西暦1941年は、太平洋戦争の開戦・児玉機関と里見機関の暗躍・731部隊の常徳細菌戦・米諜報機関と原爆計画の胎動が一斉に進んだ、戦時下の決定的転換点である。太平洋戦争開戦として、12月7日に真珠湾攻撃により太平洋戦争が開戦し(農学者ノーマン・ボーローグは軍に入隊しようとしたが戦時中の労働規制により拒否された)、其の前段として8月1日にアメリカが日本への石油輸出を全面的に禁止し、9月6日に御前会議にてアメリカ・イギリスに対する最低限の要求内容を定め交渉期限を10月上旬に区切りこの時迄に要求が受け入れられない場合アメリカ・オランダ・イギリスに対する開戦方針が定められた(この会議の内容は全て吉田茂からジョセフ・グルーに伝えられ・同夜首相近衛文麿がジョセフ・グルーと極秘会談し日米首脳会談の早期実現を訴えた)。戦時下の物資調達と諜報の局面では、11月に児玉誉士夫が国粋大衆党総裁笹川良一の仲介及び海軍航空本部総務部長山縣正郷の頼みで上海の海軍航空本部の嘱託として軍需物資調達組織「児玉機関」を組織し(上海大厦所在・最上階に清の皇族川島芳子居住・タングステン/ラジウム/コバルト等を買い上げや軍の権威を利用した拳銃強盗等で調達し海軍航空本部に納入する独占契約・京城出張所で砂金や真鍮収集)(後年西暦1,945年の児玉機関財産175,000,000ドル・日本自由党資金提供への系譜の決定的起点)、12月8日に太平洋戦争開戦により里見機関はペルシャ・トルコ産アヘンの三井物産を通じた密輸入が出来なくなり代わりに二反長音蔵が日本・満洲・朝鮮・内蒙古で栽培していたケシで代用する事となった。731部隊の常徳細菌戦として、11月4日6時50分に731部隊航空班増田美保が九七式軽爆撃機を操縦し常徳(現中国湖南省)に到着し其の後南京栄1644部隊隊長大田澄の指揮により1,600gのペストに感染した蚤(ケオプスネズミノミ)を濃霧の中を低空飛行で空中から粟等の穀物・綿紙・羊毛の繊維・顆粒と共に散布し(綿紙は蚤が落下中に分散するのを防ぐ役割・参加者100名で50名程度が731部隊)、11月20日に湖南常徳ペスト調査隊が組織され貴陽から常徳へ出発、11月25日に解剖と細菌培養・動物接種実験の結果真性腺ペストに罹り敗血性感染により死亡した事が判明、12月12日に常徳で確かに腺ペストが流行した事とペストの伝染源は西暦1,941年11月4日に日本軍が投下したペストに感染した蚤であるとの結論を報告書に纏めた(衢県でのペスト流行は12月終息し本年のペスト患者281名・内274名死亡)。原爆計画と米諜報機関の胎動として、7月のボヘミアンクラブの毎年恒例のキャンプにて日本に対する経済封鎖の強化・日本と戦っている中華民国政府への軍事支援・原爆の開発製造計画「マンハッタン計画」の3点が議論され(後年西暦1,942年のマンハッタン計画発足とボヘミアングローブ会議への系譜の決定的起点)、7月11日にフランクリン・ルーズベルトがウィリアム・ドノバンと劇作家ロバート・シャーウッド等の説得により「OCOI(情報調整局)」を設置しドノバンは第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの孫カーミット・ルーズベルト・ジュニアをディーン・アチソンの特別補佐官として配属させ(後年西暦1,942年のOSS設置・西暦1,947年のCIA設立・西暦1,951年のカーミット・ルーズベルト・ジュニアのAFME改組への系譜の起点)、同日フランクリン・ルーズベルトによりOWI(戦時情報局)が設置された。覚醒剤の局面では、10月に大日本製薬がメタンフェタミンを商品名「除倦覚醒剤ヒロポン」として発売を開始した(後年西暦1,950年の富山化学工業ネオアゴチン大量販売・西暦1,951年の覚醒剤取締法施行への系譜の起点)。其の他、4月にアメリカ政府が日本軍の中華民国侵攻に対抗する為に義勇軍として「フライング・タイガース」を結成し、1月24日に山本五十六が笹川良一に対し「日米戦争が開始されれば目指す所はグアム・フィリピン・ハワイ・サンフランシスコ等では無くワシントンD.C.まで攻めていって講和させるぐらいの覚悟が必要だが今日の為政者達にその覚悟と自信は有るのか」という主旨の書簡を送り、1月に金子順一が731部隊を離れ日本に帰国した。ファッションと産業の局面では、マイルズ・カーンとマイルズの妻リリアン・カーンがソーホー(アメリカのニューヨーク市マンハッタン区ロウアー・マンハッタン)の倉庫で紳士向けの皮革製品を下請生産する工房で「コーチ」の前身である「ゲイル」を6名の職人で設立し、4月30日に東京自動車工業が「ヂーゼル自動車工業株式会社」に社名変更し其の後日野製造所(現東京都日野市日野台)を設立した。日本プロ野球の局面では、球団名を日本語化する決定が日本野球連盟理事会で為された事を受けライオン軍が「朝日軍」に改称し(ライオン歯磨本舗株式会社小林商店とのスポンサー契約も解消)、2月3日に徴兵により選手が不足した事を背景に名古屋金鯱軍と翼軍が対等合併し「大洋軍」を結成した(経営は旧西武鉄道が引き継いだ)。

