西暦1918年は、スペイン風邪が世界的に大流行した年である。フォートライリーで発生した感染は、ヨーロッパへ渡るアメリカ外征軍とともに各地へ広がり、最終的に5000万人以上が死亡したとされる。同年11月にはドイツと連合国の間で第一次世界大戦の休戦協定が結ばれた。ロシアではボリシェヴィキによってニコライ2世一家が銃殺され、ロマノフ朝が終焉した。日本では豊田佐吉が豊田紡織株式会社を設立し、三菱造船が日本初の量産乗用車・三菱A型を完成させた。ミュンヘンでは秘密結社トゥーレ協会が設立された。

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年月日 出来事
1,918 ウラジーミル・レーニンが此の年から西暦1,922年迄に450,000,000ドルをクーン・ローブ商会に返済を行う。
1,918 カーネギー研究所が、メアリー・ウィリアムソン・ハリマンから資金提供を受け、EROの資金を引き継ぐ。
1,918 チャールズ・ダベンポートが、以下の人間と共に優生学団体「ゴルトン協会」を設立する。
①ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン
②マディソン・グラント
同協会は以下を支持した。
①優生断種プログラム
②移民制限法
③異人種間結婚禁止法
④不適者の産児制限
1,918 マウンディ・グレゴリーが自由党に、爵位と引き換えの自由党に対する資金提供を手配する様促す。デビッド・ロイド・ジョージは、自身が計画していた「統一立憲党」結党資金を集める為のブローカーとしてグレゴリーを引き入れた。
1,918 ジョージ・シュルツの父博士バール・アール・シュルツが、ニューヨーク連邦準備銀行と同じ建物内に所在する投資信託会社「アメリカン・インターナショナル・コーポレーション」の人事部長として勤務を始める。西暦1,923年迄勤めた。同社はロシア革命中にボリシェヴィキに対し、1,000,000ドルの融資を行なった。バールは、アメリカ社会主義労働者党の共同創設者ジュリアス・ハマーと親友であった。ジョージはプラット家の一員で、ロックフェラーと親戚関係にあった。後にプラット家の邸宅を、CFRに寄贈した。
1,918 1 8 ニューヨーク州の最高裁に相当するニューヨーク州控訴裁判所が、マーガレット・サンガーの有罪を維持する判決を下す。判事フレデリック・クレインは、有罪を維持する理由として、サンガーは医師では無い為、避妊具を配布する法的資格が無かった事を挙げた。ニューヨーク州刑法第1145条「医師の例外規定」では、医師が疾病の治療又は予防の為に避妊具を処方する事を例外的に認めていた。クレインは、疾病の定義を「痛みや不調を引き起こす身体の状態の変化」と拡大解釈し、妊娠そのものが身体の状態の変化であり、疾病に該当し得るとした。此れによりサンガーは、裁判では負けたものの、医師が一般的な健康上の理由で避妊具を処方する事が初めて合法的に認められ、キャサリン・ベメント・デイヴィスとの協力関係を結ぶ前提条件が整った。
1,918 1 15 髄膜炎菌ワクチン接種の研究が開始される。
1,918 1 21 ロックフェラー医学研究所主導で馬で培養された抗髄膜炎血清を含む髄膜炎菌ワクチンの接種がフォートライリーの第89師団の約25,000名の将校・兵士の内、志願者に対して開始される。以下2名が関与していた。
①フレデリック・テイラー・ゲイツ
②フレデリック・ラモント・ゲイツ
アメリカ軍の志願兵に対し、8〜10日の間隔を空けて3回の接種を行った。各回の接種者数は以下の通り。
1回目:4,792名
2回目:4,257名
3回目:3,702名
NIHは、第一次世界大戦中に此の抗髄膜炎血清を、以下の国等に配布した。
①イギリス
②フランス
③ベルギー
④イタリア
1,918 1 30 豊田自動紡織工場の事業と資産を株式会社に改組され、愛知県愛知郡中村大字栄字米田(現在の愛知県名古屋市西区則武新町)にて「豊田紡織株式会社」が設立される。経営陣は以下であった。
①社長:豊田佐吉
②常務取締役:豊田利三郎
③取締役:藤野亀之助
④監査役:児玉一造
実質的な経営は利三郎が担った。従業員は約1,000名で、工場設備としては、イギリスのプラット・ブラザー社製の紡機の錘数が34,080、豊田式織機は1,008台であった。佐吉は、自社の経営が安定した事を見届けると、単身中華民国へ渡り、上海や漢口(現在の中国湖北省武漢市)等の主要都市を訪れ、市場調査を行った。佐吉は、中華民国に大規模な紡績と織布工場のニーズが有ると確信し、上海に工場用地を手配した。
