西暦1917年は、ロシア革命の年である。ニコライ2世が退位してロシア帝国が崩壊し、亡命先のスイスから帰国したレーニンは四月テーゼを掲げてボリシェヴィキを指導した。アメリカはウッドロウ・ウィルソンの下でドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦に参戦した。イギリス外相アーサー・バルフォアはロスチャイルド家に宛ててシオニズム支持の書簡(バルフォア宣言)を送り、同年末にはイギリス軍がエルサレムを占領した。ドイツではラップ発動機工場がBMW(バイエルン発動機製作所)へと改称し、日本では中島知久平が飛行機研究所を設立した。

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≈は「頃」を意味しています。

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年月日 出来事
1,917 ジェイコブ・シフが以下の2名に対し、ロシア革命の活動資金として各々に20,000,000ドルを貸し付ける。
①ウラジーミル・レーニン
②レフ・トロツキー
さらに以下もロシア革命に対し資金提供を行なった。
①ブンド(リトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟)
②ポール・ウォーバーグ
1,917 エミール・クレペリンがミュンヘン(現在のドイツのバイエルン州)に「ドイツ精神医学研究所」を設立する。
1,917 ドイツの人種衛生学者エルヴィン・バウアーが「ベルリン人種衛生学会」の会長となり、カイザー・ヴィルヘルム協会に「植物育種研究所」設立を申請する。
1,917 フレデリック・テイラー・ゲイツが、GEBの理事会の議長を退任する。
1,917 1 4 エセル・バーンの裁判が、ニューヨーク市特別裁判所ブルックリン支部にて開始される。
1,917 1 8 エセル・バーンが有罪判決を受ける。
1,917 1 22 エセル・バーンが、30日間の投獄を言い渡される。バーンは、此の日の午後にクイーンズ郡刑務所に収監されたが、直後から9日間ハンガー・ストライキを実行し、体重が激減した。其の後、鼻からチューブで流動食を注入する強制栄養を受け、釈放時には衰弱していた。
1,917 1 29 以下2名の裁判が、ニューヨーク市特別裁判所ブルックリン支部にて開始される。
①マーガレット・サンガー
②ファニア・ミンデル
サンガーは、避妊情報の配布を認めた。
1,917 2 2 以下2名が有罪判決を受ける。
①マーガレット・サンガー
②ファニア・ミンデル
ミンデルは、罰金50ドルの量刑を言い渡された。
1,917 2 5 マーガレット・サンガーが、30日間の投獄を言い渡される。サンガーは、クイーンズ郡刑務所に収監された。此の時キャサリン・ベメント・デイヴィスは、仮釈放委員会委員長であり、矯正行政の責任者として、サンガーの服役を管轄する立場にあった。サンガーは収監中に、数回に渡り、指紋採取を拒否するというトラブルを起こした。又サンガーは、他の受刑者に対し、衛生と出生制御に就いての講演を行なったり、男性と女性が受ける待遇の違いを学び、以下を日記に記す等した。
女性達は男性程良く扱われていません。新聞を読む事を許されず、男性が許されるものを外部から取り寄せる事も出来ません。訪問者は月に2人だけです。行き来する全ての手紙が読まれるのは、酷い事です。
後にサンガーは、刑務所の状況に就いて以下の様に記した。
朝の独房掃除の後、私たちはフード付きのケープを頭に被って15分間、庭を歩きました。此の寒い散歩の間、女性達は男性達が捨てた烟草の吸い殻を探して地面を熱心に眺めました。人間がそんな低いレベルに追いやられ、凍った土を指で掘って此れ等の潰れた吸い殻を回収する姿は悲惨でした。其々が自分の小さな欠片を掴み、隠しました。
1,917 3 ウラジーミル・レーニンが40,000,000マルクの軍資金を携帯し、ボリシェヴィキを指導する為に、亡命先のスイスからロシア帝国へ帰国する意思を固める。マックス・ウォーバーグの用意した回廊列車に乗車し、戦争により帰国ルートが限られていた為、チューリッヒから以下を経由してペトログラード(現在のロシアのサンクトペテルブルク)へと向かう選択を採った。
①ザスニッツ(現在のドイツのメクレンブルク・フォアポンメルン州)
②スウェーデン
③ヘルシンキ
