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≈は「頃」を意味しています。
皇室献上品 高級トイレットペーパー
| 年月日 | 出来事 | |||
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| 1,901 | イギリスのウィリアム・ノックス・ダーシーが、第5代ガージャール朝シャーのモザッファロッディーン・シャーから石油の探索、採掘権を買い取る。 | |||
| 1,901 | アウグスト・ホルヒ社の第1号車が完成する。 | |||
| 1,901 | ジェームズ・ローブが、クーン・ローブ商会を退職する。 | |||
| 1,901 | 1 | 18 | 初瀬が竣工する。其の後の日露戦争では、第一艦隊第一戦隊の3番艦として戦闘に参加した。 | |
| 1,901 | 2 | 25 | ジョン・モルガンとエルバート・ヘンリー・ゲーリーが株を保有していた「連邦鉄鋼会社」とアンドリュー・カーネギーが保有していた「カーネギー鉄鋼会社」の合弁でペンシルベニア州ピッツバーグに「USスチール社」が設立される。 | |
| 1,901 | 3 | ニコラ・テスラが、自身のシステムが、グリエルモ・マルコーニや他の無線発明家のものを超える特許に基づいており、優れている事、そして主要な競争相手である大西洋横断電信ケーブルの性能を遥かに上回る事を保証した上で、モルガンは、此のプロジェクトの主要な投資家となる事を承諾し、契約を交わす。モルガンは、27.432mの送信塔及び発電所を有する無線ステーションを建設する為に、テスラに150,000ドルの資金提供を行った。此のステーションは、ロンドンや会場の船舶に無線メッセージを送信する能力を持つ予定であった。此の契約にはモルガンが会社の51%の株式と、此のプロジェクトから生まれた現在及び将来開発される無線特許の51%の権利を持つ事も含まれていた。西部の弁護士兼銀行家のジェームズ・S・ウォーデンも、テスラの世界無線システムに賛同し、「ラジオシティ」を建設する為に、ショアハム(アメリカのニューヨーク州サフォーク郡)の土地を購入した。そして、ニューヨーク州道25A号線沿いの7,284,600㎡のジャガイモ農場の一部である、809,400㎡をテスラに提供した。其の場所は鉄道路線から近く、其れを利用して、無線通信塔と研究施設を建設する為の資材を運び込んだ。ウォーデンは最終的に、テスラの工場で働く2,000〜2,500名の従業員の為の住宅の建設を計画していた。 | ||
| 1,901 | 3 | 20 | 徳川慶喜と徳川昭武が、上野発7:30の汽車で藤代に狩猟に出かける。 | |
| 1,901 | 3 | 21 | ニコラ・テスラが、ウェスチングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニーの産業部門であるピッツバーグ(アメリカのペンシルベニア州)に所在する「ウェスチングハウス・エレクトリック・カンパニー」に、発振器に電力を供給する為に必要な変圧器と発電機の製造を依頼する。テスラ自身も、エンジニアと緊密に協力して装置を設計した。又、テスラの友人で建築家のスタンフォード・ホワイトは、発電所と発振器を収容する実験室の建物を設計した。 | |
| 1,901 | 4 | ショアハムに「ウォーデンクリフ郵便局」が設置される。 | ||
| 1,901 | 4 | 9 | 豊田佐吉が、自身の発明した糸繰返機の特許出願を行う。 | |
| 1,901 | 5 | クーン・ローブ商会の資金提供を受けたエドワード・ヘンリー・ハリマンが、ジェームズ・ジェローム・ヒル及びJ.P.モルガン商会と争った結果、ノーザン・パシフィック鉄道の経営権を獲得する。此れは恐慌を引き起こした。 | ||
| 1,901 | 6 |
ロシア帝国の石油生産量の分布は以下の通りであった。 ①ノーベル兄弟産油会社:93,366t ②カスピ海・黒海石油産業貿易会社:63,882t ③バクー石油協会:55,692t |
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| 1,901 | 6 | 13 | ジョン・ロックフェラーが「ロックフェラー医学研究所」を設立する。研究所の設計はフレデリック・テイラー・ゲイツが行い、設立と同時に理事長に就任した。理事会にはアメリカの病理学者・細菌学者であるサイモン・フレクスナー、ゲイツが名を連ねていた。 | |
| 1,901 | 6 | 25 | 京城(現在の韓国ソウル)-釜山間の鉄道敷設の為、京釜鉄道が資本金25,000,000円で設立される。取締役会長には渋沢栄一が就いた。 | |
