西暦1,945年は、広島市と長崎市に原爆が投下され、日本がポツダム宣言を受諾した年である。8月6日、アメリカ軍が広島市に砲弾型原爆リトルボーイを投下する。ウランの同位体(中性子の数が異なる)であるウラン235を臨界量より少ない量の二つの固まりに分け、火薬の爆発力により、一方の固まりが他方の固まりに衝突し、一瞬の内に臨界量に達し、核分裂を起こさせた。8月9日にはアメリカ軍が長崎市に爆縮型原爆ファットマンを投下する。プルトニウムの同位体であるプルトニウム239を臨界量に満たない固まりに分け、球状のケースに納め、ケースを囲んでいる火薬の爆発力で中心部に圧縮し、核分裂を起こさせた。其れに先立つ3月10日未明には「ミーティングハウス2号作戦」による、爆撃を行った三百二十五機のボーイング社製B-29の内、二百七十九機による1,665tのナパーム弾投下が東京都江東区・墨田区・台東区・中央区に対して開始され、結果死者十万名、罹災者百万名超の被害を出した。4月7日には戦艦大和が沈没している。ソ連を巡っては、8月9日にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲と朝鮮半島北部に侵攻する。此れを受けて関東軍は、満洲にあるアヘン12tを日本に輸送しようとしたが、GHQに其の計画が漏れ、首謀者全員が逮捕された。満洲侵攻直後には、731部隊の本部が工兵隊により爆破される。又、不要となった捕虜は、少年兵達によって殺害され、ガソリンを掛けて燃やした。其の前日の8月8日には731部隊少年隊が、機密保持の為、施設内の研究室を破壊するよう命じられている。8月11日にはソ連が日本領の南樺太の攻撃を開始し、8月18日には千島列島侵攻を開始、8月24日には平壌に入った。終戦を巡っては、8月14日に日本が、ジョセフ・グルー・ヘンリー・スティムソン・ジェームズ・フォレスタルの三人委員会の人間によって書かれた「ポツダム宣言」の受諾を決定する。8月15日には終戦の詔書が出された。8月16日の2時頃には、神風特別攻撃隊の創設者の一人である海軍中将大西瀧治郎が南平台町(東京都渋谷区)の官舎にて腹を十字に切り、首と胸を刺して切腹する。しかし失敗し、大西は生きていた。軈て官舎の使用人が現場を目撃し、第22代海軍次官多田武雄が軍医を連れて急行した。更に児玉誉士夫も駆け付け、矢次一夫も昼過ぎに熱海から到着している。大西は軍医に「生きる様にはしてくれるな」と言い、児玉に「貴様がくれた刀が斬れぬばかりにまた会えた。全ては其の遺書に書いてある。第三〇二海軍航空隊司令小園安名に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ」という主旨の発言を行った。児玉は大西に殉じようとしたが、大西は「馬鹿者。貴様が死んで糞の役に立つか。若い者は生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」と諌め、介錯・助命を拒否した儘、五通の遺書を残し死去した。旧部下宛の遺書はタイトルを「特攻隊の英霊に曰す」とし、「自らの死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝す」とした上で、一般青壮年に対しては「軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう」とし、別紙にて軍令部第一部長富岡定俊に対し「青年将兵指導上の一助ともならばご利用ありたし」とした。淑恵夫人宛の遺書では「此れでよし百万年の仮寝かな」という辞世の句を詠んで結んでいる。8月15日には第4代軍需大臣豊田貞次郎が、第一軍需工廠長官中島喜代一に対し、中島飛行機の生産停止命令を下し、8月17日には中島飛行機製作所が「富士産業株式会社」に改称され、同日中島知久平が第5代軍需大臣に就任した。児玉機関を巡っては、8月14日の午後、海軍航空本部から軍需物資の調達を頼まれた児玉誉士夫が、児玉機関のチャーターした朝日新聞社機で上海から島根空港へ、中国大陸で集めた金の延べ棒・プラチナ・ダイヤモンド・ヒスイ等二百億円相当を輸送し、島根から東京の銀座に運ばれ、児玉機関が東京本部として使っていたビルの地下室に収蔵された。其の後此れ等を皇室に献上しようとしたが、第12代宮内大臣石渡荘太郎が、皇室が日本に進駐している連合国軍に怒られ迷惑する事を理由に持ち帰る様言われる。其の後慶應義塾大学の地下室に運ばれたが、GHQから海軍航空本部に所有物資の提出命令が有り、此れ等は接収された。