西暦1,922年は、ベニート・ムッソリーニがローマ進軍によって政権を掴み、マーガレット・サンガーが東アジアを巡説した年である。10月24日、ムッソリーニはナポリで開かれたファシスト党大会にて、支持者に向けて「我々の計画はシンプルだ。我々はイタリアの支配を望む。もし政府が辞任しないのであればローマに進軍しなければならない」と述べた。10月27日にはファシスト党の武装集団「黒シャツ隊」四万名がローマに進軍して中心部を占拠し、ムッソリーニはミラノで事態を見守っていた。翌10月28日、第58代イタリア王国首相ルイージ・ファクタは黒シャツ隊を武力で制圧しようとしたが、第3代サヴォイア朝イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世はファクタと内閣を辞任させ、10月29日、ファシストを統制出来るのはムッソリーニだけであると判断してムッソリーニに打電をしてローマに召喚し、組閣を命じた。産児制限の局面では、3月10日にマーガレット・サンガーが横浜港に到着し、数時間の拘束の末に上陸許可が出たものの、出生制御の公的講演は禁止され、自身が西暦1,914年に執筆した「ファミリー・リミテーション」のコピーを没収された。サンガーは横浜のグランドホテルで仲間と夕食を摂り、其の後は産児制限活動家の加藤シヅエの自宅(東京府東京市赤坂区)に滞在した。4月11日には、北京大学教育学部教授蔣夢麟とコロンビア大学社会学博士課程陳達の招待により、日本からイギリスへの船旅の途上でサンガーが上海港に到着し、中国に三週間滞在する。此の訪問は、過剰人口の増大を不十分な資源と関連付けて出生制限の必要性を示すグローバルな例として中国のマルサス主義的イメージを強化し、中国メディアで出生制限の優生学的な側面に関する議論を喚起した。4月19日には北京大学にて哲学者胡適の通訳で講演を行い、二千五百名の学生が聴講した。4月20日午前には北京協和医学院にて講演を行い、多くの看護師が聴講した。後日サンガーは第14代北京大学学長蔡元培から夕食に招待されて中国の知識人達と交流し、此れが切っ掛けでサンガーの産児制限の中国語に翻訳されたパンフレットが北京市全体に配布された。其の後サンガーは、ハーバード大学・イェール大学・コーネル大学のOBと北京市内の満洲レストランで昼食を摂り、続いてコロンビア大学で教育学の博士号を取得したばかりの于慶棠の翻訳により上海で講演を行っている。又、サンガーの著書「文明の軸」がブレンターノ社より発売された。サンガーは産児制限を個人の女性の権利の問題としてでは無く文明全体の将来を左右する公共的・社会的問題として論じ、人口過剰と無制限な出産が貧困・疾病・社会問題の根本原因であり産児制限こそが文明の軸であるとし、第5章「慈善の残酷さ」にて組織的慈善事業は悪性の社会的疾患の症状であり不適格者の再生産を助長する事で問題を悪化させているとした。更に消極的優生学者として、産児制限によって不適格者の出生を防ぎ人類の質を向上させる必要があるとし、経済構造の変革だけでは不十分で生物学的な人口管理が必要であるとしてマルクス主義を批判し、避妊に対する正統カトリックの見解も批判した。アメリカでは、キャサリン・ベメント・デイヴィス、心理学者ロバート・ヤーキーズ、アール・F・ジンの三名がNRC(全米研究評議会)の「性の問題研究委員会」を共同設立している。デイヴィスとジンの提案に基づき、個人的・社会的に表れる性に就いての体系的・包括的な研究を行う事を目的とし、性本能の心理学的及び生理学的側面・禁欲・自慰行為・避妊・性病・性的関係を研究分野に含め、医学・生物学的視点だけで無く社会学的視点も取り入れる方針であった。しかし実際の運営はデイヴィスの構想とは異なる方向へ進み、医学系の男性研究者が支配する保守的な組織となって、人間のセクシュアリティに関する研究提案を繰り返し無視し、動物の生物学・性行動の研究に資金を投じた。ジョン・ロックフェラー・ジュニアの弁護士でロックフェラー財団理事のレイモンド・B・フォスディックや医師エイブラハム・フレクスナーを始めとするデイヴィスの同僚達は、長年に渡ってデイヴィスのリーダーシップに反感を抱いており、人間のセクシュアリティを道徳的問題としてではなく科学的研究の対象として扱うべきだというデイヴィスの考えを十分な科学的価値が無いとして却下しようとしたが、ロックフェラー・ジュニアがデイヴィスの計画を支持した為に失敗した。