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≈は「頃」を意味しています。
皇室献上品 高級トイレットペーパー
| 年月日 | 出来事 | |||
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| ≈ | 190 | 1 | 楊彪が、黄琬の後任として司徒に就任する。黄は太尉に転任となった。 | |
| ≈ | 190 | 2 |
献帝の即位後に丞相、後に太師に就任し、後漢政府の全権を掌握していた董卓の専横に反発した兗州刺史で東郡太守であった橋瑁が、太師・太傅・太保の三公回付の公文書を偽造し、打倒董卓の挙兵を呼び掛ける檄文を偽造する。又、臧洪が主君の広陵太守張超に「明府は先祖代々国恩を受けており、貴方達兄弟は何れも一方の大郡を掌握している。現在、王室はこの災難を経て乱臣賊子は処罰されていない。此れは正に天下義烈の士が報恩に尽くす時である。現在広陵郡は比較的安定しており、郡内は非常に裕福である。動員すれば少なくとも20,000名を集める事が出来、此れによって国賊を殺し、天下人に手本を示す事が出来、其れは最大の節義である」と進言した事で、張超は臧と共に陳留太守張邈に会いに行き、出兵について相談した。張邈は同意し、同盟を結んだ。此れに呼応し、以下の州郡牧守も蜂起する。 ①渤海太守袁紹(盟主) ②後将軍袁術 ③冀州牧韓馥 ④豫州刺史孔伷 ⑤兗州刺史劉岱 ⑥河内太守王匡 ⑦東郡太守橋瑁 ⑧山陽太守袁遺 ⑨済北国相鮑信 ⑩陳国相許瑒 ⑪潁川太守李旻 ⑫西河太守崔鈞 董の軍隊は洛陽の富を略奪し、女性を強姦する等凡ゆる犯罪を犯し、其の後洛陽を焼き尽くしていた。牧守の領土は北東と南東に多かった為「関東連軍」と呼ばれた。同軍は、北・東・西の三方面から洛陽を包囲した。 |
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| ≈ | 190 | 2 | 董卓が、関東連軍の挙兵を受け、洛陽から長安への遷都を計画する。しかし、楊彪は盤庚の悪政と同じ轍を踏むとして反対した。又、黄琬も「楊の発言は検討の余地がある」とした。結果董は司徒であった楊を罷免し、黄も太尉を罷免された。 | |
| ≈ | 190 | 2 | 楊彪が、司徒を罷免された10日後に光禄大夫として復帰し大鴻臚に就任する。其の後、黄琬も光禄大夫として復帰し、司隷校尉に任命された。 | |
| 190 | 3 | 6 | 関東連軍が少帝弁を擁立する事を恐れた董卓が、少帝弁を自らの館に入れ、郎中令であった李儒を遣わせ「此の薬を飲んで厄除けをして下さい」という主旨の発言をし、毒酒を少帝弁に献上する。少帝弁は「私は病気では無い。此れは私を殺そうとするものだ」と言い飲むのを拒んだが、李は無理矢理飲ませた。其の後少帝弁は正室唐姫・側室・従者達と宴会を行なった。其の席で少帝弁は唐姫に対し「天道に従う事は簡単であるというが私にはどうしてこんなに艱しいのであろう。万乗を棄てて藩王の身分に退いた。其れなのに逆臣に迫られて命を永らえる事は出来ぬ。此処に汝から去って幽冥の世界に逝こう」という主旨の発言を行い、唐姫は袖を上げて踊り、そして「天は崩れ、地は滅びました。私は皇帝の妻として私が貴方に従わなければ悲しむでしょう。でも私達に別れが来ました。生者と死者が一緒に歩む事は出来ません。嗚呼、悲しいです。私は心に悲しみを抱えています」と歌った。其の様子を見ていた周囲の人々は啜り泣いた。そして少帝弁は「君は皇妃である。吏民と再婚してはならぬ。自愛せよ。此れにて然らばだ」と言い残し死去した。 | |
| ≈ | 190 | 3 | 献帝が少帝弁を趙忠の墓に葬る。 | |
| 190 | 3 | 10 | 董卓が献帝を連れて遷都の為、洛陽から長安へ向けて出発する。董は宮殿に火を放ち、人民を略奪し、洛陽の周囲200里を荒廃させていた。其の後王允が司徒に任命された。王は表向きは董に付いていたが、裏では献帝を中心に据える事を考え、宮廷の役人を味方に付けていた。関東連軍は董率いる梁州の精鋭部隊の戦力を恐れ、洛陽の西に進む事が出来ず、全軍を酸棗(現在の中国河南省新郷市)に駐留させた。 | |
| ≈ | 190 | 4 |
董卓征伐に消極的で酒宴ばかりしていた関東連軍に業を煮やし、以下6名が成皋県(現在の中国河南省鄭州市滎陽市)攻略を意図し、酸棗から出陣する。 ①曹操 ②曹操の従弟曹洪 ③鮑信 ④鮑信の弟鮑韜 ⑤張邈 ⑥張の部下衛茲 汴水(現在の中国河南省鄭州市滎陽市)にて、董の命で豫州に出撃していた徐栄と遭遇し戦闘となったが、徐の軍に圧倒され、衛・鮑韜が戦死し、曹操も流れ矢に当たり負傷し、鮑信も負傷、大敗した。曹操は曹洪に救助され、酸棗に引き返した。曹操が酸棗は攻略されにくいと考えた為である。 |
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| 190 | 4 | 26 | 献帝を連れていた董卓が長安に到着し、遷都が完了する。 | |
| ≈ | 190 | 8 | 孫堅が、南陽太守張咨に食糧を供給する様求める書簡を送った上で、牛や酒を携え張の下を訪れる。此の時既に袁術が孫の代理中郎将就任を奏請していた。張は部下に孫をどの様に扱うべきか尋ねた所「孫は隣の郡の太守にすぎず、私達の食糧供給を受ける権利は無い」と言った。 | |
| ≈ | 190 | 8 | 孫堅は張咨を訪ねた翌日、宴会を開き張を招く。すっかり酔っ払った頃、孫の主簿が入ってきて「以前張に書簡を送ったが、道路の整備が終わっておらず、軍の金銭・食糧も足りていないので、張を捕らえて主簿に引き渡して尋問して下さい」という主旨の発言を行う。張は劣勢であると見て其の場を立ち去ろうとしたが、兵に包囲されており逃げ場が無かった。暫くすると再度主簿が入って来て「張は義兵を止めたので、賊を討ち、軍法に従って処罰して下さい」と言うと、孫は部下に張を軍門に押し出して斬首させた。南陽軍の役人は大きな衝撃を受け、以降孫の軍は欲しい物は何でも与えられる様になった。其の後孫は、魯陽(現在の中国河南省平頂山市魯山県)へ行き袁術と面会した。袁と孫は手を組む事となり、袁は孫に破虜将軍代行と豫州刺史を兼任させる事にした。孫は魯陽に留まり、兵を休養させ、董卓征伐の為の進軍準備を行なった。 | |