西暦1940年は、731部隊の大規模細菌戦・原爆原料の発見・第二次世界大戦の欧州拡大・真珠湾攻撃の前史・緑の革命の起点が一斉に現れた年である。731部隊の大規模細菌戦として、6月4日に731部隊が農安(現中国吉林省長春市)にて5gのペストに感染した蚤(ケオプスネズミノミ)を地上散布し(1次感染死者8名・2次感染死者607名)、同日から7日に掛けて農安-大賚間にて10gを散布(2次感染死者2,424名)、10月4日に衢県(現中国浙江省衢州市)にて8,000gを穀物と共に空中散布(2次感染死者9,060名)、10月27日に寧波(現中国浙江省)にて2,000gを小麦と共に2回空中散布(2次感染死者1,450名)、11月27日に金華(現中国浙江省)にペスト生菌顆粒を空中散布、731部隊ペスト班責任者高橋正彦がペスト菌を分離し、9月に731部隊と南京栄1644部隊が筧橋の中国国民党中央航空学校を接収し浙江省への細菌攻撃の拠点とした。又、731部隊が引き起こした新京でのペスト流行に対し10月7日に731部隊が新京に到着し「関東軍臨時ペスト防疫隊」と名乗りペスト流行を阻止すると宣言、10月10日に石井四郎を本部長とした「関東軍臨時ペスト防疫隊本部」を国防会館に設置し(自らが散布したペスト菌の検査と研究が目的・新京でペストに感染した者78名の臓器を731部隊本部に持ち帰った)、12月13日に731部隊が散布したペスト菌によるペスト流行が終息した(死亡298名・治癒54名)。原爆原料の発見として、12月14日にグレン・シーボーグ等がアメリカのカリフォルニア州バークレーでプルトニウムを発見した(後年西暦1,945年の長崎ファットマン=プルトニウム型原爆への系譜の起点)。第二次世界大戦の欧州拡大として、6月14日にドイツ軍がパリに無血入城しフランス第三共和政が崩壊した。真珠湾攻撃の前史として、10月7日にアメリカ海軍情報部極東課長アーサー・マッカラムが日本に先制攻撃をさせる様仕向ける為にイギリスとの基地協定締結・オランダとの基地協定締結・蒋介石政権への援助提供・重巡洋艦戦隊の東洋派遣等の挑発行動8項目覚書を作成した(後年西暦1,941年12月7日の真珠湾攻撃への系譜の起点)。化学物質の局面では、スイスの製薬会社ガイギー社と同社の米国支社が有機塩素系の殺虫剤・農薬であるDDTに関し殺虫剤として特許を取得した。中国の局面では、3月20日に南京に汪兆銘政権が樹立された。緑の革命の決定的起点として、12月1日にマヌエル・アビラ・カマチョが第45代メキシコ大統領に就任し国家の工業化と経済成長を目標に掲げ、第11代農務長官ヘンリー・A・ウォレスはカマチョの目標がアメリカの経済・軍事に有益と考えメキシコ政府と共に農業開発に取り組む様ロックフェラー財団を説得しており、ロックフェラー財団はミネソタ大学植物病理学助教授エルビン・スタックマンを含む3名の農学者に連絡を取った(後年西暦1,944年のノーマン・ボーローグのロックフェラー財団メキシコ農業協力計画参画・西暦1,958年のメキシコ小麦500%増・西暦1,970年のボーローグのノーベル平和賞受賞への系譜の決定的起点)。日本の戦時統制の局面では、12月6日に戦争に向けた世論形成・プロパガンダと思想取締の強化を目的に内閣直属の情報機関「情報局」が設置され国内の情報収集・戦時下の言論出版文化の検閲統制・マスコミの統合や文化人の組織化・銃後の国民へのプロパガンダを行った。諜報とアヘンの局面では、1月28日に阪田誠盛を長とし諜報活動や特殊工作を行う陸軍特務機関「松機関」が設立され中国情報収集・アヘン密売・登戸研究所(現神奈川県川崎市多摩区東三田)で印刷された偽札の中国流通工作「杉工作」に従事し(里見機関は松機関から偽札の提供を受けていた)、1月に満洲国民生部の外局として「禁煙総局」が設置され表向きはアヘンを禁止し裏では専売制を通じたアヘン販売を継続、児玉誉士夫が本年から翌年にかけて昭和通商の依頼でヘロインの密売を2度行い其のヘロインは中国経由で南シナ海に持ち込まれタングステンと物々交換された、4月に東條英機の一番子分で里見甫の親友の塩沢清宣が興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任しアヘンを上海にも流して巨利を得て日本陸軍機を使って立川陸軍飛行場経由で東條に現金で資金提供した。