又、ハリー・ラフリンがアメリカ各州の断種法に関する報告書を提出し、各州の断種法が提起する問題を明確にして模範断種法を作成している。アメリカではコカインが禁止された。中国では、5月に第一次奉直戦争の取材の為、京津日日新聞編集長上田我郎と里見甫が、奉天からやって来て軍糧城(現在の中国天津市東麗区)に総司令部を置いた、奉天軍閥の頭目で東三省(奉天省(現在の中国遼寧省)・吉林省・黒竜江省)の独立を宣言した張作霖の下を訪れた。二名が司令部で名刺を渡すと、張が通訳である張の軍事顧問で陸軍中佐の本庄繁を連れて現れ、里見は単独取材を許され、張は身振り手振りで話をした。話の途中で里見は通訳が本庄である事を認識し、一安心してゆっくり座り込んで話し、此の会見は翌日の京津日日新聞に掲載された。10月には、世界紅卍字会が中華民国山東省済南府に於いて政府の批准により創設されている。自動車では、5月20日にクノールブレムゼ社傘下のズュートドイチェ・ブレムゼン社が、カミーロ・カスティリオーニに、エンジン製造部門の設備・人員・特許と、社名「BMW」と、BMWのロゴを七千五百万ライヒスマルクで譲渡した。日本の産業では、豊田佐吉が12月18日に杼換準備装置と杼換式自動織機に於ける予備杼溜の改良の、12月20日に織機用緯管さぐり装置の特許出願を行い、12月26日に前年出願の織機用緯管さぐり装置の特許(第50940号)を取得した。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,922 アメリカでコカインが禁止される。
1,922 ハリー・ラフリンが、アメリカ各州の断種法に関する報告書を提出する。各州の断種法が提起する問題を明確にして、模範断種法を作成した。
1,922 マーガレット・サンガーの著書「文明の軸」が、ブレンターノ社より発売される。サンガーは、産児制限を、個人の女性の権利の問題としてでは無く、文明全体の将来を左右する公共的・社会的問題として論じ、以下の主旨の主張をした。
①中心的テーゼ
人口過剰と無制限な出産が貧困・疾病・社会問題の根本原因であり、産児制限こそが文明の軸であるとした。
②慈善事業への攻撃
第5章「慈善の残酷さ」にて、組織的慈善事業は悪性の社会的疾患の症状であり、不適格者の再生産を助長する事で問題を悪化させているとした。
③優生学の受容
消極的優生学者として、産児制限(避妊・不妊手術を含む)によって不適格者の出生を防ぎ、人類の質を向上させる必要があるとし、人々を才能有る者・聡明な者・平均的な者・愚鈍な者・正常な者・欠陥ある者に分類すべきだと主張した。
④マルクス主義への批判
マルクス主義社会主義と産児制限の関係に就いて論じ、経済構造の変革だけでは不十分で、生物学的な人口管理が必要であるとした。
⑤カトリック教会への批判
避妊に対する正統カトリックの見解を批判した。
1,922 以下の人間が、NRC(全米研究評議会)の「性の問題研究委員会」を共同設立する。
①キャサリン・ベメント・デイヴィス
②心理学者ロバート・ヤーキーズ
③アール・F・ジン
NRCの活動計画としては、デイヴィスとジンの提案に基づき「個人的・社会的に表れる性について体系的・包括的な研究を行い、現在保持されている結論を評価し、科学的に導出されたデータを増やす事」を目的とした。研究分野には、性本能の心理学的及び生理学的側面・禁欲・自慰行為・避妊・性病・性的関係が含まれ、医学・生物学的視点だけで無く社会学的視点も取り入れる方針であった。しかし実際の運営は、デイヴィスの構想とは異なる方向へ進み、医学系の男性研究者が支配する保守的な組織となり、人間のセクシュアリティに関する研究提案を繰り返し無視して、動物の生物学・性行動の研究に資金を投じた。以下の人間を始めとするデイヴィスの同僚達は、長年に渡ってデイヴィスのリーダーシップに反感を抱いており、デイヴィスの「人間のセクシュアリティを道徳的問題としてではなく、科学的研究の対象として扱うべきだ」という考えを「十分な科学的価値が無い」として却下しようとした。 ①ジョン・ロックフェラー・ジュニアの弁護士でロックフェラー財団理事のレイモンド・B・フォスディック
②医師エイブラハム・フレクスナー
しかし、ロックフェラー・ジュニアが、デイヴィスの計画を支持した為、失敗した。