GHQは、旧軍部が各地に隠匿していた貴金属類を摘発し、日銀本店の地下金庫に保管したが、今回輸送された貴金属も同じ様に此の金庫に保管された。8月20日には児玉機関の最高幹部で計画立案を担っていた高源重吉が、吉田彦太郎が華中・華南地区に置いて来た貴金属等の財産を取りに行く為、朝日新聞社機で上海へと向かう。8月25日には高源が金・ダイヤモンド等を海軍の爆撃機に載せ上海の飛行場を発とうとしたが、重さにより離陸に失敗し、滑走路の端で機体が破損した。高源は別の爆撃機に貴金属等を載せ替え上海を発ったが、大阪の飛行場に着陸する際、機体がひっくり返り破損し使用出来なくなり、其処で別の軍用機に載せ替えて東京に持ち込み、日銀本店の地下金庫に保管している。8月15日頃には児玉誉士夫が朝鮮銀行に多額の預金を残した。此の時児玉の財産は一億七千五百万ドルに膨れ上がっていた。児玉機関副機関長吉田彦太郎が日本に帰国した後、児玉は三菱銀行麹町支店に預金していた六千万円以上の資金を全て引き出し、自身が二千万円を持ち、吉田に残り四千万円を渡している。8月頃には児玉が第24代海軍大臣米内光政に対し、上海から日銀の地下金庫に輸送した貴金属を含む財産の全てを海軍に引き渡す事を申し出るが、米内は「受け取るべき海軍はもう無い、此れは全て君の裁量で国家の為に使え」と言った。其の数日後の9月頃、辻嘉六が児玉を訪ね、立憲政友会再建の為に児玉の財産を使わせて欲しいと頼んでいる。政党では、8月22日に旧立憲政友会の芦田均・安藤正純・植原悦二郎の求めに応じ、軽井沢から上京した鳩山一郎が、自身の音羽の自宅が空襲で半焼した為、東京都港区麻布のブリジストンタイヤ創業者石橋正二郎の自宅に間借り住まいを始め、新党結成の準備を開始する。石橋の長女鳩山安子は鳩山一郎の長男鳩山威一郎の妻であった。又、三田台町の自宅が戦災に遭って本庄に疎開していた松野鶴平も新党結成の準備に加わっている。10月23日には石橋正二郎の自宅で開催の鳩山新党結成準備会に児玉誉士夫と辻嘉六が参加した。児玉機関の財産を鳩山新党の政治資金として寄付する事に合意し、児玉が一郎に対し「絶対に天皇制を護持して下さい」と言うと、鳩山は「絶対にそうせねばならない」と涙で溢れながら答えた。11月2日の夜には児玉誉士夫と辻嘉六が鳩山一郎を訪ね、鳩山が設立準備していた日本自由党に対し七千万円の資金提供とダイヤモンド等の貴金属の寄贈を行う事で合意する。鳩山は此の貴金属を売り捌いた。又、児玉は残った財産を後に辻に預け、辻は自宅の庭にラジウム等を埋めている。11月9日には鳩山一郎を総裁とし、幹事長河野一郎・第14代厚生大臣芦田均・政調会長安藤正純・総務会長三木武吉等が日比谷公会堂で日本自由党の結党式を開催した。11月2日には西尾末広・平野力三・水谷長三郎等が無産政党及び社会主義各派を糾合し「日本社会党」を結党し、11月16日には翼賛体制主流の大日本政治会の多数派が、鶴見祐輔等を中心として「日本進歩党」を結党している。10月9日には幣原喜重郎が第44代首相に就任した。11月21日にはポツダム勅令により治安警察法の廃止が公布されている。GHQを巡っては、8月30日にダグラス・マッカーサー率いるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が厚木飛行場に降り立つ。鎌田銓一が、鎌田と陸軍士官学校の同期(第29期)の有末精三の推薦により出迎え役を務めた。以降鎌田は、GHQに出入り自由のフリーパスとなり、GHQの高官を鎌田の自宅で接待する様になった。鎌田の自宅にはGHQに取り入ろうと、森脇将光・小佐野賢治等が日参している。9月にはG2(GHQ参謀第2部)部長チャールズ・ウィロビーが陸軍参謀本部第2部長で諜報活動の責任者であった有末精三をスパイとして雇う。戦犯として起訴される可能性の有った有末は、其れを回避する為に、終戦前から敵国に提供する諜報関係資料の収集を行い、アメリカ軍に工作員として雇って貰う様働き掛けていた。ウィロビーは其の後も次々と日本人スパイを獲得していったが、実態はスパイでは無く、右翼体制の復活と諜報活動による稼業が目的の政治団体であった。同じく9月には、GHQの命により、キャンプ・デトリックの細菌戦の専門家であったマレー・サンダースが、陸軍軍医内藤良一と亀井貫一郎を窓口にして、カール・コンプトン率いる科学情報調査団の一員として、横浜に上陸する。其の後、同月から翌月にかけて、731部隊の調査を行った。本年頃にはアイラ・ボールドウィンがキャンプ・デトリックにて生物兵器プログラムを立ち上げ、運営を始めている。シドニー・ゴッドリーブも参加していた。戦犯を巡っては、9月15日に岸信介が、A級戦犯容疑者として戦争責任を問われ逮捕される。