1,917 3 6 マーガレット・サンガーが釈放される。其の日サンガーは、身を捩って指紋を汚し、刑務所のスタッフは諦め、汚れた指の儘サンガーを釈放した。サンガーは後に、以下の内容の釈放時の振り返りをした。
門の前には、サンガーの古い友人達が集まり、2時間凍えながら待ってサンガーの出所パーティーを祝おうとしていた。彼等はフランス国歌のラ・マルセイエーズを歌い上げた。後方の上階の窓には、収監中に仲良くなった新しい友人達、女性達が居て、同じ様に歌っていた。何かが喉を詰まらせた。あの勝利の音楽と響く言葉を聞く度に、何かが今も喉を詰まらせます。「自由の息子達よ、栄光に目覚めよ!」
其の後サンガーは控訴したが、翌年にニューヨーク州控訴裁判所にて判決が確定した。しかし、医師による避妊相談の合法化が一部認められ、避妊運動の進展に繋がった。
1,917 3 7 マーガレット・サンガーが、釈放された翌日に、クイーンズ郡刑務所の収監者の代弁者として、クイーンズ郡刑務所の状況に就いて話す。そして、キャサリン・ベメント・デイヴィスが推進・監督した不定期刑・仮釈放制度を批判した。此の制度は、受刑者をいつ釈放されるか分からない状態に置き、家族との再会や生活の再建の見通しを奪うものだというのがサンガーの主張であった。
1,917 3 15 ニコライ2世が退位し、ロシア帝国が崩壊する。ジェイコブ・シフは此れを喜び、アレクサンドル・ケレンスキー政権を支持し、ケレンスキー政権の発行する公債の内1,000,000ルーブルの引き受けを約束した。
1,917 4 ロックフェラー医学研究所がイギリス・フランスの要望により、馬用の厩舎を即座に建て、此れ等の国に向けた髄膜炎菌ワクチンの製造を開始する。又、同研究所は此の髄膜炎菌ワクチンを第一次世界大戦中に以下の国等に配布していた。
①イギリス
②フランス
③ベルギー
④イタリア
1,917 4 ウッドロウ・ウィルソンがジョン・パーシングをアメリカ外征軍の総司令官に任命する。
1,917 4 2 ウッドロウ・ウィルソンが同盟国(ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国)の侵略から、自由と民主主義を守る為に、第一次世界大戦への参戦を認める様連邦議会で訴える。
1,917 4 4 アメリカ上院で82対6で第一次世界大戦参戦が決議される。
1,917 4 5 アメリカ下院で373対50で第一次世界大戦参戦が決議される。
1,917 4 6 ウッドロウ・ウィルソンがドイツ帝国に対し宣戦布告する。
1,917 4 16 ウラジーミル・レーニンがペトログラードに入る。
1,917 4 17 ウラジーミル・レーニンがボリシェヴィキの革命戦略要綱を発表する。主な内容は以下の通り。
①ロシア臨時政府を認めない
②第一次世界大戦の即時停戦の実現
③労働者・農民・兵士の評議会であるソビエトは唯一つ可能な革命政府の形態である
④ソビエトに権力を集中させる
⑤議会制民主主義ではなく、労農ソビエト共和国樹立を目指す
⑥土地の国有化
⑦社会民主党から共産党への党名変更
⑧コミンテルンの創設
1,917 4 20 3日前にウラジーミル・レーニンが発表したボリシェヴィキの革命戦略要綱が、ソビエト連邦共産党の機関紙「プラウダ」に掲載される。
1,917 4 20 初代ロシア臨時政府外相パーヴェル・ミリュコーフが、連合国に対し、ドイツ帝国との戦闘を継続する主旨の電報を送る。此れを受けペトログラードの兵士によって、侵略反対デモが蜂起された。ウラジーミル・レーニン等のマルクス主義者は、ロシア臨時政府が国際資本主義の利益に屈し、外国の征服や其の他の金銭的利益の為に戦争を継続しようとしているとし、非難した。又、第2代陸海軍相アレクサンドル・ケレンスキーを始めとするロシア臨時政府のメンバーが此の電報に同意した事から、ボリシェヴィキ等の左翼から圧力を受ける事となった。
1,917 4 24 アメリカ政府がイギリス・フランス等の連合国に費用を貸し付ける事を意図し、自由公債を発行する。
1,917 5 中島知久平が、群馬県新田郡尾島町前小屋(現在の群馬県太田市)に「飛行機研究所」を設立する。
1,917 5 10 豊田佐吉が、自身の発明した環状単流原動機の特許出願を行う。
1,917 5 18 アメリカで徴兵制が実施され、21〜30歳の男性に徴兵登録を要求し、対象者4,800,000名の内2,800,000名が採用され、後に2,000,000名がヨーロッパに派遣される事となる。