優生学の局面では、カーネギー研究所がコールド・スプリング・ハーバー研究所の優生学プログラムから資金を引き上げ、此の頃ドイツでのナチズムの台頭により多くの科学者が優生学への支持を止めたがチャールズ・ダベンポートは優生学思想を堅持した。日本プロ野球の局面では、9月15日に日本野球連盟理事会が戦争の為球団名を日本語化する決定を下し、9月25日に大阪タイガースが「阪神軍」に・10月6日にイーグルスが「黒鷲軍」に・10月17日に東京セネタースが「翼軍」に改称した。其の他、山本五十六がローマ教皇ピウス12世に謁見し、ヴィンセント・シェーファーが薄いプラスチックコーティングを使用した雪の結晶のレプリカ作成法を開発し注目を浴び、ベルナルディーノ・ノガーラがイタリアの保険会社ラフォンディアリアの株式を購入した。

以下の暦は全て西暦に変換しています。 日本の旧暦 / 中国の旧暦 / ユダヤ暦 / ヒジュラ暦 / ソビエト連邦暦 / フランス革命暦

≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,940 カトリックであった山本五十六が第260代ローマ教皇ピウス12世に謁見する。
1,940 スイスの製薬会社であるガイギー社と同社の米国支社が、有機塩素系の殺虫剤・農薬である「DDT」に関し、殺虫剤として特許を取得する。
1,940 児玉誉士夫が、本年から翌年にかけて昭和通商の依頼でヘロインの密売を2度行う。其のヘロインは中国経由で南シナ海に持ち込まれ、タングステンと物々交換された。
1,940 カーネギー研究所が、コールド・スプリング・ハーバー研究所の優生学プログラムから資金を引き上げる。この頃、ドイツでのナチズムの台頭により、多くの科学者が優生学への支持を止めたが、チャールズ・ダベンポートは、優生学思想を堅持した。
1,940 ヴィンセント・シェーファーが、薄いプラスチックコーティングを使用して個々の雪の結晶のレプリカを作成する方法の開発し、注目を浴びる。シェーファーがアーヴィング・ラングミュアの助手を務めていた期間、ラングミュアは、シェーファー自身の研究を続ける事を許可し、奨励していた。
1,940 ベルコートが、アルバ・ヴァンダービルトが改装した儘の状態で、起業家ジョージ・ウォーターマンに1,000ドルで売却される。ウォーターマンは、ベルコートをアンティーク自動車博物館にすることを構想していた。売却の唯一の条件は、ウォーターマンが可能な限り、リチャード・モリス・ハントのオリジナルの設計に近い形で城を修復する事であった。ウォーターマンは3階の屋根の修復と中庭を見下ろす増築部分の撤去を担当した。しかし最終的に、ウォーターマンは、ゾーニングによりアンティーク自動車博物館の建設が許可されない事を知った。
1,940 1 満洲国民生部の外局として「禁煙総局」が設置される。表向きはアヘンを禁止し、厚生部がアヘン中毒者の治療・救済を行なった。しかし裏では、専売制を通じたアヘンの販売を継続した。
1,940 1 28 阪田誠盛を長とし、諜報活動や特殊工作を行う陸軍の特務機関として「松機関」が設立される。主に以下に従事した。
①中国現地の情報収集
②アヘンの中国国内での密売
③「杉工作」と命名された登戸研究所(現在の神奈川県川崎市多摩区東三田)で印刷された偽札の中国国内への流通工作
里見機関は松機関から偽札の提供を受けていた。
1,940 3 20 南京に汪兆銘政権が樹立される。
1,940 4 日本軍が銀洲湖(現在の中国広東省江門市新会区)を封鎖する。其れを受けて趙其休は国民党軍の司令官と連絡を取りつつ、汪兆銘軍へ寝返り、マカオの海軍の物資購入部門と以下品目等の密貿易を始める。密貿易に用いた船は日本軍の保護下にあり、海軍から証明書が発行された。又、趙は古兜山(現在の中国広東省江門市新会区)の麓の、国民党の政府機関が採掘していたタングステン鉱山からタングステンを密かに買い取っており、日本軍の侵攻により此のタングステン鉱山が閉鎖されると、付近の地主や有力者が勝手に掘り始め、其れを趙達が輸出した。