巣鴨拘置所に収監される際、自身がA級戦犯容疑者として田布施を離れる時に恩師の杉敏介から贈られた「名を惜しむなら命を捨てよ」という意味の自決を促す短歌の返歌として、戦前・戦中の役割を正当化する歌を杉に送った。11月19日にはGHQが荒木貞夫・小磯国昭・松岡洋右・松井石根・南次郎・白鳥敏夫・本庄繁・鹿子木員信・久原房之助・葛生能久・真崎甚三郎の十一名の逮捕を命令する。12月2日には戦犯容疑で梨本宮守正王・正力松太郎・笹川良一・児玉誉士夫・平沼騏一郎・広田弘毅・畑俊六・星野直樹・大川周明・佐藤賢了・鮎川義介・古野伊之助・池田成彬・中島知久平・徳富蘇峰・豊田副武・牟田口廉也等五十九名の逮捕を命令した。12月には里見甫が、民間人最初のA級戦犯容疑者としてGHQに逮捕され、巣鴨拘置所に収監されている。12月11日には笹川良一が、自分から進んで巣鴨拘置所に収容された。朝鮮半島を巡っては、8月11日に国務・陸軍・海軍調整委員会にて、第33代アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンの承認を経て、朝鮮半島の北緯38度を境に北部をソ連、南部をアメリカが占領する事になった。9月8日にはダグラス・マッカーサーが仁川に到着し、9月9日には朝鮮総督府が、連合国軍への降伏文書に調印している。10月14日には金成柱が金日成に成り済まし、民衆の前に登場し演説した。偽物が出てきた為、聴衆は皆唖然とし、朝鮮語が辿々しく、其の儘会場から出て行く者もいた。12月16日にはソ連のモスクワで三国外相会議が開始される。12月17日には声明が出され、各外相が署名した。イタリア・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー及びフィンランドとの平和条約の準備、日本における極東委員会の創設と対日理事会設置、アメリカとソ連による共同委員会を設置し朝鮮における単一の自由国家の成立を勧告する事、中国・ルーマニア・ブルガリアの領土的処遇、原子力のコントロールに関する委員会を国連によって設立する事、アメリカ・ソ連・イギリス・中国による最長五年間の信託統治を要する事が内容であった。朝鮮では、既にアメリカ軍とソ連軍が対立している事から共同委員会自体の成立が懸念され、朝鮮の独立が為されるまで信託統治が行われる事となった。期間は第49代アメリカ国務長官ジェームズ・フランシス・バーンズは五〜十年、第3代ソ連外相ヴャチェスラフ・モロトフは最長五年を主張していた。会議は12月27日に終了している。皇室では、7月31日に昭和天皇が、木戸幸一を呼び、天叢雲剣を疎開させる意向を伝える。其の後、疎開先の調査が行われた。8月22日には天叢雲剣が、飛騨一宮水無神社に運び込まれ、翌月19日迄安置された。スイスでの和平工作を巡っては、7月11日にOSSのベルン支局長アレン・ウェルシュ・ダレスの秘書ゲフェルニッツが、ダレスに対し、BIS経済顧問ペール・ヤコブソンの行動については出来る限り最小限の者のみが承知しておく事が極めて肝要であるとヤコブソンに言い、スイスの日本側を別とすれば、OSSメンバーを指す暗号である110と476・ロバート・シーア・ポール・ブルームに限るという点で一致した、という主旨の書簡を送る。7月13日にはダレスがゲフェルニッツに対し、「BIS理事北村孝治郎は然したる権威も後ろ盾も無しに、観測気球を上げているのではないか、という考えに傾いている。岡本清福の事は余り良く知らない。君かポール・ブルームが北村の本国での地位が持ち得る力について何か情報が得られたら、知らせてくれるとありがたい」という主旨の書簡を送った。8月14日の午後には藤村義朗がスイスから国際電話を掛ける。海軍大臣副官が「藤村、あの和平の話、何とかならんかね」と切迫して用件を伝えると、藤村は「アレン・ウェルシュ・ダレスとの交渉の事ですか」と返すと、側に居たフリードリヒ・ハックは読んでいた新聞を丸め「馬鹿野郎、百日遅い。 今頃何を言ってんだ。皆滅びるしか無いであろう」と叫んだ。欧州では、5月7日にドイツが、連合国に対する無条件降伏文書に署名する。5月8日にはドデカネス諸島のドイツ軍司令官オットー・ヴァゲーナーが、シミ島(現在のギリシャ)にて、イギリス軍の准将ジェームズ・モファットの前で、ドデカネス全島の降伏文書に調印した。フェッルッチオ・ランボルギーニは捕虜となり、イギリス軍の車両整備部門に配属されている。