1,917 6 7 ジョン・パーシング率いるアメリカ外征軍がイギリスに到着する。直ちにイギリス・フランスに兵を派遣するのでは無く、充分な訓練を行ってからにすべきだと主張、翌年まで殆ど兵を動かさなかった。
1,917 6 26 先遣隊であるアメリカ兵14,000名がイギリスからサン・ナゼール(現在のフランスのロワール・アトランティック県)に到着する。
1,917 7 ウォーデンクリフ・タワーが解体され、スクラップとして売却される。解体前のウォーデンクリフ・タワーは、階段は破損し、多くの木片は腐っており、担当した業者は、半分以上登ることを恐れていた。此の時二コラ・テスラは、ニューヨークに居らず、シカゴの会社に雇われ、スパイラルフロータービンの開発プログラムにコンサルティングエンジニアとしてアサインされていた。テスラは、自身のプロジェクトを諦めておらず、幾つかの機能を改善した別のタワーを建設する積もりであった。
1,917 7 陸軍の要請に応じ、荘田泰蔵等が、フィアットA3ー3型車を参考に、三菱造船神戸造船所にて4輪乗用車の試作を開始する。
1,917 7 21 ラップ発動機工場社が「BMW(バイエルン発動機製作所)」に改称する。
1,917 9 ベニート・ムッソリーニがMI5(保安局)から、イタリアで英国スパイ100名を率いていたチェルシー(イギリスのケンジントン・アンド・チェルシー区)の国会議員且つMI5の職員であった初代テンプルウッド子爵サミュエル・ジョン・ガーニー・ホア経由で、週給100ポンドの資金提供を受け始める。これを切っ掛けにムッソリーニは政界入りし、戦争推進運動を継続させる為の活動を1年以上行った。
1,917 9 ロックフェラー財団の資金提供により「PUMC(北京協和医学院)」が設立される。フレデリック・テイラー・ゲイツもPUMCの設立に取り組み、医療宣教師の再教育を計画した。PUMCは、ジョンズ・ホプキンス大学をモデルに設立され、以下の学者等を招聘した。
①ウィリアム・H・ウェルチ
②北京大学教授胡適
③農村の裸足医師の先駆者であるジョン・グラント
④C・C・チェン
⑤ハーバード大学医学部教授ウォルター・B・キャノン
PUMCは、伝統的な中国の薬草である麻黄からエフェドリンを精製したり、主要な熱帯病のメカニズムを解明したりした。
1,917 9 25 ダイヤモンドへの投資で成功したアーネスト・オッペンハイマーが、イーストランド深部金鉱床(南アフリカ共和国ハウテン州ボクスブルク)の開発を目的として、J.P.モルガン商会の資金援助を受け、アングロ・アメリカン・南アフリカ社を設立する。
1,917 10 本月から翌月に掛けて、フォートライリー(アメリカのカンザス州ライリー郡)のアメリカ軍施設にて、第342野戦砲兵連隊に対し、ロックフェラー医学研究所の中尉ピーター・K・オリツキーによって製造された髄膜炎菌ワクチンの人体実験が行われる。此のワクチンは、フォートライリーに一括で送られ、等張食塩水で標準濃度に希釈され、0.3%のクレゾールで保存された。そしてフレデリック・ラモント・ゲイツは、以下の主旨の報告書を記した。
第342野戦砲兵連隊に対する髄膜炎菌ワクチン接種は、フォートライリーの基地病院の検査部門長である少佐E・H・ショーラーが設備を提供し、協力した。ショーラーによって50cc瓶にて連隊軍医に配布された。第342野戦砲兵連隊への接種は、師団軍医である中佐J・L・シェパードの指導の下、以下の人間の協力により実施された。
①大佐ニュージェント
②連隊軍医で少佐のツァーリ・C・ジョンソン
第342野戦砲兵連隊では、髄膜炎の症例が1例しか発生しておらず、髄膜炎菌保菌者の調査が行われたばかりであった。此のワクチンは、髄膜炎に罹った人の体液から採取した細菌を加熱して不活化した物であった。注射針はNo.25で、三角筋の起始部に皮下注射された。通常左腕であったが、直近副反応が有った場合は右腕に注射した。約50名から成る以下のグループⅠ〜Ⅵと、99名から成るグループⅦに分けられた。投与量と接種間隔は以下の通り。
①グループⅠ
❶1回目接種(菌数500,000,000/cc)
❷間隔4日
❸2回目接種(菌数1,000,000,000/cc)
❹間隔4日
❺3回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❻間隔8日
❼検体採取
②グループⅡ
❶1回目接種(菌数750,000,000/cc)
❷間隔9日
❸2回目接種(菌数1,500,000,000/cc)