1,918 2 4 アメリカのニューヨーク州ロングアイランドのサフォーク郡ヤファンクにあるキャンプアプトン(アメリカ陸軍の乗船港)にて、軍の志願兵12,519名を対象にロックフェラー医学研究所の髄膜炎菌ワクチンの人体実験が開始される。
1,918 2 4 此の日以降に3回目の接種が予定されていた第89師団の髄膜炎菌ワクチン接種者の内約半数が、医務官の間で高用量による重度の副反応が数件発生した事を背景に、菌数4,000,000,000/ccで、此の日以降3回目の接種を受ける。此の日の時点で一部の連隊では3回の接種を完了していた。1回目の接種では、腸チフスワクチンよりも副反応は少ないという意見が支配的で、副反応によって翌日の任務を免除された者は限定的であった。2回目の接種では、略全ての部隊で以下の症状を示す者が少数発生した。
①頭痛
②関節痛
③吐き気
④便の緩みや一過性の下痢
此れ等は過去には見られなかった症状で、発症した者は軽度の鼻風邪や気管支炎を患っている者が多かった。菌数が減らされる前に3回目の接種を終え、菌数8,000,000,000/ccが投与された部隊の中には、全身及び局所の重度な副反応が数件有り、翌日の任務免除が必要であった。症状は、パラチフス予防ワクチン接種後に時折見られるものよりも重くは無く、有害な結果は報告されなかった。重篤な副反応は、フォートライリーの基地病院や医療将校訓練キャンプの医療将校に発生する傾向が有った。此れは、下士官兵よりも拘束作業が多く、より高い神経的緊張、内省的傾向が強かった為と考えられた。或る連隊では、誤解により、4名の兵士が初回で8,000,000,000/ccが投与されたが、忍容性は良好であった。軍医は、
①1名は30分間の悪寒・1時間の頭痛・軽度の局所反応
②1名は軽度の頭痛・軽度の局所反応
③1名は24時間に渡る重度の局所反応と頭痛
④1名は軽度の局所反応・12時間の頭痛
と報告した。
1,918 3 アメリカ外征軍がブレスト(フランスのフィニステール県)に上陸を開始する。此の月からアメリカ外征軍の本格的なヨーロッパ遠征が始まった。本月は84,000名のアメリカ兵が輸送船で大西洋を横断してヨーロッパに渡った。アメリカ外征軍には、スペイン風邪感染から回復した兵士も含まれ、ウイルスをヨーロッパに持ち込んだ。
1,918 3 4 フォートライリーのファンストン基地の病院にて兵士アルバート・ギッチェルがインフルエンザの症状を訴える。髄膜炎菌ワクチンの人体実験の参加者であった。
1,918 3 11 朝、フォートライリーにてスペイン風邪の第1波が始まる。軍医エドワード・R・シュライナーは、正午迄に100名以上の病気に罹った兵士の治療に当たったが、シュライナーの目には、全員が同じ病気に苦しんでいる様に見えた。後に同様の症状を訴える兵士が続出し、1,000名以上が感染、48名が死亡した。此れ等の兵士が第一次世界大戦中のヨーロッパの戦場へ赴き、解熱や免疫を抑制するアスピリンを処方され、多数の犠牲者を出した。感染した宿主は、短期間で以下等の定着菌株のエアロゾル化を促進させた。
①肺炎球菌
②溶血性連鎖球菌
③インフルエンザ菌
④黄色ブドウ球菌
髄膜炎菌ワクチンが原因であったが、ロックフェラー医学研究所は、強毒なH1N1亜型インフルエンザが流行したとマスメディアを使って喧伝し、スペイン風邪に話をすり替えた。
1,918 3 18 フォートライリーのファンストン基地の病院にて522名のスペイン風邪の感染者が発生する。
1,918 4 本月118,000名のアメリカ兵が輸送船で大西洋を横断しヨーロッパへ渡った。
1,918 4 フランス北部にいたイギリス兵と塹壕で対峙していたドイツ兵がスペイン風邪に感染する。ドイツ軍は、感染した塹壕の兵士を前線から退避させ、健康な兵士と交代させた。此れにより、スペイン風邪は新たな宿主である若く健康な兵士に継続的に接触し、其処で適応・増殖する事により、強毒化していった。
1,918 4 飛行機研究所が「中島飛行機製作所」に改称される。
1,918 4 15 キャンプアプトンでの軍の志願兵を対象にした髄膜炎菌ワクチンの人体実験が終了する。結果少なくとも6,131名が入院した。
1,918 5 フランス南部のフランス兵の間でスペイン風邪が流行する。
1,918 6 ポーツマス(イギリスのハンプシャー州)からムルマンスク(ソ連)に渡ったアメリカ兵によりスペイン風邪が持ち込まれる。
1,918 6 2 ロシア帝国が以下2社を国有化する。
①カスピ海・黒海石油産業貿易会社
②マズット貿易・輸送会社
1,918 6 4 フォートライリーのアメリカ兵に対する髄膜炎菌ワクチンの接種が終了する。