5月22日にはアメリカ軍の兵器開発部局であるアメリカ陸軍武器科とジェットエンジン開発部門のロンドン支部の責任者であったロバート・B・ステイバー少佐が、アメリカ国防総省に外電を送り、ドイツ人技術者を、太平洋戦争遂行に必要であるとし、ドイツ人技術者と其の家族を米国に避難させる事となった。其の中の一人にヘルベルト・ヴァーグナーがおり、ロングアイランドに住居を与えられた。3月にはポーランド人でヴェルナー・オーゼンベルクの実験助手が、トイレできちんと流されていない、オーゼンベルクのリストの切れ端を発見している。ヘンリー・キッシンジャーは、アメリカ軍と共にドイツに戻り、第970対敵諜報部隊(CIC)の特別捜査官として配属され、軍曹に昇進する。3月にはクレーフェルトの行政官の任務に就き、4月から翌月に掛けてはハノーファーにて対諜報活動に従事し、ゲシュタポのメンバーを追跡、6月にはベンスハイムのCIC分遣隊の指揮官に任命され、同地の非ナチ化政策を担った。其の他、5月23日に第二君が代丸が、姫島(大分県東国東郡)付近でアメリカ軍の飢餓作戦により敷設された機雷に接触して沈没する。5月24日頃には新聞統制と空襲被害の為、やまと新聞が休刊したが、10月1日には児玉誉士夫等が復刊させた。10月5日にはアメリカ国務省ジョン・エマーソンとカナダ外務省エドガートン・ハーバート・ノーマンが府中刑務所を訪れ、徳田球一・志賀義雄・金天海等の共産主義者と面会している。10月7日には外地で終戦を迎えた日本人が、釜山から舞鶴へ雲仙丸で入港した。9月6日には里見甫が、上海から中華航空の旅客機で雁ノ巣飛行場に着陸し、其の後は京都や東京に潜伏した。野球では、11月6日に全球団が参集し、日本野球報国会が「日本野球連盟」に名称を戻す。又、リーグ戦の再開を決定した。会長に鈴木龍二、副会長に鈴木惣太郎が就いている。同じく11月6日には元東京セネタースの選手・監督で審判を務めていた横沢三郎等が、セネタース再興を目指し「セネタース」を設立した。横沢個人の資金で成り立っていた為、財政的に厳しく、ユニフォームは戦前の阪急軍のお下がりだった。外務省嘱託職員や近衛内閣嘱託職員を務めた西園寺公一がオーナーとなり、銀座のキャバレー経営者で高利貸しをしていた織手登がスポンサーとなった。本拠地は定めなかった。ファッションでは、サヴィル・ロウにて修行を積んだ仕立て屋ナザレノ・フォンティコーリとガエターノ・サヴィーニが、ローマにて紳士服ブランド「アトリエ・ブリオーニ」を設立する。セリーヌ・ヴィピアナは、夫のリチャード・ヴィピアナと共に、パリの11区マルトゥ通りに革製子供靴専門店「セリーヌ」を開業した。名前はデザイナー担当のセリーヌから名付けられている。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦

≈は「頃」を意味しています。

皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー
年月日 出来事
1,945 アイラ・ボールドウィンがキャンプ・デトリックにて生物兵器プログラムを立ち上げ、運営を始める。シドニー・ゴッドリーブも参加していた。
1,945 サヴィル・ロウ(現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスターにあるメイフェア通り)にて修行を積んだ以下2名が、ローマにて紳士服ブランド「アトリエ・ブリオーニ」を設立する。
①仕立て屋ナザレノ・フォンティコーリ
②ガエターノ・サヴィーニ
1,945 セリーヌ・ヴィピアナが、夫のリチャード・ヴィピアナと共に、パリの11区マルトゥ通りに革製子供靴専門店「セリーヌ」を開業する。名前はデザイナー担当のセリーヌから名付けられた。
1,945 ヘンリー・キッシンジャーが、アメリカ軍と共にドイツに戻り、第970対敵諜報部隊(CIC)の特別捜査官として配属され、軍曹に昇進する。
1,945 2 25 文鮮明が、釈放される。
1,945 3 ポーランド人でヴェルナー・オーゼンベルクの実験助手が、トイレできちんと流されていない、オーゼンベルクのリストの切れ端を発見する。
1,945 3 ヘンリー・キッシンジャーが、クレーフェルト(現在のドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州)の行政官の任務に就く。
1,945 3 文鮮明が、鹿島組に再就職する。
1,945 3 10 未明に「ミーティングハウス2号作戦」による、爆撃を行った325機のボーイング社製B-29の内、279機による1,665tのナパーム弾投下が東京都江東区・墨田区・台東区・中央区に対して開始され、結果死者100,000名、罹災者1,000,000名超の被害を出した。