輸入
①布類
②石油
輸出
①桐油
②カシア油
③豚の毛
④食糧
1,940 4 東條英機の一番子分で里見甫の親友の塩沢清宣が、興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任する。興亜院華北連絡部は、上海にもアヘンを流していた為、塩沢は巨利を得た。塩沢は、日本陸軍機を使って、立川陸軍飛行場経由で東條に現金で資金提供していた。
1,940 5 ベルナルディーノ・ノガーラが、イタリアの保険会社ラフォンディアリアの株式を購入する。間もなくベニート・ムッソリーニがイギリスの保険会社ノリッジユニオンのイタリアの資産を国有化し、ラフォンディアリアに引き渡した。
1,940 6 4 731部隊が、農安(現在の中国吉林省長春市)にて、5gのペストに感染した蚤(ケオプスネズミノミ)を地上で散布する。結果、1次感染による死者は8名、2次感染による死者は607名であった。
1,940 6 4 731部隊が、此の日から同月7日にかけて、農安-大賚(現在の中国吉林省白城市大安市)間にて、10gのペストに感染した蚤(ケオプスネズミノミ)を地上で散布する。結果、1次感染による死者は12名、2次感染による死者は2,424名であった。
1,940 6 14 ドイツ軍がパリがに無血入城し、フランス第三共和政が崩壊する。
1,940 6 17 農安医院の裏に住む者1名が、ペストにより死亡する。
1,940 6 30 西暦1,940年6月17日に死亡した農安医院の裏に住む者を含む、急性疾患で死亡した数名を診察した農安医院の医師がペストを発病する。
1,940 7 ヘルベルト・ヴァークナーが、装甲の薄い軍艦や商船を攻撃する為の滑空爆弾の試作を開始する。
1,940 7 2 西暦1,940年6月30日にペストを発病した農安医院の医師が死亡する。731部隊のペスト班の責任者であった高橋正彦がその医師の腺腫からペスト菌を分離した。又、高橋は、現地のペスト菌を保有した鼠の移動を調査した。
1,940 7 12 満洲国民生部衛生保健司が、農安でのペスト流行を受け、新京(現在の中国吉林省長春市)から防疫班を派遣する。
1,940 7 13 前日に満洲国民生部衛生保健司が新京から派遣した防疫班が農安に到着し、5ヶ所の大隔離区と十数ヶ所の小隔離区に区分し、封鎖を実行する。
1,940 7 15 高橋正彦が、ペスト患者の腺腫からペスト菌を分離する。
1,940 8 14 此の時点で、農安のペストによる死者は120名を超えていた。
1,940 9 以下2部隊が、筧橋(現在の中国浙江省杭州市上城区)の中国国民党中央航空学校を接収する。以降浙江省への細菌攻撃の拠点となった。
①731部隊
②南京栄1644部隊
1,940 9 15 日本野球連盟理事会が、戦争の為、球団名を日本語化する決定を下す。
1,940 9 23 新京で初めてペスト患者が発生する。
1,940 9 25 球団名を日本語化する決定が日本野球連盟理事会で為された事を受け、大阪タイガースが「阪神軍」に改称する。
1,940 10 1 新京でのペスト流行を防ぐ為、以下の機関が防疫会議を開く。
①満洲国警務機関
②満洲国衛生機関
③満洲国軍
④満洲鉄道
⑤満洲国赤十字社
防疫本部を設置し、患者が集中していた以下の三角地域の交通を遮断し、同地の消毒と鼠・蚤の駆除を試みたが、失敗した。
①南広場
②東3条通
③曙町
④日本橋通
1,940 10 4 731部隊が、衢県(現在の中国浙江省衢州市)にて、8,000gのペストに感染した蚤(ケオプスネズミノミ)を空中から穀物と共に散布する。結果、1次感染による死者は219名、2次感染による死者は9,060名であった。穀物を食べに来た鼠に蚤が集り、鼠がペストに感染、其処から人間に広がっていくという機序であった。