1,918 7 17 ニコライ2世一家の支持者による救出を恐れてボリシェヴィキが差し向けた、ヤコフ・ユロフスキー率いる秘密警察組織チェーカーによって、エカテリンブルク(現在のロシアのスヴェルドロフスク州)のイパチェフ館にて以下11名が銃殺される。
①ニコライ2世
②皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ
③ニコライ2世の長女オリガ・ニコラエヴナ
④ニコライ2世の弐女タチアナ・ニコラエヴナ
⑤ニコライ2世の参女マリア・ニコラエヴナ
⑥ニコライ2世の四女アナスタシア・ニコラエヴナ
⑦ニコライ2世の長男アレクセイ・ニコラエヴィチ
⑧ニコライ2世の専属医エフゲニー・ボトキン
⑨フョードロヴナの女中アンナ・デミドヴァ
⑩ニコライ2世一家の料理人イヴァン・ハリトーノフ
⑪ニコライ2世一家の従僕アレクセイ・トルップ
1,918 7 20 フレデリック・ラモント・ゲイツが、以下の主旨の内容の髄膜炎菌ワクチン接種に関する報告書を作成する。
①3,702名のボランティアに対し、1週間間隔で3回の皮下注射を行った。菌数は其々以下の通り。
1回目:2,000,000,000/cc
2回目:4,000,000,000/cc
3回目:4,000,000,000/cc又は8,000,000,000/cc
②此れ等の接種によって、極軽度の局所的及び全身的反応以上の反応が現れるケースは稀であった。例外的に、より重篤な反応が見られ、ワクチンに対する特異的な感受性の存在が示唆された。此の様な場合、症状の一部は髄膜刺激症状であり、髄膜炎の発症を模倣することも有った。
③ワクチン接種を受けた男性の血清中には、正常対照群と比較して、髄膜炎菌特異的凝集素が検出された。
④更に、髄膜炎菌の慢性保菌者の血清中にも凝集素が検出された。此の様に、慢性保菌者の流行性髄膜炎に対する相対的な免疫性は、血流中に特異的抗体が存在する事による可能性が示唆された。
⑤副反応として以下が発生した。多い順に列挙する。
❶下痢
❷吐き気・嘔吐
❸眩暈
❹全身の関節や筋肉の痛み
❶に関し、数例の便の緩みや一過性の下痢の症例が数例観察された。しかし此れ等は深刻なものでは無い。唯、此の症状は以前には見られなかった。個々の症例を慎重に調査した所、髄膜炎菌ワクチンの影響を訴えた兵士が、注射時に軽度の鼻風邪や気管支炎等を患っていた事が度々明らかになった。又、悪寒や寒気によって副反応が引き起こされる兵士や、翌晩に発熱を訴える兵士も居た。❹に関しては、首や腰部に局所化して強張りを引き起こす事も有った。副反応は時折流行性髄膜炎の発症を模倣し、ワクチン接種を受けた数名の兵士が、診断の為に基地病院に搬送された。
1,918 8 ルドルフ・フォン・セボッテンドルフによってミュンヘンで秘密結社「トゥーレ協会」が設立される。
1,918 9 13 第4代アメリカ公衆衛生局長官ルパート・ブルーがアスピリンの使用を推奨する。
1,918 9 13 キャンプアプトンにてスペイン風邪が発生し38名のアメリカ兵が入院する。
1,918 9 14 キャンプアプトンのアメリカ兵86名がスペイン風邪で入院する。
1,918 9 15 キャンプアプトンのアメリカ兵193名がスペイン風邪で入院する。
1,918 9 26 アメリカ海軍にアスピリンが処方され始める。
1,918 10 アメリカ政府が、アメリカ資本の大規模な中華民国への進出を意図し、中華民国政府に対する借款事業の独占を主目的とする国際的な銀行団のシンジケートを提唱する。しかし最終的に失敗した。
1,918 10 4 キャンプアプトンのアメリカ兵483名がスペイン風邪で入院し、ピークに達する。
1,918 10 5 アメリカ医師会が発行する臨床雑誌であるJAMAがアスピリンの使用を推奨する。
1,918 10 5 アメリカ陸軍にアスピリンが処方され始める。
1,918 11 三菱造船が、自社の神戸造船所内燃機工場の内燃機部門にて、量産を前提とした4輪乗用車「三菱A型」を完成させる。
1,918 11 11 ドイツと連合国の間で休戦協定が締結される。アメリカ兵は、母国や植民地の前哨基地に戻りスペイン風邪を世界中に広めていった。最終的にスペイン風邪により、50,000,000〜100,000,000名の死者が発生した。研究者達による遺体の剖検が為されたが、肺培養検査で陰性の遺体は1つも無かった。少なくとも遺体の92.7%の死因が細菌性肺炎とされた。
1,918 11 11 ジョージ・シャーレンが、ゾロトゥルン(スイス)にて「ミドーG・シャレン・アンド・カンパニー・ウォッチ」を設立する。
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