1,945 4 本月から翌月に掛けて、ヘンリー・キッシンジャーがハノーファーにて、対諜報活動に従事し、ゲシュタポのメンバーを追跡する。
1,945 4 7 戦艦大和が沈没する。
1,945 5 7 ドイツが、連合国に対する無条件降伏文書に署名する。
1,945 5 8 ドデカネス諸島のドイツ軍司令官オットー・ヴァゲーナーが、シミ島(現在のギリシャ)にて、イギリス軍の准将ジェームズ・モファットの前で、ドデカネス全島の降伏文書に調印する。フェッルッチオ・ランボルギーニは捕虜となり、イギリス軍の車両整備部門に配属された。
1,945 5 22 アメリカ軍の兵器開発部局であるアメリカ陸軍武器科とジェットエンジン開発部門のロンドン支部の責任者であったロバート・B・ステイバー少佐が、アメリカ国防総省に外電を送り、ドイツ人技術者を、太平洋戦争遂行に必要であるとし、ドイツ人技術者とその家族を米国に避難させる事となった。その中の一人にヘルベルト・ヴァーグナーがいた。ヴァーグナーはロングアイランドに住居を与えられた。
1,945 5 23 第二君が代丸が、姫島(大分県東国東郡)付近でアメリカ軍の飢餓作戦により敷設された機雷に接触して沈没する。
1,945 5 24 新聞統制と空襲被害の為、やまと新聞が休刊する。
1,945 6 ヘンリー・キッシンジャーが、ベンスハイム(現在のドイツのヘッセン州ベルクシュトラーセ郡)のCIC分遣隊の指揮官に任命される。同地の非ナチ化政策を担った。
1,945 7 11 OSSのベルン支局長アレン・ウェルシュ・ダレスの秘書ゲフェルニッツが、ダレスに対し「BIS経済顧問ペール・ヤコブソンの行動については、出来る限り最小限の者のみが承知しておく事が極めて肝要である、と私はヤコブソンに言い、スイスの日本側を別とすれば、以下の人間に限るという点で一致した。
①110(OSSメンバーを指す暗号)
②476(OSSメンバーを指す暗号)
③ロバート・シーア
④ポール・ブルーム
という主旨の書簡を送る。
1,945 7 13 アレン・ウェルシュ・ダレスがゲフェルニッツに対し、「BIS理事北村孝治郎は然したる権威も後ろ盾も無しに、観測気球を上げているのではないか、という考えに傾いている。岡本清福の事は余り良く知らない。君かポール・ブルームが北村の本国での地位が持ち得る力について何か情報が得られたら、知らせてくれるとありがたい」という主旨の書簡を送る。
1,945 7 31 昭和天皇が、木戸幸一を呼び、天叢雲剣を疎開させる意向を伝える。其の後、疎開先の調査が行われた。
1,945 8 6 アメリカ軍が広島市に砲弾型原爆リトルボーイを投下する。ウランの同位体(中性子の数が異なる)であるウラン235を臨界量より少ない量の2つの固まりに分け、火薬の爆発力により、一方の固まりが他方の固まりに衝突し、一瞬の内に臨界量に達し、核分裂を起こさせた。
1,945 8 8 731部隊少年隊が、機密保持の為、施設内の研究室を破壊するよう命じられる。
1,945 8 9 ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、満洲と朝鮮半島北部に侵攻する。これを受けて関東軍は、満洲にあるアヘン12tを日本に輸送しようとした。しかしGHQにその計画が漏れ、首謀者全員が逮捕された。
1,945 8 9 ソ連の満洲侵攻直後に、731部隊の本部が工兵隊により爆破される。また、不要となった捕虜は、少年兵達によって殺害され、ガソリンを掛けて燃やした。
1,945 8 9 アメリカ軍が長崎市に爆縮型原爆ファットマンを投下する。プルトニウムの同位体であるプルトニウム239を臨界量に満たない固まりに分け、球状のケースに納め、ケースを囲んでいる火薬の爆発力で中心部に圧縮し、核分裂を起こさせた。
1,945 8 11 国務・陸軍・海軍調整委員会にて、第33代アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンの承認を経て、朝鮮半島の北緯38度を境に北部をソ連、南部をアメリカが占領する事になった。
1,945 8 11 ソ連が日本領の南樺太の攻撃を開始する。
1,945 8 14 日本が、以下の三人委員会の人間によって書かれた「ポツダム宣言」の受諾を決定する。
①ジョセフ・グルー
②ヘンリー・スティムソン
③ジェームズ・フォレスタル