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年月日 出来事
1,941 以下2名が、ソーホー(アメリカのニューヨーク市マンハッタン区ロウアー・マンハッタン)の倉庫で、紳士向けの皮革製品を下請生産する工房で「コーチ」の前身である「ゲイル」を設立する。6名の職人が生産を行なった。
①マイルズ・カーン
②マイルズの妻リリアン・カーン
1,941 球団名を日本語化する決定が日本野球連盟理事会で為された事を受け、ライオン軍が「朝日軍」に改称する。ライオンを既に日本語であると主張し、改称しない儘前シーズンを終えたが、改称を余儀なくされ、ライオン歯磨本舗株式会社小林商店とのスポンサー契約も解消された。
1,941 アドルフ・ヒトラーが、ドーレスハイムの町を完全に破壊し、軍事演習場へと変える。
1,941 1 金子順一が731部隊を離れ、日本に帰国する。
1,941 1 24 山本五十六が、笹川良一に対し「日米戦争が開始されれば、目指す所はグアム・フィリピン・ハワイ・サンフランシスコ等では無い。ワシントンD.C.まで攻めていって、講和させるぐらいの覚悟が必要だが、今日の為政者達にその覚悟と自信は有るのか」という主旨の書簡を送る。
1,941 2 3 徴兵により選手が不足した事を背景に、以下2球団が対等合併し「大洋軍」を結成する。
①名古屋金鯱軍
②翼軍
経営は旧西武鉄道が引き継いだ。
1,941 3 1 衢県にてペストの第2波が到来する。
1,941 4 アメリカ政府が、日本軍の中華民国侵攻に対抗する為に、義勇軍として「フライング・タイガース」を結成する。
1,941 4 30 東京自動車工業が「ヂーゼル自動車工業株式会社」に社名変更する。其の後同年、同社は日野製造所(現在の東京都日野市日野台)を設立した。
1,941 6 ペストの防疫の為に、衛生署から博士ロバート・ポリッツァーが衢県に派遣される。
1,941 7 ボヘミアンクラブの毎年恒例のキャンプにて、以下3点が議論される。
①日本に対する経済封鎖の強化
②日本と戦っている中華民国政府への軍事支援
③原爆の開発・製造計画「マンハッタン計画」
1,941 7 1 ドイツがペルビチンを制限物質に分類する。
1,941 7 11 フランクリン・ルーズベルトにより、OWI(戦時情報局)が設置される。
1,941 7 11 以下2名等の説得により、フランクリン・ルーズベルトが「OCOI(情報調整局)」を設置する。
①ウィリアム・ドノバン
②劇作家ロバート・シャーウッド
ドノバンは、第26代アメリカ大統領を務めたセオドア・ルーズベルト孫カーミット・ルーズベルト・ジュニアを、ディーン・アチソンの特別補佐官として配属させた。
1,941 8 1 アメリカが日本への石油輸出を全面的に禁止する。
1,941 8 11 日本陸軍参謀本部井本熊男が、南京に到着する。
1,941 9 6 前月のアメリカの対日石油輸出禁止を受け、御前会議にて、アメリカ・イギリスに対する最低限の要求内容を定め、交渉期限を10月上旬に区切り、この時までに要求が受け入れられない場合、アメリカ・オランダ・イギリスに対する開戦方針が定められる。この会議の内容は全て吉田茂からジョセフ・グルーに伝えられた。またこの日の夜、首相であった近衛文麿が日米首脳会談による解決を決意し、ジョセフ・グルーと極秘に会談し、危機打開の為日米首脳会談の早期実現を訴えた。
1,941 9 16 第15代日本陸軍参謀総長杉山元が、常徳への細菌散布作戦の発動を命じる。
1,941 10 大日本製薬がメタンフェタミンを商品名「除倦覚醒剤ヒロポン」として発売を開始する。
1,941 10 少将山口多聞が戦艦「長門」の図上会議の際、第3次攻撃として燃料タンク、修理施設への攻撃を主張したが中将南雲忠一は受け入れなかった。