| 1,901 | 7 | ニコラ・テスラがジョン・モルガンに対し、タワーの高さを当初の設計の2倍にするプロジェクトの変更計画と、其れを実現する為に更に多くの資金が必要である事を伝える。テスラは、タワーの高さが2倍になる事で、ヨーロッパにメッセージを送る事が出来るだけで無く、全世界に到達することも可能になると説明し、競合相手に先んじる方法として、そして投資から遥かに大きな利益を確保する手段として、より壮大な計画を説明した。しかし、テスラが提案した計画は事実上契約違反であった為、モルガンは追加の資金提供を拒否し、既に使われた資金の明細を要求した。テスラは、モルガンからの追加の資金調達には失敗したものの、プロジェクトを続行した。91mや180mのタワーの建設案を検討したが、建築家スタンフォード・ホワイトは、180mのタワーの建設には450,000ドル掛かると見積もり、断念せざるを得なかった。最終的に、57mのタワーを建てるという案に落ち着き、工事を進めて行く事となった。テスラが此の変更計画を打ち出した背景として、モルガンが年に1度の長期滞在の為にヨーロッパへ行っていた間に、グリエルモ・マルコーニがテスラの装置を模倣している事を情報をテスラが掴んだ事が有った。 | ||
| 1,901 | 7 | 30 | ニコラ・テスラが、ウォーデンクリフに無線電信工場と電気研究所を即時建設する契約を締結する。テスラが最近取得した30.48㎡の土地に、30日以内に工場の建設を開始する、とした。更に、其の後建設予定の発電所は220,650Wである、とした。面積が28.6512㎡で、高さが2階建ての建物と同じの、煉瓦造りの建物が建設され、数ヶ月で完成した。其の76.2m南には、電波塔「ウォーデンクリフ・タワー」のコンクリートの基礎が築かれた。テスラは、発電所の為の100馬力の蒸気エンジンを2台発注した。 | |
| 1,901 | 8 | 19 | 豊田佐吉が、同年に自身の出願した糸繰返機の特許(第4809号)を取得する。 | |
| 1,901 | 9 | ニコラ・テスラがショアハムにて、ウォーデンクリフ・タワーの建設に着手する。しかし、まだ此の時点でジョン・モルガンから150,000ドルの資金提供が行われていなかった為、スタンフォード・ホワイト宛に、差し押さえに直面しているという主旨の書簡を送った。テスラはモルガンに資金提供の増額と、グリエルモ・マルコーニに対する自身のプロジェクトの優位性を訴える書簡を送り続けた。 | ||
| 1,901 | 10 | 24 | 豊田佐吉が、自身の発明した織機の特許出願を行う。 | |
| 1,901 | 11 | ピーボディ教育基金代理人兼ジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金代理人ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリーが「南部教育委員会」設立を提唱し、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツにより、ピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金が合併され、南部教育委員会が設立される。 | ||
| 1,901 | 11 | ヨシフ・スターリンが、マルクス主義政党であるロシア社会民主労働党のトビリシ(現在のジョージア)委員会委員に選出される。 | ||
| 1,901 | 11 | ヨシフ・スターリンがバトゥミに入る。其の後フランス・ロスチャイルド商会が経営する製油所で雇用され、2度労働者ストライキを共謀して実行した。ストライキを首謀者の内数名が逮捕された後、スターリンは大規模な抗議デモを組織したが、デモ隊が監獄を襲撃した事でロシア帝国軍がデモ参加者に発砲し、13名が死亡した。其の犠牲者達の葬儀の当日、スターリンは再度抗議デモを実行した。 | ||
| 1,901 | 11 | ウォーデンクリフの発電所に、ニコラ・テスラが発注した100馬力の蒸気エンジン2台が設置される。其の後、ウェスチングハウス・エレクトリック&マニュファクチャリング・カンパニー製の300kWのオルタネーターが設置された。 | ||
| 1,901 | 12 | シェル運輸貿易会社が、スタンダード・オイルとの提携交渉を打ち切り、オランダ領東インド石油開発会社と提携する。 | ||
| ≈ | 1,901 | 12 | 豊田佐吉が、井桁商会の技師長を辞任し、退職する。 | |
| 1,901 | 12 | 10 |