1,945 8 14 午後、海軍航空本部から軍需物資の調達を頼まれた児玉誉士夫が、児玉機関のチャーターした朝日新聞社機で上海から島根空港へ、中国大陸で集めた以下の貴金属等20,000,000,000円相当を輸送し、島根から東京の銀座に運ばれ、児玉機関が東京本部として使っていたビルの地下室に収蔵された。
①金の延べ棒
②プラチナ
③ダイヤモンド
④ヒスイ
其の後此れ等を皇室に献上しようとしたが、第12代宮内大臣石渡荘太郎が、皇室が日本に進駐している連合国軍に怒られ迷惑する事を理由に持ち帰る様言われる。その後慶應義塾大学(現在の神奈川県横浜市港北区日吉)の地下室に運ばれたが、GHQから海軍航空本部に所有物資の提出命令が有り、此れ等は接収された。GHQは、旧軍部が各地に隠匿していた貴金属類を摘発し、日銀本店(現在の東京都中央区日本橋本石町)の地下金庫に保管したが、今回輸送された貴金属も同じ様に此の金庫に保管された。
1,945 8 14 午後、藤村義朗がスイスから国際電話を掛ける。海軍大臣副官が「藤村、あの和平の話、何とかならんかね」と切迫して用件を伝えると、藤村は「アレン・ウェルシュ・ダレスとの交渉の事ですか」と返すと、側に居たフリードリヒ・ハックは読んでいた新聞を丸め「馬鹿野郎、百日遅い。 今頃何を言ってんだ。皆滅びるしか無いであろう」と叫んだ。
1,945 8 15 終戦の詔書が出される。此れにより、鹿島組京城支店が事実上機能停止となり、文鮮明は失職した。
1,945 8 15 児玉誉士夫が朝鮮銀行に多額の預金を残す。此の時児玉の財産は175,000,000ドルに膨れ上がっていた。児玉機関副機関長吉田彦太郎が日本に帰国した後、児玉は三菱銀行麹町支店に預金していた60,000,000円以上の資金を全て引き出し、自身が20,000,000円を持ち、吉田に残り40,000,000円を渡した。
1,945 8 15 古海忠之が、自ら陣頭指揮を執って大きな穴を掘らせ、アヘンを埋める。
1,945 8 15 第4代軍需大臣豊田貞次郎が、第一軍需工廠長官中島喜代一に対し、中島飛行機の生産停止命令を下す。
1,945 8 16 2時頃、神風特別攻撃隊の創設者の一人である海軍中将大西瀧治郎が南平台町(東京都渋谷区)の官舎にて腹を十字に切り、首と胸を刺して切腹する。しかし失敗し、大西は生きていた。軈て官舎の使用人が現場を目撃し、第22代海軍次官多田武雄が軍医を連れて急行した。さらに児玉誉士夫も駆け付け、矢次一夫も昼過ぎに熱海から到着した。大西は軍医に「生きる様にはしてくれるな」と言い、児玉に「貴様がくれた刀が斬れぬばかりにまた会えた。全ては其の遺書に書いてある。第三〇二海軍航空隊司令小園安名に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ」という主旨の発言を行った。児玉は大西に殉じようとしたが、大西は「馬鹿者。貴様が死んで糞の役に立つか。若い者は生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」と諌め、介錯・助命を拒否した儘、以下の5通の遺書を残し死去した。
①旧部下
タイトルは「特攻隊の英霊に曰す」で「自らの死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝す」とし、一般青壮年に対しては「軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう」とした。又、別紙にて軍令部第一部長富岡定俊に対し「青年将兵指導上の一助ともならばご利用ありたし」とした。
②淑恵夫人
「全て淑恵の所信に一任する事、安逸を貪らず世の為人の為天寿を全うする事、本家とは親睦保持する事、但し必ずしも大西の家系から後継者を入れる必要はない」とし、「此れでよし百万年の仮寝かな」という辞世の句を詠んで結んだ。
③多田
④児玉
⑤矢次
1,945 8 17 中島飛行機製作所が「富士産業株式会社」に改称される。同日、中島知久平が第5代軍需大臣に就任した。
1,945 8 18 ソ連が千島列島侵攻を開始する。
1,945 8 20 児玉機関の最高幹部で計画立案を担っていた高源重吉が、吉田彦太郎が華中・華南地区に置いて来た貴金属等の財産を取りに行く為、朝日新聞社機で上海へと向かう。
1,945 8 22 旧立憲政友会の以下3名の求めに応じ、軽井沢から上京した鳩山一郎が、自身の音羽(東京都文京区)の自宅が空襲で半焼した為、東京都港区麻布のブリジストンタイヤ(現在のブリジストン)創業者石橋正二郎の自宅に間借り住まいを始め、新党結成の準備を開始する。石橋の長女鳩山安子は鳩山一郎の長男鳩山威一郎の妻であった。又、三田台町(現在の東京都港区三田4丁目)の自宅が戦災に遭って本庄(埼玉県)に疎開していた松野鶴平も新党結成の準備に加わった。