1,922 3 10 マーガレット・サンガーが横浜港に到着する。数時間の拘束の末に上陸許可が出るが、出生制御の公的講演は禁止された。又、自身が西暦1,914年に執筆した「ファミリー・リミテーション」のコピーを没収された。サンガーは、横浜のグランドホテルで仲間と夕食を摂り、其の後は、産児制限活動家の加藤シヅエの自宅(東京府東京市赤坂区)に滞在した。
1,922 4 11 マーガレット・サンガーが上海港に到着する。以下2名の招待であった。
①北京大学教育学部教授蔣夢麟
②コロンビア大学社会学博士課程陳達
此れは、日本からイギリスへの船旅の途上での訪問で、中国に3週間滞在した。陳は其の儘博士号を取得し、後に著名な人口科学者となった。サンガーの訪問は、中国の産児制限運動に以下の影響を与えた。
①過剰人口の増大を不十分な資源と関連付け、出生制限の必要性を示すグローバルな例として、中国のマルサス主義的イメージを強化した。
②中国メディアで出生制限の優生学的な側面に関する議論を喚起した。
1,922 4 19 マーガレット・サンガーが、北京大学にて講演を行う。2,500名の学生が聴講した。通訳は、哲学者胡適が担った。
1,922 4 20 午前、マーガレット・サンガーが、北京協和医学院にて講演を行う。多くの看護師が聴講した。後日サンガーは、第14代北京大学学長蔡元培から夕食に招待され、中国の知識人達と交流した。此れが切っ掛けで、サンガーの産児制限の中国語に翻訳されたパンフレットが北京市全体に配布された。其の後サンガーは、以下の大学のOBと北京市内の満洲レストランで昼食を摂った。
①ハーバード大学
②イェール大学
③コーネル大学
続いてサンガーは、上海で講演を行った。コロンビア大学で教育学の博士号を取得したばかりの于慶棠が翻訳した。
1,922 5 第一次奉直戦争の取材の為、以下2名が、奉天からやって来て軍糧城(現在の中国天津市東麗区)に総司令部を置いた、奉天軍閥の頭目で東三省(奉天省(現在の中国遼寧省)・吉林省・黒竜江省)の独立を宣言した張作霖の下を訪れる。
①京津日日新聞編集長上田我郎
②里見甫
2名が司令部で名刺を渡すと、張が通訳である張の軍事顧問で陸軍中佐の本庄繁を連れて現れた。里見は単独取材を許され、張は身振り手振りで話をした。話の途中で里見は、通訳が本庄である事を認識し、一安心してゆっくり座り込んで話した。此の会見は、翌日の京津日日新聞に掲載された。
1,922 5 20 クノールブレムゼ社傘下のズュートドイチェ・ブレムゼン社が、カミーロ・カスティリオーニに以下を75,000,000ライヒスマルクで譲渡する。
①エンジン製造部門の設備・人員・特許
②社名「BMW」
③BMWのロゴ
1,922 10 世界紅卍字会が中華民国山東省済南府に於いて、政府の批准により創設される。
1,922 10 24 ベニート・ムッソリーニが、ナポリで開かれたファシスト党大会にて、支持者に向けて「我々の計画はシンプルだ。我々はイタリアの支配を望む。もし政府が辞任しないのであればローマに進軍しなければならない」と述べる。
1,922 10 27 ファシスト党の武装集団「黒シャツ隊」40,000名が、ローマに進軍し、中心部を占拠する。ベニート・ムッソリーニはミラノで事態を見守っていた。
1,922 10 28 第58代イタリア王国首相ルイージ・ファクタが、黒シャツ隊を武力で制圧しようとする。しかし、第3代サヴォイア朝イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ファクタと内閣を辞任させた。
1,922 10 29 ファシストを統制出来るのはベニート・ムッソリーニだけであると判断したヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が、ムッソリーニに打電をしてローマに召喚し、組閣を命じる。
1,922 12 18 豊田佐吉が、自身の発明した杼換準備装置の特許出願を行う。
1,922 12 18 豊田佐吉が、自身の発明した杼換式自動織機に於ける予備杼溜の改良の特許出願を行う。
1,922 12 20 豊田佐吉が、自身の発明した織機用緯管さぐり装置の特許出願を行う。
1,922 12 26 豊田佐吉が、前年に自身の出願した織機用緯管さぐり装置の特許(第50940号)を取得する。
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