1,940 10 6 球団名を日本語化する決定が日本野球連盟理事会で為された事を受け、イーグルスが「黒鷲軍」に改称する。
1,940 10 7 アメリカ海軍情報部極東課長アーサー・マッカラムが、日本に先制攻撃をさせる様仕向ける為に、挑発行動8項目覚書を以下の内容で作成する。
①太平洋のイギリス軍基地、特にシンガポールの使用についてイギリスとの協定締結
②オランダ領東インド(現在のインドネシア)内の基地施設の使用及び補給物資の取得に関するオランダとの協定締結
③中国の蒋介石政権に可能な、あらゆる援助の提供
④遠距離航行能力を有する重巡洋艦1個戦隊を東洋、フィリピンまたはシンガポールへ派遣する
⑤潜水戦隊2隊の東洋派遣
⑥現在太平洋のハワイ諸島にいるアメリカ主力艦隊を維持する
⑦日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要求をオランダが拒否する様主張する
⑧イギリスが日本に対して押しつける通商禁止と併せて行われる、日本との全面的な通商禁止
1,940 10 7 731部隊が、新京に到着して「関東軍臨時ペスト防疫隊」と名乗り、ペスト流行を阻止すると宣言する。
1,940 10 10 731部隊が防疫本部を廃止し、本部長を石井四郎とした「関東軍臨時ペスト防疫隊本部」を国防会館に設置する。陣容は以下の通り。
①731部隊員・数ヶ所の陸軍病院から派遣された軍医・衛生将校:60名
②衛生下士官:57名
③衛生兵:160名
④別働隊:452名
別働隊は、ペスト患者や、ペストの疑いが有る者を、伝染病棟である新京千早医院や寛城子に在る臨時隔離所に収容し、ペスト菌検査を行った。更に、病理解剖隊による解剖学的検査・病理組織学的検査が行われた。又、連日石井の主宰で、国防会館にて防疫会議が開かれ、主に以下の機関が参加し、軍官民が三位一体となって防疫態勢を敷いた。
①関東軍参謀部
②関東憲兵隊司令部
③新京憲兵隊
④満洲国総務局
⑤新京市
⑥警察
⑦満洲国協和会
⑧満洲国赤十字社
⑨南満洲鉄道新京支社
⑩新京駐屯軍
1,940 10 17 球団名を日本語化する決定が日本野球連盟理事会で為された事を受け、東京セネタースが「翼軍」に改称する。
1,940 10 19 731部隊が、新京でのペスト流行の発生源を農安であると捉え、千数百名の「関東軍臨時防疫隊農安派遣隊」を新京から農安へ派遣する。又、第12代関東軍参謀長飯村穣が、南満洲鉄道総局に指示し、防疫隊に以下を提供した。
①トラック15台
②大型乗用車10台
関東軍臨時防疫隊農安派遣隊の目的は以下であった。
①ペスト菌株の収集
②ペストの発生と伝播の機序の解析
1,940 10 20 関東軍臨時防疫隊農安派遣隊が農安に到着する。此の時既に、農安の人口33,000名の内11,000名が逃亡し、265名がペストを発病していた。
1,940 10 21 衢県にて大量の死んだ鼠が発見される。
1,940 10 26 三井物産が、最上川丸で輸送されたペルシャ産アヘン500箱を中支阿片局へ輸入する。
1,940 10 26 新京千早医院の解剖室や菌検査室が危険な状況となった為、此の日から馬疫研究所でも解剖が行われ始める。
1,940 10 27 731部隊が、新京のペスト流行が終息していないにも拘らず、新京からの撤退準備を宣言する。
1,940 10 27 731部隊が、寧波(現在の中国浙江省)にて、2,000gのペストに感染した蚤(ケオプスネズミノミ)を空中から、小麦の粒と共に、6:47と14:20の2回散布する。結果、1次感染による死者は104名、2次感染による死者は1,450名であった。
1,940 10 29 寧波にて最初のペスト患者が発生する。
1,940 10 31 寧波にて最初のペストによる死者が発生する。
1,940 11 2 寧波で防疫措置が執られ、流行地区が封鎖される。
1,940 11 4 寧波衛生院が、検査によりペスト患者を確認する。
1,940 11 6 寧波にて臨時防疫所が設置される。又、ペスト流行地区内に隔離病院も設置された。
