察側が証拠を提出し、日本の戦争犯罪として裁かれた。里見は同月中に不起訴となり、無条件で釈放された。
1,946 10 本田宗一郎が、現在の静岡県浜松市中央区山下町の99.1736㎡足らずの木造バラックの機械加工工場にて、原資450,000円で、原動機付自転車を製造・販売する「本田技術研究所」を設立する。此の機械加工工場に工作機械を入れ、旧陸軍のエンジンを買い集め、客が持ち込んだ自転車に取り付けた。
1,946 10 3 民団(在日本朝鮮居留民団)が発足する。
1,946 10 8 クリスチャン・ディオールが、繊維メーカー経営者マルセル・ブサックの支援を受け、パートナーシップを結び「クリスチャン・ディオール社」を設立する。
1,946 11 13 ヴィンセント・シェーファーが、アメリカのマサチューセッツ州バークシャー郡の山脈の雲に飛行機からドライアイスを放出する事で雲を修正し、氷と雪を生成する事に成功する。その後、気象修正に取り組んでいる世界中の科学者や、雪や雨を必要とする人々からの問い合わせが相次いだ。また、人工降雨を通じた気象修正に関する妥当性に関する議論にも繋がり、アメリカ政府は、気象修正と人工降雨の追加研究を支援する為の資金提供を行った。
1,946 11 23 南朝鮮労働党が創立される。
1,946 11 30 平安道(現在の北朝鮮)出身者を中心とする西北青年会が結成される。
1,946 12 五島慶太が、350,000円(球団権利金240,000円を含む)で経営難のセネタースを買収する。東急電鉄専務黒川渉三が仲介した。
1,946 12 8 シベリア抑留から解放された抑留者がナホトカから舞鶴へ大久丸で入港(2,555名)。シベリアからの最初の引き上げとなる。
1,946 12 8 クリスチャン・ディオールが、パリ8区モンテーニュ通りにクチュールメゾンを開業する。
1,946 鈴木惣太郎の提案により、球団に愛称が義務付けられる。
キッシンジャー主催のサマースクール「ハーバード国際セミナー」に関する電子書籍 他人の郵便物を勝手に開封する郵便法違反を犯すヘンリー・キッシンジャー。