①芦田均
②安藤正純
③植原悦二郎
1,945 8 22 天叢雲剣が、飛騨一宮水無神社(現在の岐阜県高山市一之宮町)に運び込まれる。翌月19日迄安置された。
1,945 8 24 ソ連が平壌に入る。
1,945 8 25 高源重吉が金・ダイヤモンド等3,2000,000,000円分を海軍の爆撃機に載せ上海の飛行場を発とうとしたが、重さにより離陸に失敗し、滑走路の端で機体が破損する。高源は別の爆撃機に貴金属等の載せ替え上海を発った。しかし大阪の飛行場に着陸する際、機体がひっくり返り破損し使用出来なくなった。其処で別の軍用機に載せ替えて東京に持ち込み、日銀本店の地下金庫に保管した。
1,945 8 児玉誉士夫が第24代海軍大臣米内光政に対し、上海から日銀の地下金庫に輸送した貴金属を含む財産の全てを海軍に引き渡す事を申し出るが、米内は「受け取るべき海軍はもう無い、此れは全て君の裁量で国家の為に使え」と言った。
1,945 8 30 ダグラス・マッカーサー率いるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が厚木飛行場(現在の神奈川県綾瀬市・大和市)に降り立つ。鎌田銓一が、鎌田と陸軍士官学校の同期(第29期)の有末精三の推薦により出迎え役を務めた。以降鎌田は、GHQに出入り自由のフリーパスとなり、GHQの高官を鎌田の自宅で接待する様になった。鎌田の自宅にはGHQに取り入ろうと、以下の人間等が日参していた。
①森脇将光
②小佐野賢治
1,945 9 児玉誉士夫が米内光政に財産の引き渡しを断られた数日後、辻嘉六が児玉を訪ね、立憲政友会再建の為に児玉の財産を使わせて欲しいと頼む。
1,945 9 G2(GHQ参謀第2部)部長チャールズ・ウィロビーが陸軍参謀本部第2部長で諜報活動の責任者であった有末精三をスパイとして雇う。戦犯として起訴される可能性の有った有末は、其れを回避する為に、終戦前から敵国に提供する諜報関係資料の収集を行い、アメリカ軍に工作員として雇って貰う様働き掛けていた。ウィロビーは其の後も次々と日本人スパイを獲得していった。しかし実態はスパイでは無く、右翼体制の復活と諜報活動による稼業が目的の政治団体であった。
1,945 9 GHQの命により、キャンプ・デトリックの細菌戦の専門家であったマレー・サンダースが、以下2名を窓口にして、カール・コンプトン率いる科学情報調査団の一員として、横浜に上陸する。その後、本月から翌月にかけて、731部隊の調査を行った。
①陸軍軍医内藤良一
②亀井貫一郎
1,945 9 6 里見甫が、上海から中華航空の旅客機で雁ノ巣飛行場(現在の福岡県福岡市東区)に着陸する。其の後は京都や東京に潜伏した。
1,945 9 8 ダグラス・マッカーサーが仁川に到着する。
1,945 9 9 朝鮮総督府が、連合国軍への降伏文書に調印する。
1,945 9 15 岸信介が、A級戦犯容疑者として戦争責任を問われ逮捕される。巣鴨拘置所に収監される際、自身がA級戦犯容疑者として田布施を離れる時に恩師の杉敏介から贈られた「名を惜しむなら命を捨てよ」という意味の自決を促す短歌の返歌として、以下の戦前・戦中の役割を正当化する歌を杉に送った。
名にかへて このみいくさの正しさを 来世までも語り残さむ
1,945 10 1 児玉誉士夫等がやまと新聞を復刊させる。
1,945 10 4 文鮮明が、金百文が設立した京畿道坡州郡(現在の韓国坡州市)のイスラエル修道院に入る。文は、上道洞集会所(現在の韓国ソウル特別市銅雀区)の補助引導師を西暦1,946年4月迄務めた。
1,945 10 5 以下2名が府中刑務所を訪れる。
①アメリカ国務省ジョン・エマーソン
②カナダ外務省エドガートン・ハーバート・ノーマン
そこで以下3名等の共産主義者と面会した。
①徳田球一
②志賀義雄
③金天海
1,945 10 7 外地で終戦を迎えた日本人が、釜山から舞鶴へ雲仙丸で入港(2,100名)。
1,945 10 9 幣原喜重郎が第44代首相に就任する。
1,945 10 14 金成柱が金日成に成り済まし、民衆の前に登場し演説する。偽物が出てきた為、聴衆は皆唖然とした。朝鮮語が辿々しく、そのまま会場から出て行く者もいた。
1,945 10 23 石橋正二郎の自宅で開催の鳩山新党結成準備会に児玉誉士夫と辻嘉六が参加する。児玉機関の財産を鳩山新党の政治資金として寄付する事に合意し、児玉が一郎に対し「絶対に天皇制を護持して下さい」と言うと、鳩山は「絶対にそうせねばならない」と涙で溢れながら答えた。