1,940 11 7 731部隊が、新京からの撤退を決定する。
1,940 11 12 衢県にてペストが流行し始める。
1,940 11 13 新京でのペスト流行が終息する。西暦1,940年9月23日に初めてペスト患者が発生してから累計で28名のペスト患者が発生した。731部隊は、新京でペストに感染した者78名の肺・肝臓・腎臓等の臓器を取り出し、731部隊の本部へ直接持ち帰ったり、シャーレの培地に塗り、満洲国立衛生技術廠で培養してから、731部隊の本部へ送られる等した。
1,940 11 20 衢県衛生院で腺ペストの診断が下った患者が発生する。
1,940 11 22 衢県にて「ペスト防疫委員会」が設置され、ペストが流行している地区が警官によって封鎖される。しかし、後に日本軍の空襲により、封鎖地区からペスト患者が逃げ出し、住民も周辺の農村に疎開した為、ペストが近隣の農村にまで拡大した。
1,940 11 27 此の日から翌日にかけて、731部隊が、金華(現在の中国浙江省)にペスト生菌を含んだ顆粒を空中から散布する。顆粒を検査した所、グラム染色により陰性桿菌が発見され、ペスト菌の疑いが持ち上がった。生菌であった為、地上に落下するまでにペスト菌が死滅する為、ペストは流行しなかった。
1,940 11 29 浙江省衛生試験所の所員が金華に到着する。
1,940 11 30 関東軍臨時防疫隊農安派遣隊が、農安でのペスト流行が終息していないにも拘らず、農安から撤退する。最終的に、ペストによる死者48名の死体は解剖に回された。
1,940 11 30 夜、寧波のペスト流行地区内の全家屋115戸が焼き払われる。
1,940 11 30 衢県で防疫に協力していた浙江省衛生所所長が金華に到着する。顆粒を持ち帰って培養した所、繁殖能力を失ったペスト菌が確認された。
1,940 12 三井物産が、加茂川丸で輸送されたペルシャ産アヘン500箱を中支阿片局へ輸入する。
1,940 12 1 マヌエル・アビラ・カマチョが第45代メキシコ大統領に就任する。カマチョが農業に関して掲げた第一の目標は、国家の工業化と経済成長に資する事であった。同年9月4日迄第11代農務長官を務め、メキシコ政府と共に農業開発に取り組む様ロックフェラー財団を説得していたヘンリー・A・ウォレスは、カマチョの掲げた目標が、アメリカの経済・軍事に有益であると考えた。ロックフェラー財団は、ミネソタ大学植物病理学助教授エルビン・スタックマンを含む3名の農学者に連絡を取り、ロックフェラー財団の指揮の下、土壌開発・トウモロコシと小麦の生産・植物の病理学に重点を置く特別研究局を設置し、アメリカとメキシコの科学者を配置する事を提案した。
1,940 12 2 寧波のペスト流行が終息する。死者は109名であった。
1,940 12 6 戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的に、内閣直属の情報機関である「情報局」が設置される。内閣情報部と外務省情報部、陸軍省情報部、海軍省軍事普及部、内務省警保局検閲課、逓信省電務局電務課に分属されていた情報事務を統一化する事を目指して設置された。国内の情報収集、戦時下における言論・出版・文化の検閲及び統制、マスコミの統合や文化人の組織化、および銃後の国民に対するプロパガンダを内務省、陸軍省、海軍省、大本営陸軍部、海軍部等と並行して行った。
1,940 12 7 此の時点で衢県のペスト患者が25名となり、24名が死亡した。
1,940 12 13 731部隊が散布したペスト菌によるペスト流行が終息する。此の時点でペスト患者は、判明しているだけで以下の通りであった。
①死亡:298名
②治癒:54名
③入院継続:2名
1,940 12 14 グレン・シーボーグ等がアメリカのカリフォルニア州バークレーで、プルトニウムを発見する。
1,940 12 22 此の日から3日間、衢県のペスト防疫委員会が、10戸67.266mを焼却する。
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