1,941 11 児玉誉士夫が、国粋大衆党総裁笹川良一の仲介及び海軍航空本部総務部長山縣正郷の頼みで、上海の海軍航空本部の嘱託として、軍需物資調達の為の組織である「児玉機関」を組織する。上海大厦に所在し、最上階には清の皇族川島芳子が住んでいた。主に以下のを買い上げたり、軍の権威を利用した拳銃を使った強盗等で調達した戦略物資を、海軍航空本部に納入する独占契約を貰っていた。京城にも出張所を置き、朝鮮各地で砂金や真鍮の収集を行った。
①タングステン
②ラジウム
③コバルト
④ニッケル
⑤銅
⑥プラチナ
⑦雲母
⑧潤滑油
又、軍票での物資の調達が出来なくなった際、陸軍の弾薬を児玉の船で台湾へ輸送し、砂糖や蜜柑を調達した。砂糖は上海で需要があり、物資の調達に一役買った。
1,941 11 4 6:50、731部隊航空班増田美保が九七式軽爆撃機を操縦し、常徳(現在の中国湖南省)に到着する。其の後南京栄1644部隊隊長大田澄の指揮により、常徳にて、1,600gのペストに感染した蚤(ケオプスネズミノミ)を、濃霧の中を低空飛行で空中から以下の物と共に散布する。
①粟等の穀物
②綿紙
③羊毛の繊維
④顆粒
綿紙は、蚤が落下中に分散するのを防ぐ役割があった。作戦の参加者は100名で、50名程度が731部隊であった。結果、1次感染による死者は310名、2次感染による死者は2,500名であった。17:00に警報が解除され、その後投下物の一部が収集され、広徳病院にて検査された。其の結果、穀物類のサンプルから作られた塗沫標本から、グラム染色により両端が着色した、陰性桿菌が発見され、ペスト菌である事が判明した。
1,941 11 5 朝、前日の広徳病院での検査でペスト菌が発見された事を受け、以下の機関で会合が開かれる。
①常徳県衛生院
②防護団
③国民革命軍警機関
④広徳病院
広徳病院の医師が以下2点を進言し、ペストの専門家の派遣を要請する電報を耒陽(現在の中国湖南省衡陽市)衛生所に打ったものの、初動が遅れ、再度要請を行った。
①防疫手段を直ちに執る
②ペスト患者用の隔離病院の設置
1,941 11 12 常徳の最初のペスト患者が、広徳病院に到着する。
1,941 11 13 常徳の最初のペスト患者が死亡する。此の日と翌日で、此の患者を含む3名がペストで死亡した。
1,941 11 20 「湖南常徳ペスト調査隊」が組織され、貴陽(現在の中国貴州省)から常徳へ向けて出発する。
1,941 11 24 湖南常徳ペスト調査隊が常徳に到着する。
1,941 11 25 湖南常徳ペスト調査隊が、前日死亡したペスト患者の解剖を行う。細菌培養・動物接種等の実験の結果、真性腺ペストに罹り、敗血性感染により死亡した事が判明した。
1,941 12 衢県でのペスト流行が終息する。同県での本年のペスト患者は281名で、内274名が死亡した。
1,941 12 2 湖南常徳ペスト調査隊が、常徳のペスト流行が終息したと見做し、貴陽へ向けて出発する。
1,941 12 6 湖南常徳ペスト調査隊が、貴陽に到着する。
1,941 12 7 真珠湾攻撃により、太平洋戦争が開戦する。農学者ノーマン・ボーローグは、軍に入隊しようとしたが、戦時中の労働規制により拒否された。
1,941 12 8 太平洋戦争が開戦し、里見機関はペルシャ・トルコ産アヘンの三井物産を通じた密輸入が出来なくなる。代わりに二反長音蔵が日本・満洲・朝鮮・内蒙古で栽培していたケシで代用する事となる。
1,941 12 12 湖南常徳ペスト調査隊が、常徳での活動を報告書に纏める。以下2点の結論を出した。
①常徳で確かに腺ペストが流行した。
②ペストの伝染源は西暦1,941年11月4日に日本軍が投下したペストに感染した蚤である。
1,941 12 21 ロバート・ポリッツァーが、常徳に到着する。
1,941 12 30 ロバート・ポリッツァーが、常徳衛生所所長に報告書を提出する。内容は、西暦1,941年12月12日に湖南常徳ペスト調査隊が提出した報告書をベースとしているが、人間に感染するに至る機序の中で、湖南常徳ペスト調査隊が否定した、鼠が保菌状態にある事に着目した。其の後、保菌状態にある鼠が大量に存在している事が調査から分かり、ポリッツァーは第2波の危険性を指摘した。
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