第1回ノーベル賞授賞式が、スウェーデン王立音楽アカデミー(スウェーデンのストックホルム県ニーブロビケン)の大ホールにて執り行われる。遺言執行者が全ての関係者を説得し、アルフレッド・ノーベルの遺言の内容に従う様説得し、此の授賞式に至る迄に5年の歳月を要した。受賞者は此の授賞式迄伏せられ、此の式で公表された。受賞者は以下の通り。 ①ノーベル物理学賞:X線を発見したヴィルヘルム・レントゲン ②ノーベル化学賞:熱力学に於いてファントホッフの法則を発見したヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ ③ノーベル医学・生理学賞:ジフテリアに対する血清療法を研究したエミール・アドルフ・フォン・ベーリング ④ノーベル文学賞:共和政ローマの詩人ルクレティウスがヘレニズム時代の哲学者エピクロスの思想を詩にした「事物の本性に就いて」をフランス語に翻訳したシュリ・プリュドム(此の日は病気の為欠席、フランスの大臣が代理出席) ⑤ノーベル平和賞:赤十字社を設立したアンリ・デュナン(此の授賞式には参加せずクリスチャニア(現在のノルウェーのオスロ)で授与) 此の大ホールは質素な造りであったが、宮廷建築家アギ・リンデグレンが監修し、豪華に装飾された。スウェーデン王立オーケストラが演奏する舞台は、松の枝等で装飾され、舞台の中央には、青と金のリボンで結ばれた巨大な月桂樹の冠の下に、白いアルフレッド・ノーベルの胸像を載せた大きな広いオベリスクが在った。前面には演壇が在り、物理学、化学、医学・生理学、文学と刻まれた4本のオベリスクが立っていた。舞台の前には、スウェーデン王室の肘掛け椅子が3脚在り、其の後ろには、受賞者・プレゼンター・出席者の為の半円形の椅子が配置された。レントゲン・ホッフ・ベーリング・プリュドムの代理のフランスの大臣の順に入場し、最後にスウェーデン王族が入場した。スウェーデン皇太子グスタフ5世が中央に立っていた。本来第4代ベルナドッテ王朝スウェーデン国王オスカル2世が出席する所であったが、スウェーデン・ノルウェー連合の崩壊の危機の為、クリスチャニアに行かざるを得なかった為、オスカル2世の長男グスタフ5世が、グスタフ6世アドルフ・オスカル2世の四男エウシェンと共に参加した。スウェーデン王族は受賞者やプレゼンターに略背を向ける形で着席した。其の後、スウェーデン王立オーケストラが、スウェーデンの作曲家ルードヴィグ・ヌールマン作曲の祝祭序曲を演奏した。そして、ノーベル財団会長で第7代スウェーデン首相を務めたエーリク・グスタフ・ボストロムが、ノーベルの生涯・人柄・発見・自らの財産から毎年賞金を出して人類に貢献したいというノーベルの願いをスピーチした。次に、スウェーデンの詩人でスウェーデン王立科学アカデミーの終身書記官のカール・ダーヴィド・アフ・ヴィルセンが詩を朗読し、男性カルテットが、伝統の学生歌を合唱した。次に、受賞者を選定した以下の2機関による、ノーベル賞の授与が行われた。 ①スウェーデン王立科学アカデミー ②カロリンスカ研究所 先ず、スウェーデン国立公文書館(スウェーデンのストックホルム県フィールヴェルカルバッケン)館長でスウェーデン王立科学アカデミー会長のクラス・ヨナス・テオドール・オドネルが、レントゲンとホッフの業績を語り、講壇から降りると、レントゲンとホッフに前に進ませ、グスタフ5世が彼らに賞状とメダルを渡した。次に、カロリンスカ研究所所長でスウェーデン王立生理学協会(スウェーデンのスコーネ県ルンド)の会員のカール・アクセル・ハンプス・メルナーが登壇し、ベーリングの業績に就いて語り、同じく賞状とメダルを受け取らせた。最後に、プリュドムの象徴詩「割れた花瓶」の一部を朗読した。斯うして授賞式は終わり、スウェーデン王立オーケストラがスウェーデンの作曲家アウグスト・セーデルマンの行進曲を演奏し、スウェーデン王族が立ち上がり、軈てホールには誰も居なくなった。其の後、スウェーデン王立音楽アカデミーから近くのグランドホテルで晩餐会が開かれた。 |
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| 1,901 | 12 | 12 | グリエルモ・マルコーニが、ポルドゥー(イギリスのイングランドのコーンウォール)からシグナルヒル(カナダのニューファンドランド・ラブラドール州セントジョンズ)まで、「S」を意味するモールス符号の送信に成功する。ニコラ・テスラは、此の実験の成功に動じず、此の送信を成功させる為に自分の特許を少なくとも17件無断で使用したと説明した。マルコーニが使用した装置は、安価な単一回路の送信機で、テスラの物と比べると粗末であった。小さな建物に収められ、重い木製のレバーで操作された。又、テスラの世界無線システムプロジェクトで構想していた、複数の周波数で実現した無数の無線チャンネルによる、音声や画像の伝送に比べ、マルコーニは少数のチャンネルでパルス信号を送信する事しか出来ず、チューニング選択に就いても理解していなかった。しかし、ジョン・モルガンのテスラに対する信頼は揺らいでいった。 | |