1,945 10 31 文鮮明が、定州へ下ってソウルで働いて受け取った月給で果物を買った際、偽造紙幣を使ったとして告発される。文は、定州警察署郭山支署(現在の北朝鮮平安北道)に留置され、1週間程で釈放された。
1,945 11 2 夜、児玉誉士夫と辻嘉六が鳩山一郎を訪ね、鳩山が設立準備していた日本自由党に対し70,000,000円の資金提供とダイヤモンド等の貴金属の寄贈を行う事で合意する。鳩山は此の貴金属を売り捌いた。又、児玉は残った財産を後に辻に預け、辻は自宅の庭にラジウム等を埋めた。
1,945 11 6 元東京セネタースの選手・監督で審判を務めていた横沢三郎等が、セネタース再興を目指し「セネタース」を設立する。横沢個人の資金で成り立っていた為、財政的に厳しく、ユニフォームは戦前の阪急軍のお下がりだった。外務省嘱託職員や近衛内閣嘱託職員を務めた西園寺公一がオーナーとなり、銀座のキャバレー経営者で高利貸しをしていた織手登がスポンサーとなった。本拠地は定めなかった。
1,945 11 2 以下の人間等が無産政党及び社会主義各派を糾合し「日本社会党」を結党する。
①西尾末広
②平野力三
③水谷長三郎
1,945 11 6 全球団が参集し、日本野球報国会が「日本野球連盟」に名称を戻す。又、リーグ戦の再開を決定した。以下が重職に就いた。
①鈴木龍二(会長)
②鈴木惣太郎(副会長)
1,945 11 9 以下5名等が日比谷公会堂で日本自由党の結党式を開催する。
①鳩山一郎(総裁)
②河野一郎(幹事長)
③第14代厚生大臣芦田均
④安藤正純(政調会長)
⑤三木武吉(総務会長)
1,945 11 16 翼賛体制主流の大日本政治会の多数派が、鶴見祐輔等を中心として「日本進歩党」を結党する。
1,945 11 19 GHQが以下11名の逮捕を命令する。
①荒木貞夫
②小磯国昭
③松岡洋右
④松井石根
⑤南次郎
⑥白鳥敏夫
⑦本庄繁
⑧鹿子木員信
⑨久原房之助
⑩葛生能久
⑪真崎甚三郎
1,945 11 21 ポツダム勅令により治安警察法の廃止が公布される。
1,945 12 里見甫が、民間人最初のA級戦犯容疑者としてGHQに逮捕される。其の後里見は、巣鴨拘置所に収監された。
1,945 12 2 GHQが、戦犯容疑で以下59名の逮捕を命令する。
①梨本宮守正王
②正力松太郎
③笹川良一
④児玉誉士夫
⑤平沼騏一郎
⑥広田弘毅
⑦畑俊六
⑧星野直樹
⑨大川周明
⑩佐藤賢了
⑪鮎川義介
⑫天羽英二
⑬安藤紀三郎
⑭青木一男
⑮有馬頼寧
⑯藤原銀次郎
⑰古野伊之助
⑱郷古潔
⑲後藤文夫
⑳秦彦三郎
㉑本多熊太郎
㉒井田磐楠
㉓池田成彬
㉔赤木桁平
㉕石田乙五郎
㉖石原広一郎
㉗上砂勝七
㉘河辺正三
㉙菊池武夫
㉚木下栄市
㉛小林順一郎
㉜小林躋造
㉝松阪広政
㉞水野錬太郎
㉟牟田口廉也
㊱長友次男
㊲中島知久平
㊳中村明人
㊴西尾寿造
㊵納見敏郎
㊶岡部長景
㊷大倉邦彦
㊸大野広一
㊹太田耕造
㊺太田正孝
㊻桜井兵五郎
㊼下村宏
㊽進藤一馬
㊾塩野季彦
㊿四王天延孝
❶多田駿
❷高橋三吉
❸高地茂都
❹谷正之
❺徳富蘇峰
❻豊田副武
❼津田信吾
❽後宮淳
❾横山雄偉
1,945 12 11 笹川良一が、自分から進んで巣鴨拘置所に収容される。
1,945 12 16 ソ連のモスクワで三国外相会議が開始される。
1,945 12 17 三国外相会議で以下の声明が出され、各外相が署名した。朝鮮では、既にアメリカ軍とソ連軍が対立している事から共同委員会自体の成立が懸念され、朝鮮の独立が為されるまで信託統治が行われる事となった。期間は第49代アメリカ国務長官ジェームズ・フランシス・バーンズは5〜10年、第3代ソ連外相ヴャチェスラフ・モロトフは最長5年を主張していた。
①イタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、およびフィンランドとの平和条約の準備
②日本における極東委員会の創設と、対日理事会設置
③アメリカとソ連による共同委員会を設置し、朝鮮における単一の自由国家の成立を勧告する
④中国、ルーマニア、ブルガリアの領土的処遇
⑤原子力のコントロールに関する委員会を国連によって設立する
⑥アメリカ、ソ連、イギリス、中国による、最長5年間の信託統治(まだ十分に自立する能力をもっていない人民が居住する地域を、施政権者に指定された国が、国連の監督を受けて統治する)を要する
1,945 12 27 三国外相会議が終了する。
皇室献上品 高級トイレットペーパー 皇室献上品 高級トイレットペーパー