❹間隔10日
❺3回目接種(菌数3,000,000,000/cc)
❻間隔9日
❼検体採取
③グループⅢ
❶1回目接種(菌数1,000,000,000/cc)
❷間隔9日
❸2回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❹間隔10日
❺3回目接種(菌数4,000,000,000/cc)
❻間隔9日
❼検体採取
④グループⅣ
❶1回目接種(菌数1,500,000,000/cc)
❷間隔8日
❸2回目接種(菌数3,000,000,000/cc)
❹間隔8日
❺3回目接種(菌数8,000,000,000/cc)
❻間隔10日
❼検体採取
⑤グループⅤ
❶1回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❷間隔7日
❸2回目接種(菌数4,000,000,000/cc)
❹間隔7日
❺3回目接種(菌数8,000,000,000/cc)
❻間隔10日
❼検体採取
⑥グループⅥ
❶1回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❷間隔6日
❸2回目接種(菌数5,000,000,000〜6,000,000,000/cc)
❹間隔6日
❺3回目接種(菌数10,000,000,000/cc)
❻間隔9日
❼検体採取
⑦グループⅦ
❶1回目接種(菌数2,000,000,000/cc)
❷間隔7日
❸2回目接種(菌数4,000,000,000/cc)
❹間隔8日
❺3回目接種(菌数8,000,000,000/cc)
❻間隔17日
❼検体採取
途中から接種しなかった者は、接種後に以下等の症状が出た。
①咳
②下痢
③発熱
④頭痛
ジョンソンの指示により、医療部隊の中尉セルジュ・アンドロップは、ワクチン接種翌朝の検査時に、局所及び全身の反応に関する報告を兵士から収集した。菌数2,000,000,000/ccで副反応が発生したのは僅か2件であった。1件はグループⅡの或る警官で、以前から外来タンパク質に対して過敏であり、腸チフス及びパラチフスのワクチン接種により、重度の反応を示した事が有ると説明していたが、今回の1回目の接種後に、頭痛と倦怠感を伴う、重度の局所及び全身反応を発症した。もう1人もグループⅡの警官で、2回目の接種後に同様の症状が発現し、翌日は寝たきりであった。グループⅤでは、1回目の接種で以下を訴えた。
①発熱9名
②頭痛4名
③悪寒1名
グループⅥでは、3回目の接種で11名に全身反応が見られたが、寝たきりになったり、職務を免除された者は出なかった。グループⅦの3回目の接種では、多くの男性の以前の注射部位に、持続的な無痛の皮下硬結が残っていた。連隊軍医とロックフェラー医学研究所との仲介役である師団訓練担当官で大尉のアルバート・バウアーは、軍医会議を招集し、其処でワクチンの投与方法・効果・観察すべき点が説明され、議論された。
1,917 10 24 フランス・ロスチャイルド商会がロシア共和国内の石油産業の大企業15社の株式総額の35%以上を所有していた。
1,917 11 2 イギリス外相アーサー・バルフォアが、ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド(ライオネル・ド・ロスチャイルドの孫)に対し、シオニズム支持の書簡を送る。
1,917 11 5 ボリシェヴィキの指導者の1人のヤーン・アンヴェルトが、エストニア自治政府の首都タリン(現在のエストニアのハリュ県)にて、左翼革命勢力を率いて武装蜂起を開始する。以降、ボリシェヴィキの中にレフ・トロツキー等のユダヤ人指導者が居た事から、ボリシェヴィキ=ユダヤ人という認識が欧米で広まり、ジェイコブ・シフ等が打撃を受けた。シフは表向き、ボリシェヴィキには反対であった。ヘンリー・フォードは、自身が創刊した新聞である「ディアボーン・インディペンデント紙」で繰り返し、シフがボリシェヴィキに資金提供した、と攻撃した。
1,917 12 イギリス軍がエルサレムを占領する。
1,917 12 飛行機研究所が、群馬県新田郡太田町(現在の群馬県太田市)に移転する。同地に「呑龍工場」が設立された。
1,917 12 10 豊田佐吉が、同年に自身の出願した環状単流原動機の特許(第31865号)を取得する。
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